ゲームで燃え尽き症候群になってしまった
はじめまして。最近とあるゲームをプレイしたことがきっかけで燃え尽き症候群のようなものになっています。
無事クリアできたことは素直に喜ばしいのですが、そのゲームのテーマは"過ちが人間を決めるのではなく、過ちの後が人間を決める"という言葉で言い表せるような非常に重いものでして。普段からもう1つの趣味として仏教に関連する本を読むのですが、重なる部分が沢山あった作品でした。
また昔から、良いように言うなら感受性豊かな傾向にあり感情の揺れ動きに疲れてしまうため、重厚なストーリーのエンタメ作品に触れるのはなるべく避けていました。今回久しぶりに軽い気持ちで手に取ったら、思っていた以上にのめりこみ、その作品のことばかり考えて食事もあまり喉を通らないという体たらくです。
本当に情けなくて、暗い過去や罪の重さに苛まれながらも答えを見つけた登場人物たちと比べて自分は…と思うとため息ばかり出ます。
どうすれば早く立ち直り、日常生活に戻れるでしょうか?
タイトルの通りゲームを通じてですが、やはり仏教に通じるような考え方には深く感銘を受けたので、こちらでスペシャリストである僧侶の方々からお言葉をいただければと思い質問させていただきました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
作品に影響はされても、自分の人生や生き方と重ねてはいけません
そんなゲームがあるのですね。
これは、あくまでもゲーム用ストーリーなのですよ。
作品に影響はされても、自分の人生や生き方と重ねてはいけません。現実と物語の線引きをしましょうね。
私も感受性が強く、本を読むと引き込まれますし、自分と重ねやすいです。だから読書は好きだし、物語を好んで読みます。現実逃避が出来るからです。ですが引き込まれるのは、読書中だけ。読み終えたら、いつもの自分に戻ります。自分は自分であり、他の誰にもなれません。あくまでも、影響を受けて気持ちを揺らしただけです。
俳優さんが、役を演じてしばらく抜け出せなくなったという話はよくあることですね。台詞を言うだけでなく、身なりから環境まで整えられ、その中で数ヶ月も演じるからこそでしょうね。
ですが、「私は俳優〇〇」という存在を自分軸とする生き方をなさっているので、いろんな役を演じていけるのでしょう。
私は、悩んだり影響もされやすいですが、だからこそ 人の悲しみや痛みがよくわかります。僧侶は超越をした人というより、悩める人だから道を求めるのだと思っています。
私だから出来ることをしたいと思い、今の仕事や活動があります。
あなたも、自分軸はしっかりと、しなやかに揺れていってくださいね。その感受性に、助けられることもありますよ◎
質問者からのお礼
真摯にご回答いただき、ありがとうございました。思い悩むことの多い日々ですが、心が軽くなりました。
まだまだ苦手ですが少しずつ日常と非現実との線引きをしっかりと引いて、地に足をつけて生活できるように頑張ります。本当にありがとうございました。