天使を信じてもいいですか?
違う世界の霊の話をしてすみません。
こんなこと聞くことではありませんが、私の実家は仏教です。私は、天使を信じたいと思ってます。でも、家が仏教だとそういうのは無理ですか?
仏様でもいいのだけれど私としては天使を信じたい気持ちはありました。願いは届くんでしょうか?違う形でもいいから感じ取りたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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良いと思います。ちなみに仏教で説く天使とは・・・
神からのお告げをもたらしてくれる天使への期待と憧れということでしょうか?そいいう期待を持つ心情は理解できます。まあ、最近報道でよく出てくる某団体のように、「天使の皮を被った悪魔の如き」という場合もあります。世の中には、天使を標榜する偽物も跋扈してます。正しい教えを伝えてくれる天使かどうか見極める力を身に着けるよう、学びも深めて下さい。
ちなみに仏教経典にも天使は登場します。但し、キリスト教の天使とはちょっと違います。
人間世界において悪事をなし、死んで地獄に落ちた罪人に、閻魔【えんま】王が尋ねた。
「おまえは人間の世界にいたとき、三人の天使に会わなかったか。」
「大王よ、わたくしはそのような方には会いません。」
「それでは、おまえは年老いて腰を曲げ、杖【つえ】にすがって、よぼよぼしている人を見なかったか。」
「大王よ、そういう老人ならば、いくらでも見ました。」
「おまえはその天使に会いながら、自分も老いゆくものであり、急いで善をなさなければならないと思わず、今日の報いを受けるようになった。」
「おまえは病にかかり、ひとりで寝起きもできず、見るも哀【あわ】れに、やつれはてた人を見なかったか。」
「大王よ、そういう病人ならいくらでも見ました。」
「おまえは病人というその天使に会いながら、自分も病【や】まなければならない者であることを思わず、あまりにもおろそかであったから、この地獄へくることになったのだ。」
「次に、おまえは、おまえの周囲で死んだ人を見なかったか。」
「大王よ、死人ならば、わたくしはいくらでも見てまいりました。」
「おまえは死を警【いまし】め告げる天使に会いながら、死を思わず善をなすことを怠って、この報いを受けることになった。おまえ自身のしたことは、おまえ自身がその報いを受けなければならない。」
仏教伝道協会編『仏教聖典』より
http://www.mt-silver.org/BOOK/SEITEN/seiten50.htm
つまり、仏教では、老人・病人・死者が天使であると説いているのです。
高田光胤著『三人の天使 好胤説法二十章』講談社文庫の中でも、引用して語られております。
質問者からのお礼
返答ありがとうごさいました。