大切にされなくて辛いです
こんばんは、いろいろ考えて眠れなくてご相談にあがりました。
私は比較的厳しい家庭に育ち、いい子であるよう、人の気持ちに寄り添うよう、正しくあるよう教えられてきました。
それが間違った方向に根付いたのか、物心つく頃にはやたらに人の顔色を伺い、相手の望むよう返答し行動し、自分というものをいつしか見失ってしまったように感じます。
社会人になってからも、正しく優しくという思いとともに生きて、表面的には誰とでも仲良くできる、明るく社交的と評価してもらえてはいますが、その実相手の意図を必死で読み取り不快にさせないようにと常に神経を張って、気疲れする日々です。
人に軽く扱われることが多く、この人なら怒らないだろうと約束をドタキャンされたり、他の人には自制している機嫌の悪い人に自分だけ八つ当たりされたり、たびたび悲しい思いをします。
きっと無意識に相手の機嫌を取るよう下手に出ているのを見透かされ、段々と都合の良いように扱われだすのかなと思うのですが、心の底にある、必死に頑張らないと人から必要とされない、居場所がないという恐怖が勝り、理不尽なことをされても強く反論もできません。
交際している彼とももう15年の付き合いになりますが、仕事が安定してない、経済的に余裕がないなどのらりくらりとはぐらかされて、もう子供も持てない年齢になってしまいました。
会社や、親戚の若い子たちが次々に家庭を築いていくのを見て、とても苦しい気持ちになります。
会社も勤続20年を超え、それなりの経験と実績を積み信頼も頂いていますが、誰もやりたがらない仕事を真っ先に頼まれたり、また頼まれた人に名指しで押し付けられたり、人の仕事を手伝ううち丸投げされたりと、悲しい思いばかりで、自分の存在意義がわからなくなりました。
年齢も40半ばになってきて、更年期的なものもあるのかもしれませんが、将来に対する不安、このままずっと人にないがしろにされながら生きていくのかという悲しみ、上手に生きている人や、幸福に見える人への羨望と嫉妬、そこから脱却できない自分自身への嫌悪感で、疲れ果てて気力がわいてきません。
見返りを求めるのにも似た、浅ましい願いなのかもしれませんが、人から愛されたいし、大切にされたいです。
どうしたらこんな、悲しい、寂しい、苦しい思いから脱却できるでしょうか…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
動く
ご相談拝読しました。
文章からも大変に真面目で、いつも他者のことを優先してしまうような優しいお人柄が伝わってきました。
しかし、それでいてその在り方にあなた自身も振り回されて疲弊してきているのでしょう。
「大切にされたい」
それは誰もが抱える欲求でしょう。それを脱却できる人などいないのではないでしょうか。その欲求は自然なものとして素直に認めてしまった方がよいと思います。
さて、そんなあなたを救うのは
あなたを大切にしてくれる人が現れてあなたの人生を劇的に・・・なんてことは万が一つにあるかないかのおよそ期待するのは心許ないものでしょう。
あなたを救うのはやはりあなたなのです。それはあなたが思うあなたではなく、自分では気づかないもっと大きなあなた。
世界が変わらずとも世界を見る目が変われば、あなたに見える世界は変わります。
とはいっても、環境が変わらなければ中々自分自身を変えることも難しいです。思い切って彼氏さんと別れるとか、退職するとか、劇的に環境を変えてみるのも一つですし、あるいは小さな事から変えていくのも一つです。
他人に嫌われたっていい、他人があなたの人生を生きてくれるわけではないのですから。理不尽な頼まれごとは断ることから始めて見るのもありでしょう。
待っていても始まらないから自分から動いていく。攻めの姿勢でいきましょう。
苦しい思いから脱却するのでなく、苦しい思いも引っくるめてあなた自身を大切に出来るように・・・行動あるのみです。生じてくる思いの一つ一つをどうにかしようとするのでなく、思いの源泉であるあなた自身という器に向き合う。あなたという器はあなた自身の行動で形成されているのです。好きな形に変えてみたっていいのです。
応援しています。
自分を褒めてあげましょう
ご相談いただきありがとうございます。
なつめ様は非常に優しい方ですね。なつめ様のような生き方は中々できることではありません。これまでたくさんの苦悩、ストレスがあったと思います。しかし、なつめ様の存在で助けられたという方も多いと思います。彼氏様も15年も一緒に過ごしてお互いに助けられている部分もあると思います。自分を大切にする人は周りを大切にします。お釈迦様は「幸福はたくさんの人と分け合っても減らない。」(『四十二章経』)とおっしゃいました。この言葉を一本のたいまつの火に例えられています。たいまつの火から何人もの人が火を取り分けても、もとのたいまつの火は減ることがありません。むしろ分ければ分けるほど周りが明るく自分も安心します。この幸福を優しさと考えますと、なつめ様の相手が不快な思いにならないように気をつかう優しさは周りに安心感を与えているはずです。そうでなければ、表面的でも誰とでも仲良くできる、明るく社交的と評価すらされてないはずです。そのような気疲れする環境にもかかわらず、20年も働いている自分を自分で褒めてあげましょう。その中で無理をしすぎないようにしていただきたいと思います。
質問者からのお礼
●吉武文法さま
お返事ありがとうございます。
「大切にされたい」とは、身に過ぎた望みではないのですね。あまりに悲しいことが多く、私などがそう望むのがおこがましいのかもとまで思っていました。
仕事を辞めれば同僚に迷惑がかかる、彼と別れると僅かながらも必要としてくれた人を失う、だから変化できないと怯えていました。
でもあらゆる場面で、うまく言えないからと自分の気持ちを伝えるのを怠っていた部分もあったと思います。そんな自分に気づかせて下さって、ありがとうございます。
激変は難しいにしても、彼を初め、嫌なことは嫌、それはできない、これが私と伝えることから始めようかと思いました。
応援ありがとうございます!
●釋透顕さま
お返事ありがとうございます。
自分自身認めてあげられない私にたくさん肯定のお言葉をかけて下さって、ありがとうございました。
「自分を大切に」…これが私にはとても難しいテーマです。人に大切にされないから、どんどん自分の価値を見失って、大事にされない自分に問題があるんだ、自分が悪いんだと思いつめるようになっていたので、頂いたお返事に、ただただ、救われる思いでした。
日常、ひとつひとつ小さなことでも、今日はこれができた!こんなふうに考えられた!と自分を褒めることからスタートしたいと思います、ありがとうございます!