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無理しない

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ぼくは、無理をしないというのがわかりません。

無理をしてまで練習しないと強くなれないと思ってしまいます。

頑張る先に栄光があると思うのですが、

無理をしないで練習をするというのがわからないです。
結果を残している人は誰よりも努力しますよね?
それとは別ですか?
アドバイスお願いします。

ちなみに陸上やっております。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無理をすると必ずひずみがでます。

私は坊さんと柔道整復師、整骨院をやっています。よく陸上やランニングの怪我で来院される方がいますよ。軽いところで腰痛や筋肉のハレですね。重いと、肉離れや靭帯、スジですね。全治3ヶ月。シーズンインだとこの年はレースを棒に振ることになります。運動器だけではなく心臓や内臓にも大きな負担がかかります。だから無理は禁物。
次にメンタル面ですが、プレッシャーに負けたとかそういう話を聞きますよね?精神的にもものすごい負担がかかりますよ。精神的にも無理はしちゃいけないんです。多分、混同していることがあると思うんですが、定期的に計画的に怪我をしない。つまり無理をしない範囲でメニューを作り、これをきちんと実行することは必要です。確実に一定量の運動をしないと絶対に強くなりません。指導者の方やトレーナーさんの指導を受けながら確実にやるべきことをするんです。怠けない、サボらない、無理しないのが鉄則です。
また、勝ちにこだわる気持ちはわかりますよ。ただその勝負は、人との競争ではなくて、タイムにしませんか?
同じ気温、湿度、距離でこの前より、いいタイムが出せればあなたは成功者、勝者なんです。この前より気温が例えば5度高ければ、そのへんを加味するために他者のデータを参考にするのはいいでしょうが、あくまでもご自身の記録、ご自身との戦いなんですよ。
この辺がわかってくると、走るのが楽しく、充実してきますよ。結果として成績、何位とかがでるんです。
仏さまは、あなたが人より早いかどうかではなく、どれだけ頑張っているかをみています。
くれぐれもクールダウンを忘れずに(笑)
ご成功をお祈りします。

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個別相談可能
浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向きに楽しく愉快に生きていくためのヒントを自分自身も考え続けながら、また少しでも皆さんのお役に立てればと考えています。できるだけ、わかりやすく簡単にお答えしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。現在も整骨院をやっていますが、医療福祉関係の仕事に長年従事してきました。他に、知的障がい者施設の仕事に関わらせていただいています。また、イジメや引きこもりなど子どもたちのために何かできることがないか、現在模索中です。フリースクールをお寺で開講予定しています。仏教特に浄土学は死ぬまで研鑽だと思っていますが、居眠り専門なのが、課題です。

あわてず、あせらず、一歩ずつ

 Daiさんは、だれかに「無理しないで!」と言われたのでしょうか。日本語は案外難しいもので、人それぞれで言葉の指し示す中身が違うものです。
 私は、努力と無理の言葉の中身が違うように思います。「結果を残している人は誰よりも努力しますよね?」とは、Daiさんが言うとおりで、私も同感です。ですから、私自身も日常生活のことやスポーツに関すること、自らの技術・技能に関することは、精一杯努力を重ねながら生きていくものと考えています。(水泳や和太鼓で努力した学生時代は、今でも懐かしい思い出です。)
 無理というのは、自分の努力できる範囲を超えたものだととらえています。ですから、無理が過ぎると、心身の健康を損ねることになります。努力を重ね成長できる部分については、私は無理とはとらえません。
 さらに、仏教では、私で頑張って努力したものでも、「その陰で、私が努力できる環境を整え、私の生活を支え、多くのいのちがこの私のいのちを生かしてくださっている。」「私の努力は、私だけで出来るものではなかった。」と気づかされることを大切にしてきました。それは、多くの方が日常に使う「おかげさま」という言葉の本来の意味とつながるものです。
 Daiさんも、無理のない範囲で、精一杯努力を重ね、自分の夢に向かって歩んでみてください。「あわてず、あせらず、一歩ずつ」

 このハスノハへお声かけを頂き、有り難うございました。Daiさんのこれからを、ハスノハが応援しています。ご縁に感謝!!合掌

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個別相談可能
1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。実家の西福寺で中高生を主体とする「るんびに太鼓」に所属、演奏・指導経験を通して、「人は、支えられてこそたくましく生きてゆける」と体感。青少年よみがえりの場「短期るんびに苑」にも関わる。   平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。ご法話や講演などをご希望の方は、遠慮無くお声かけください。  グリーフケアアドバイザー1級 発達障害コミュニ ケーション初級指導者 つどい・さんあい運営委員
ご相談時間はご希望をいくつかお知らせくださいね。 ◆「絵本のお坊さん」として、絵本を通じて人生を見つめ直す活動を行っています。◆死別、離婚、退職、不安など、様々な喪失を抱える方のお話に寄り添い、仏道の教えを分かち合いながら心を癒すお手伝いをしています。◆資格:グリーフケアアドバイザー1級、発達障害コミュニケーション初級指導者。

「無理をする」ではなく「負荷をかける」が適切では。

亀山純史と申します。私の考えを述べさせていただきます。
「無理をして練習する」ではなく、「負荷をかけて練習する」が正しいのではないでしょうか。「無理」と「負荷」は違います。「適切に負荷をかける」とは言えても、「適切に無理をする」と言う日本語はありません。それは、「無理」とは「道理に合わない」ことであり、それは「適切」とは相反する言葉だからです。それに対して「負荷」とは「道理に合う」手だてですので、「適切に負荷をかける」とは言えるのです。
以上が私からの回答です。参考になさってください。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

こんばんは。
無理という言葉にどんなイメージを持ちますか。

たとえば、
骨折や靭帯を痛めてる時に、悪化するのを承知で走る。
台風で避難勧告が出ているのに堤防を走る。
トイレや食事をとらずに、ただ走る。
クールダウンや体の回復や成長を促す時間をとらず、多々ひたすら体を動かす。
上記の行動はDai さまの感覚だと努力になるのでしょうか、
あるいは無理、無茶になりうるのか。

限界かどうかの物差しでいうと
当たり前<努力<無理<無茶 くらいの扱いで私は言葉を考えています。

また、強さの質をどこに設定するかをちゃんと考えないと
報われない努力になってしまう恐れがあります。
短距離、長距離、投てき、跳躍、それぞれ求められるものが違います。

練習の目的が選手生命を縮めたり、身体を壊すことなら、、
無理して行うことは一つの方法になりますが、
練習の目的が強くなることなら、
体調管理をすべきだと私は考えます。

これはあくまで、私の感覚で、理解の助けになりそうなら御活用かださい。

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hasunohaに出会えた私は幸せ者。地方の町の小さなお寺に居ます。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しいですよ。街のイルミネーションはまぶしく、人混みは得意じゃないけれど、ここでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
一人だけで抱えられるほど軽くないのがイノチ。僧侶となって40年経ちました。 社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みなくても話してみたいときは相談ください

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