幸せを失う怖さ
こんにちは。私は小さい頃から
感受性が強く神様や仏様を信じています。
霊感はないけど、守られていると思います。
そして私は病的な程の心配性です。
もしお父さんが仕事に行く途中、事故に
遭ったらどうしようとか、お母さんに
保育園に送ってもった時これが最期に
なったらどうしよう、などとよく不安に
なって泣いていました。
でも、私には神様が守ってくださって
いるから大丈夫だと、どこかで思っています。
おととし、父が救急車で運ばれ少し遅ければ
亡くなっていたと言われました。
そのときも、私は神様に助けて下さい
と祈りました。
おかげさまで、今は家族みんな元気です。
そして、私は大好きな旦那と3か月の
赤ちゃんと毎日幸せに暮らしています。
これ以上ない幸せです。
物心ついた時から感じていた、
これ以上ない幸せが今も続いています。
何気ない日常の幸せに涙が出そうになります。
この幸せも、私が神様を信じているからですか?
そんな幸せが怖くなって、実家でみんなで
ご飯を食べているとき、旦那を仕事に
送り出すとき、ふとした時にこれが
最期かもしれない、といつも思います。
今の幸せが私にはありがたすぎて、
失うことが怖くてたまりません。
一生続くとは思っていません。
でも、自分の心の持ち方がわかりません。
最近は近々地震がくると予言があったりして
怖くてたまりません。
もし私以外の家族がみんな死んで
しまったら、私が今まで信じてきた神様
なんていないと思ってしまいそうです。
でも、この考え方自体が神様に見返りを
求めているようで嫌にもなります。
今の幸せもこういう運命なだけで、
私が神様に守ってもらっていると勝手に
思っているだけでしょうか。
不安や心配性で、どんな心の持ち方を
すればいいのか、何を信じればいいのか、
神様はいるのか、わからなくなりました。
長々とわかりにくい質問ですみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私もそうですよ。
お母さんが車で1人で買い物に出掛けた時、もし事故にあって冷たくなって帰ってきたら、お父さんがたばこで癌になってしまったら。
そんなことを考えて怖がっている子どもでした。
今も
湯舟に入りながら、
『今死んだら発見された頃はゆで蛸やろなぁ』
とかふと思います。
浄土宗の法然というお方がこんなことをおっしゃっています。
『祈るによりて病も止み命ものぶることあらば誰一人として病み死ぬる人あらん』
『いのることで病気が治ったり、命がのびることがあるなら、誰1人として病気になり、死んでいく人はいませんよね』
という意味です。
厳しいように聞こえると思いますが、その通りです。
いくら長生きの時代といえども江戸時代の人は1人もおられません。
『死んだら終い』ではない。
それをしっかりと心に頂くのが信仰なのです。
病気、不慮の事故。なりたくなくても、あいたくなくてもなってゆき、あっていかねばならない人間なのです。
死に様、死ぬ場所、死ぬ時は誰にもわかりません。
どんな生き様、死に様であっても、必ず必ず仏様に迎えとられて、両親、旦那さま、お子さんなど縁のある方と再会する場所が用意されている。
ということをしっかりと心に頂戴して下さい。
いつ、どこで、どのように。
は誰もわかりません。
しかし、いつ、どこで、どのようであっても。
必ず仏様のお迎えがあり、もう一度会えるんだ。
そんな安心を、佛教(信仰)は与えてくださいます。
追記
ノーベル賞受賞者の湯川秀樹さんが
『わたしの知ってることは海の水をコップにすくった程のことです』
とおっしゃっています。
私たちは万物の霊長などと言ってなんでもわかったような気になっています。
しかし大宇宙のこと、地球のこと、命のこと。
一体何がどこまで真にわかったと言えるのでしょうか。
人間の浅はかな、小賢しい知恵を持ってしてわかることではないと思います。
わかりっこない『意味』を考えることが一番『意味』がない。
あなたは『今』うけがたい人の身を受けて、会いがたい旦那様に会い、授かりがたいお子さんを授かり今を生きています。
そして、大宇宙、地球、いのちの真理を悟ったお釈迦様の言葉を素直に信じてください。
再会が約束された仏様の世界がある。この教え(真理)をそばに置いて
尊い『今』をご家族とお過ごしください。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
本当の信仰の意味がわかりました。
仏様が必ず迎えに来てくださって、
次の世でもう一度会えるというのは、
今の私にはまだまだ素直に受け止められません。今、この世で家族を感じたいし顔を見ていたいです。あの世で会えると信じていても、
今誰かがいなくなることが怖いです。
今を生きているからみんな怖いですよね。
そう思うと、せっかくこの世で出会えたのに
お別れをしないといけない日がいつか来ると
思うと、最初から出会わなかったらそんな辛い思いはしなくてよかったのかな、そもそも何で生まれてきたのかな、と思ってしまいます。
でも、本当の信仰の意味が知れてよかったです。ゆっくり時間をかけてそう思えるように努力します。