お母さんは、喜んでくれるだろうか?回答受付中
迎えた生みの母の月命日、年に一度の大会議があり、私のチームの発表の結びは『お母さんは、喜んでくれるだろうか?』でした。寺の本堂で、夕食のあとに銘々が話す機会をいただき、皆さまにありのままを伝えました。
・母のとき、導師を務めさせていただいたこと
・様々な障壁、思い通りにいかない苦しみを経て生きてきた両親が、それでも私たち姉妹を育て上げてくれたことへの感謝
・責任を持って、お墓をたのみまいる意
・日々のこと
「皆の生活がかかっているから」と懸命な、母のように慕うその人は私の話の途中で、両手で顔を覆い涙を…
家族のような絆で結ばれた、父のように慕うお坊さんは、会の後に廊下ですれ違うとき「茗荷さんのお父さんになろう」と、誓ってくださいました。
その日の朝勤行は、地元の子どもたちも参列、開始早々ぐずってしまった幼子に、辛抱強くお経を読むお母様、幼子が自分で作ったお念珠を手にした時、私は通路を開けるために元の席に戻りました。程なく椅子を乗り越えて、幼子はこちらに来ました。
お母さまは勤行の間、怒りませんでした。若坊守は、実のお子さん達によれば「厳しいお母さん」で心底、親子のかかわりを目の前に、苛立ちがあるのではと余計な心配をしましたが、幼子がふと若坊守を見た時、最高の笑顔でずっと包み込んでいました。
自分の和讃の声は、涙とともに震えつまりました。後ほど若坊守は「わかりますよ。」と、笑顔で燦々と頷いてくれました。
今思えば一部始終、襖一枚の向こうで、黙って大坊守は、お聞きになっていたのかもしれません。
数か月前、営繕の同僚は、若坊守に「大坊守が非常に厳しい御方だった、だから、厳しいことを言うけれども…」と営繕の同僚をきつく叱った折に強く念を押したそうです。
初めてお会いした大坊守は、司会から紹介をうけ「初めてお目にかかる人も多いのですが…前坊守の…」と深々と、ゆっくりとお辞儀をされました。
住職の涙も、悔しさも、海外へ逃げようと迷った苦労も皆一心に聞きました。前坊守が話す間「お母さん、ちょっと話していいですか」と住職が話始め「いま、この子は、焦っています」と皆に微笑み「人の話は最後まで、聞きなさい。あなたの選ぶ道が、どれだけ厳しいか…本当に」と諭されました。
これからも、法を聞きてよく忘れず、精進させていただきます。
どうか私の母と、母に…何卒ご法話をお願いします。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたがお母様のご命日を「仏さまの教えと共に」「人とのご縁の中で」丁寧に過ごされたこと、何よりも深い仏縁に包まれている証と拝察いたします。
お母さまを思い、涙で震える声を絞り出しながらも、感謝の心、受け継ぐ覚悟を言葉にされたその姿に、周囲の方々もまた、心を動かされたことでしょう。
人は、大切な人を失ったときに初めて、「いま、私はこの命をどう生きようとしているのか」、「この悲しみを、どう意味づけるのか」という問いに向き合う事が多いのではないかと思います。お母さまは、残念ながら娑婆世界にはいらっしゃいませんが、お浄土からあなたの人生を見守り、大切な場面でそっと背中を押してくださっているのではないかと思います。
仏教では、「ともに生きてくださるいのち」として、亡き人を“私のいのちの奥”に迎え入れるという考え方があります。それは、お墓の向こうや、空の彼方に“置いてくる”存在ではなく、私の“生き方”の中にともに在る、私と供に私の人生を歩む、という考え方です。
仏さまの教えは、こうも語ります。
「われ先にと、はからわず、後におくれて、とがめず、
わが身を顧みて、おこたりなく、法を聞きて、よく忘れず、
念仏を称えて、仏恩に報ずべし。」
誰か特別な人や立派な人になろうとしなくてもいい。ただ、故人様を忘れずに、生きていく。日々の暮らしの中で、ふと手を合わせ、亡き人に「聞いてほしい」と語りかける。それも立派な仏道だと思います。
どうか、これからも日々のなかで、お母さまと語り合ってください。お念仏を称える声が、あなたとお母さまの心を繋ぐと思います。その“想いの道”が、やがて「仏さまの道」へと続いていることを、どうか信じてください。
願わくば、お母さまがあなたの中に生き続け、その“いのち”がまた、誰かを照らしていく事を願っています。
合掌
あなたの“歩み”こそが、供養である
仏教では、「供養(くよう)」とは、香・華・灯明・飲食などをお供えすることにとどまりません。
もっとも尊い供養とは、仏の教えを聞き、自らの行いとして実践し、生き方として顕すことであると説かれています。
あなたが、迎えた母の月命日。
その日に語ったのは「お母さんは、喜んでくれるだろうか」という願い。
それは、まさに母を想う供養のこころが、あなたのいのちの奥から湧き出た瞬間ではないでしょうか。
お母さまの歩み、そしてその姿を見て育ったあなたが今、
人々の前で言葉を紡ぎ、涙をもって手を合わせ、
誰かの涙に寄り添っている。
それこそが──母の愛が、法となってこの世に今も生きている証です。
母の愛は、形を変えてあなたの中に脈々と息づき、
あなたの言葉となり、行いとなり、場をあたため、誰かを救っているのです。
幼子と母の姿に、心が震えたのも、
厳しさの奥にある深い慈悲に触れたのも、
きっと、あなたの中に「母を知る心」があるからです。
人は、誰かのまなざしによって育ち、
誰かの声によって目覚め、
誰かの涙によって、また歩き出す勇気をもらう生きものです。
「わかりますよ」と頷いてくれた若坊守、
「お父さんになろう」と誓ってくれたお坊さま、
「焦っている」と言いながらも優しく見守る住職。
これらすべてのご縁は、あなたが誠実に生きてきた証であり、
亡き母が「この子を、どうかよろしく」と、
仏の縁で結んでくださっているのかもしれません。
どうか忘れないでください。
あなたの歩みそのものが、母への供養であり、
仏の道にほかなりません。
悲しみは、愛のかたちを変えたもの。
涙は、祈りとなり、願いとなり、やがて光になります。
この先も、「聞き、忘れず、実践し、生きる」こと。
それが、何よりの恩返しであり、母に届ける真の贈りものです。
合掌
質問者からのお礼
釋兼高さま、ありがとうございます。
何度も拝読し、目頭が熱くなり、お礼を書いては消し、書いては消し…ごめんなさい、まとまらなくて、つぶやきに寄り道してしまいました。
母は娑婆の世界にはいませんが、いつも声や眼差しは聞こえてきます。
「お母さん」と呼びたくなるその人もかつては、お母さんになりたかった時があった。
一分、皆さんの前でマイクをいただく時間が与えられ、あとで「発表ありがとう」と労ってくれました。
ここ最近、いつ浄土へ往く日がきても、後悔はないといえるほど、何かが真っ白になった日もありました。
「まだ早い」と、朝の山門で小さなお坊さんを迎える僧侶の大先輩に笑い飛ばされました。
幸せな日にも、いつか終わりがくる。必ず限りがある。
今のうちに、お母さんとの絆を、紡いで往く。
浄土で再び遭うまでに沢山の想い出を積み重ねて生きたいと願います。
合掌