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余命3ヶ月と宣告された母に・・・

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先日 母が肺がんだとわかりました。検査などの結果 末期ガンで余命3ヶ月と宣告されました。医師からの突然の余命宣告に茫然となり、頭の中が真っ白。ショックと悲しみで毎日泣いています。あまりにも短い母の命の期限に 私は母に何をしてあげられるのか?何をしてあげたら良いのか必死に考えています。考えていても やはり母の事を思うだけで涙が止まらなくなってしまいます。どうにか母が 幸せな気持ちで限られた時間を過ごせるように、娘として精一杯の事をしてあげたいと考えております。私は母に何をしてあげたら良いのでしょうか?
アドバイスをお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

n-amida

namida poroporoさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。

突然のお母さまの重病、余命宣告…とてもショックを受け、悲しみの中にいらっしゃることと拝察いたします。名前どおり、昼も夜も涙をこぼしていらっしゃるのではないでしょうか。

限られた時間ですので率直にお尋ねしますが、お母さまは病気・余命のことはご存知ですか。本人に伝えるかどうか意見が分かれる所ですが、私は本当のことをお伝えしなければならないと思います。なぜなら、事実を知る家族はウソをつき続ける苦しみを抱くことになり、本人は薄々気づきながらウソに付き合う苦しみを抱くことになるからです。

もしご存知だとすれば、お母さまの様子はいかがですか。ショックで涙にくれているでしょうか、呆然としていらっしゃるでしょうか、自暴自棄になっているでしょうか。それとも逆に周囲の人を気遣うような状態になっているかもしれません。

どんな状態であっても大きな不安をお持ちです。なるべく一緒にいて、話を聴いてあげてください。色々なことを仰るかもしれません。たとえ現実と違うことを口にしていたとしても、お母さまの「気持ち」に耳を傾けるよう、配慮なさってみてください。

話は変わりますが、お名前の最初の「n」を取ると「amida」となりますね。私のプロフィール写真に写っているお寺の本尊はamida、つまり阿弥陀さまです。全ての生きとし生けるものに寄り添い、救うと誓っていらっしゃる仏さまです。お母さまも、貴女も、もちろん私も、阿弥陀さまの慈悲の中にあることを心の片隅にご記憶いただければと思います。

これから苦しい日々が続くことと存じますが、「娘として精いっぱいのことを」とおっしゃる貴女を、仏さまには及びませんが私たち僧侶が精一杯お支えいたします。

◎追記
お母さまは病気のことをご存知なのですね。それでも冷静で穏やかで、そして美しくいられるのは、3人のお子さんたちの存在があってのことでしょう。

25日より始まる治療が効果を表すことを念じていますが、どんな薬よりも家族の絆が最も大切なのだと思います。どうぞ今なさっているよう、ごきょうだいでお母さまに寄り添い支えることが、何より後悔を生まないことだと存じます。

引き続き、声援を送らせて頂きます (−人−)

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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やるべきことは3つ!

拝見させて頂きました。
お母様の余命宣告…お辛いですよね。心中お察し致します。

今から貴女が行うべき事は
お母様に今までの感謝をしっかりと伝える事
お母様に自分の育児は間違っていなかったと成長した貴女を見せること
お母様に安心して後を任せてもらうこと

余命宣告は確かに辛いです。ですが、泣いても悲観に明け暮れてもどうしようもありません。
貴女の辛さは承知しておりますが今一番お辛いのはお母様ですよね?
貴女は貴女の言葉でお母様の人生を肯定して上げてください。
貴女はお母様から産まれた子供です。その子供が自分の教えを肯定し感謝してくれるのでしたら、どれだけ嬉しいでしょうか。また、その子供が自分がいなくなった後も大丈夫だと思えたらならどれだけ力強いでしょうか。

貴女が貴女らしく振る舞うこと

その一つ一つがお母様に安心をもたらすのです。
悲しんだって構いません、寧ろそれは当然の事です。
その悲しみも含めて
『ありがとう』
でよろしいのではないでしょうか。
どうか心穏やかに過ごして下さいますようご祈念致します

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おきもち

日蓮宗の僧侶をしております 祖山での修行、荒行を終え現時点での精一杯でお...
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質問者からのお礼

なごみ庵 浦上哲也ご住職様
早速のご回答 有難く拝読させていただきました。母は自分の余命の事を知っております。担当医の先生より 先に私達家族に余命の事を告げられました。父は すでに15年前に他界しておりますので 残された私達3人兄弟に伝えられました。母の余命を聞いた時には兄弟3人で泣きました。一番下の妹はショックで何日間も食事が喉を通らない状態でした。兄弟3人で話し合い、悩み抜いた結果、母に余命の事を話そうと決め、意を決して話をしました。母は取り乱す事もなく、泣く事もなく、目を閉じ、とても 冷静な様子でした。私達に「余命の事を話してくれてありがとう。」と言いました。母の心中を考えると 辛くて辛くて仕方がありませんが、これでよかったのだと思います。母は毎日 心穏やかです。これから わずかな残された希望の一つである 放射線と抗がん剤をし、大きく広がった癌を小さくする治療が始まります。この治療も 母の希望です。僅かな望みがあるのならば 辛い治療だとしても癌に立ち向かって少しでも長く生きたいという母の希望がありますので 母の希望であれば 私達は どんな協力でも全力でする気持ちがあります。限りある時間ならば 母のやりたいように、納得するまでやらせてあげようと思います。相変わらず 毎日涙が溢れて止まらず 誰も見ていない所で泣いてばかりですが、浦上ご住職様の回答で 心救われました。毎日 阿弥陀様に手を合わせ 母の最後の時まで 笑顔で そばに寄り添いたいと思っております。世界に一人しかいない 私達の大好きな愛する母に感謝しながら。
4月25日より治療開始です。どうか 治療もうまくいきますように・・・・

普門院 武田正幹ご住職様
心強くなる回答をいただき、まことにありがとうございます。母は自分の余命の事を知ってから とても心穏やかです。 私自身が母の立場であったとしたら、果たして私は 母のように冷静で、心穏やかでいられるだろうか?母の強さや偉大さに 改めて尊敬と敬愛の念を強く強く抱いております。うまく言葉で表現する事が出来ないのですが 何かを覚悟したといいますか、強い心の中の物が 表情にも現れて 母は美しいのです。
残された限りある時間ですが 私達は兄弟3人で 最後の時まで母を支えていきたいと思います。 幸せな事に 兄弟3人はとても仲が良く、 お互いの言いたい事を言い合い、本当に良い関係です。母は私達が小さな頃から「兄弟仲良く、何かあったら結束力を深めて協力し合って!」という事を言っています。
ずっとずっと兄弟3人の仲が良いので 母は 自分が亡き後も 心配は無いと安心してくれていると思います。
私達が仲良くいられるのも、素晴らしい兄弟がいるという事も、父と母が出逢い、結ばれ、私達を生んでくれたからこそなのです。感謝してもしきれないほど感謝の気持ちで一杯です。
武田ご住職様の言われるように、毎日 母に感謝の気持ちを伝え、心穏やかに 笑顔でいてもらえるように努めたいと思います。

「大切な人が危篤・余命宣告」問答一覧

生きている意味がわからない

夫を亡くして4年です。 長い闘病期間でしたが、話すことも出来なくなった夫に対して、私は側にいる事しか出来ませんでした。 当時、コロナで病院の面会は禁止となり、側にいることすら出来なくなりました。 1人で病室にいた夫がどんな思いで過ごしていたのか、どこが痛くて、どうして欲しいのか、それすらも聞く事が出来ないまま、最期は私の目の前で息を引き取りました。 なぜ、夫だったのか?と今でも思います。 私の家族の誰かから亡くなる人を選ばないといけないなら、私だったら良かったのに…今でも思います。 夫が亡くなった時は学生だった子供も、今では新しい家庭を作りました。 夫が亡くなり、もし私に何かあったら子供が1人になってしまうと必死に生きて来ましたが、その子供が新しい家族を持った今、私はもう全ての役目を終わらせてもいいのでは?と思っています。 自分の人生を自分で終わらせようとは思っていませんが、生きる意味も意欲も全くありません。 人前では平気な顔をしていますが、仲良く過ごす夫婦を見たり、ご主人の悪口を言える幸せに気づいていない奥さん方の話がどんどん私の心を黒く暗くしていきます。 夫が亡くなる直前に実母、夫が亡くなった直後に実父と次々に心から信頼できる家族を失ったことも私が誰にも本当の心を開かなくなった理由かもしれません。 ふと私はこれからずっと1人なんだと気づいた瞬間から絶望しかありません。 もう限界かな、と思っています。

有り難し有り難し 17
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娘の結婚と義母の死去

お読みいただきましてありがとうございます。 私には何度かの流産を乗り越え授かった娘がおります。 小学生の時からパニック発作を抱えていて、断薬の中妊娠・子育てに入り24年。 このたび娘から好きになった彼と結婚が決まりました。 24年間パニックを堪えながらも次第に症状も消え、(娘の前では発作を起こした姿を見せないようにしてきました)旅行もできるほどになりましたが、 先月義母が急逝。今までは身内の葬儀もお骨を拾うことが出来ず休ませてもらっていましたが、今回はお世話になった義母のため最後まで立ち会いました。 葬儀後は、悲しみやパニックにならないよう娘の結婚準備に専念していましたが 持病的なものの再発をきっかけにどんどん体調が悪くなり、強張る体・胃の不快感・不眠症と、パニックも再発しそうな気配です。 仲良しすぎる娘がお嫁に言ってしまう寂しさを言葉に出せず、ずっと秘めていて 苦しくてたまりません。いい母親ぶってせっせと引っ越しを手伝っていますが 娘がいないところでは体調不良で起き上がれない時もあります。 娘の母親ならどなたも体験することかと思いますが、特にパニックを起こさないような心構えがありましたらご教授下さると幸いです。

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離別の苦しみに向き合うには

こんにちは。 初めて質問させていただきます。   以前までは人並みに幸せな人生を過ごしていたと思います。 しかし、数年前に愛猫、祖父を亡くし、就職を機に実家を離れました。 孤独や悲しみを背負いながら、日々を生きておりましたが、最近になり両親が大病を患ったという報告を受けました。余命宣告はまだ受けておりませんが、ネット情報の海を潜ると5年生存率が数%しかない現実を突きつけられました。数年前に愛猫を失った記憶がフラッシュバックし、不安に過ごす毎日です。 人や動物はいつか死ぬものと知識としては理解しているのですが、見送るたびに胸が引き裂かれそうな悲しみに駆られます。もう何も失いたくないという思いの反面、また一つ私の大切なものが失われそうな現実を突きつけられ、自分の気持ちが整理できず、混乱しています。   いくつか質問させていただきます。 ① 迫りくる離別の恐怖に対して、これから私はどう向き合えば良いのでしょうか。世間の大人の方々は親を亡くしているにも関わらず気丈にふるまっていますが私にはその自信がありません。何か別れに対する心構えのようなものを頂けますでしょうか。   ② 神様?はなぜ我々に離別の苦しみを与えるのでしょうか。 出会って、愛をもらい、いつかは別れる。私も生を受け、たくさんの愛をもらい、最期には手放して旅立つと思います。法事やお坊さんのインタビューの中で「諸行無常」や「執着はいけない」といったキーワードをよく耳にします。そうであるならば、なぜ神様?は我々に「手放したくない」といった執着の思いをさせるのでしょうか。最初から出会わなければ、生まれなければ、我々は苦しみを感じずに済んでいると思います。   自分の気持ちの整理がついておらず、うまく文章化することができませんでした。 抽象的な質問になりますが、ご意見やアドバイス等頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 10
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背中を押してください。

ガン闘病中の主人のことでお話しをきいてください。 一度は死を意識し腹をくくったつもりでしたが、本人の頑張りもあり仕事復帰もしまた日常に戻ることができていました。 誰もが逃れることのできない死まで残された日をカウントダウンするのではなく、これからは1日1日を足して生きていこうと心がけていました。 それでも、元気な姿をみていたらいつしかこのまま治るのではないかと思ってしまっていました。 もっと早く転移箇所の手術をしていたら… もっと私が病気のことに真剣に向かいあって調べていれば… 人間だから必ずお別れの日がくるけれど、主人とは1日でも長く一緒にいたい… たとえお互いに1000年の命があっても満足することはないでしょう。 やり場のない気持ちをどうしていいかもがいている最中にhasunohaにご縁をいただきました。 諸行無常、今目の前のことだけに集中して生きていく… 他の方の問答を拝見させていただき、自分の気持ちに近いものが沢山ありとても助けていただいております。 仏教の智慧も知ることができ、もっと勉強したいです。 おかげさまで落ちついている時間も増えてきました。 手術していたら治っていたかという、生死とは単純なものではないと少しだけ考えれるようになってきました。 それでもどうしようもない悲しみや主人を失う恐怖におそわれてしまいます。 そしてやはり手術に対する後悔と自分の至らなさの懺悔の気持ちにとらわれてしまいます。 そんな時は南無阿弥陀とおとなえすることしかできません。 今は入院しての抗がん剤治療中ですが、もうすぐ帰宅予定です。 本人は淡々と受け入れていくと申していましたが、本当の気持ちは今はみえてきません。 主人の前では笑顔でいたいです。 今までどおり、できる事をしていきたいです。 みえない先の心配は何の意味もないことを教わったつもりですが、目を背けてしまわないよう、逃げてしまわないよう何かお言葉をいただけないでしょうか? このように話を聞いていただける場をご提供いただけたことに改めて感謝申し上げます。 どうぞよろしくお願いいたします。

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大切な人との別れ

私は今海外にいます。婚約者と1年間同棲して、暮らしていました。 3ヶ月前彼女が腹痛を訴え、夜中に嘔吐したので朝病院に連れて行きました。彼女はそのまま救急車搬送された、今の今までに集中治療室にいます。 つい3週間ほど前に医者からもう回復の見込みはないと告げられました。どんなに投薬しても、助かることはできないようです。 彼女には連れ子がおり、私は心からその子を愛し、我が子のように向き合ってきました。 彼女が入院してから、子供は生物学上の父親のもとにいます。この国の法律では僕はどうやっても子供には会えません。 この3ヶ月の間に、全てを奪われてしまった気分です。 精神的にも限界がきてしまい、自殺も考えました。 この先僕の人生は一生苦しみを背負って生きていくしかないのでしょうか。 楽になれる方法はあるのでしょうか。 本心では彼女に回復してまた家族で暮らしたいとそうなって欲しいと願っているものの、それはもう無理だと理解しています。 誰が、何がいつどうやって僕をこの苦しみから解放してくれるのでしょうか。 今は家に落ちているシール一枚や、壊れたおもちゃを見るだけで心が締め付けられるようで、涙が溢れてきます。 彼女も気管切開もされており会話ができず、そもそも本人が苦しまないようと、投薬で眠らされている状況で苦しんでいるのを分かっていて、なんで僕たちだけがこんなに苦しまなきゃいけないんだと、やるせない気持ちでいっぱいです。 めちゃくちゃな文章なのは分かります。ただ僕は今は藁にもすがる思いでハスノハに投稿させていただいています。 魔法のように僕が楽になる方法がないのは分かっています。 昨日も心の相談窓口に問い合わせたけれどもやっぱり僕の心は救われませんでした。 死ぬしかないのか、生きるならこの苦しみを背負っていくしかないのか…そんなふうに考えてしまっています。 どうか、教えてください。僕はどうしたらいいんでしょうか。どうやって生きていけばいいのでしょうか。 生きていかないといけないんでしょうか。僕を引き留めているのは僕のことを心配してくれている家族だけです。 めちゃくちゃな文章ですけど、何卒回答をよろしくお願いいたします。

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母の余命宣告を受けて前に進めません。

1週間前に母の余命宣告を知りました。 3年前に癌の再発が分かり、今まで治療を続けてきました。現在は同居しています。 治ることはないと言われていたのでいつかはこの日が来ることを覚悟していたことですが、実際に宣告を受けた時から毎日、明日が来るのが怖くて泣いてしまいます。 母とは二人暮らしで、私には父兄弟がおらず親しい親戚もいないため、 私がしっかりして、色々と決ねばならない手続きなどを早めに決めて、余生をどう充実させるかに目を向けないと行けないことは分かっています。 しかし心が着いていかず、近い未来独りぼっちになる恐怖に毎日怯え、自分自身が生きることに後ろ向きになってしまっています。 誰しもがいつか迎える状況だとは理解していますが、早すぎる時と抱える事の重さがつらいです。誰かに胸の内を言うこともできず、つらくて書き込みさせていただきました。 こんな世界が本当に嫌で、もし全て終わったら私も消えてしまおうかなと考えることも多いです。 今後の自分の未来にはもう、楽しいことや嬉しいことなんてないのではないかと強く思います。 今はまだ母は日常生活ができる状態ですが 時間はあまりなく、自分がこんな状態でいる場合ではないのに自分のことでいっぱいになってしまっている自分に嫌気がさして余計に消えたくなります。 患者家族は元気な姿を見せ、サポートに徹さないといけないのですが、こんな状態で母にも申し訳ないです。 未来が怖くてたまりません。 どういう考え方をすれば、受け入れて前を向けるのでしょうか?情けなく弱い自分に喝をいただけませんでしょうか。

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父親の余命宣告を受けて、今何ができるのか

私の父親(75歳)は、重い肝疾患を患っており、大学病院で40歳から35年間、病と向き合ってきました。 ここ2年間は、手術などの為入退院を繰り返しておりましたが、なんとか退院して自宅で生活することが出来ていました。しかし3週間前に自宅で、肺炎で高熱が出て、救急車で運ばれ入院することになり、みるみるうちに体力がなくなり、今は、病室のトイレに行くのが精一杯で、移動の際も車いすにのっており、家族や本人も、この急激な変化に驚いています。 今回は回復がなかなか進まず時間がかかるようです。長年お世話になった大学病院にはもう出来ること(治療)がありませんので転院してほしいと言われました。父は、最後までこちらでお世話になりたかったようで、 その説明があったときの父の悲しい顔 を見たときはとても辛かったです。 次の転院先は自宅に近いのですが、規模の小さな病院で、不安もありますが、父は、自宅に帰ることを希望しているため、このような判断になったのだと思います。(介護など地域連携を考えて) 今、コロナ感染予防で、入院先では面会禁止となり、こんな時でも会って話が出来ないもどかしさや、 本人の希望通り、出来ているのか、 自分が今出来ることは何なのか? 焦りもあり、ご相談致しまた。 よろしくおねがいします。

有り難し有り難し 26
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ