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傷つけたことといじめの線引き回答受付中

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質問を見ていただき、ありがとうございます。簡潔にまとめられなくてすみません。

いじめがいけないことは理解していますが、「人を傷つけたことのない人はいない」とも聞きます。

悪いことをした人は地獄に落ちると言われますが、もし誰もが誰かを傷つけた経験を持つのなら、全員が地獄行きになってしまうのでしょうか。

また、いじめとそうでない行為の境界線が分からないため、教えていただきたいです。

さらに、芸能界では過去のいじめ疑惑が取り沙汰され、その結果、活動停止や事実上の追放といった処分を受けた方を何度か見ました。
学校などで問題を起こした経験がある人は、テレビに出る資格がないと考えられているのでしょうか。
私は芸能人になりたいと思ったことがあり、そのような疑惑が出る人を見るたびに考え込んでしまいます。
「いじめはいけないことだよな、でも私も人を傷つけたことはあるし、相手がいじめだと思っていたらどうしよう。」と思ったことがあります。

そして、誰もが誰かを傷つけた経験を持つのだとしたら、「私は絶対にいじめをしていない。」と胸を張って言い切れる人は少ないのではないか、とも思いました。

もし私の考え方が固く、面倒な質問になってしまっているようでしたら申し訳ありません。

以前の質問と同様に、明確な答えがあるのか分からない内容で申し訳ありませんが、お答えいただけると幸いです。 

2025年11月21日 22:06
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その後、どうするか?です。

 こんばんは。「人を傷つけたことのない人はいない」、これは残念ですが真理だと思います。お釈迦さまでさえ、出家という、修行の人生に飛び込んだときは、奥さんやお子さん、ご家族全部捨てて行かれました。これはどう見たって、ご家族を傷つけたでしょう。
 しかしお釈迦さまは、その後に修行を続け、ついに「人はなぜ苦しむのか。どうすれば、その苦しみから逃れられるのか」についてお悟りを開きました。そして実際、多くの方を苦から救っておられます。
 一方、もし「俺は人を傷つけたことなどない」と豪語する人がいるならば、それは何もしていない人か、何もしていないと自分で信じているだけの人、ということになります。
 そもそも、我々は生まれてくるときに、お母さんを苦しめているでしょう。生まれること自体、既に「誰も傷つけない」ではいられないのです(これは生老病死とは違う視点ですが」。
 ですから、「どうしよう」と思考を停止するか、それを踏まえた上で「何かをしよう」というところにしか、私たちの選択肢はないのです。
 すべきことは?端的には「良いことをせよ」とはなります。なりますが「良かれと思ってやったのに」ということも現実にはある訳で、(良いことをするのはもちろん勧められることですが)一番間違いないのは「懺悔…仏教ではさんげと読みます」です。
 実際、お坊さんの朝のお勤めには、この懺悔が含まれています。
「私たちは、今までの生きてくる中で、たくさんの悪いことをしてしまいました。それは煩悩が私を動かしたからです。今改めてそのことに想いをいたし、一切を懺悔します」といった内容です。

 ですから、私からお勧めできることは「あなたも仏様にさんげしましょう」という事と、「できたら良いことをしましょう」という、2つの心がけです。
 良いこと、というのも先ほどの問題があるので、「せめて私としては、今これをするのが良いと思うのです」という謙虚な心を持つ。「してやったんだ、感謝しろよ」ではなく、「させていただく」という態度です。
 それは煩悩から離れる道、お釈迦さまが説かれた苦から離れる道なのです。

 今回は「いじめの線引き」ということで問いをいただいていますが、何かで傷つくか否かは、実のところ相手次第。だから「私としては良かれと思っている」が精一杯。
 でもね、それでいいのです。お互い様、なのですから。

2025年11月21日 22:50
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

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