幸せになってもいいか回答受付中
何度も失礼します。僕はこれまでたくさんの過ちを犯してきました。けれど今でも幸せになりたいと思い、生きています。今は感謝の気持ちも持てるようになりました。
そこで質問なんですが、僕はもう幸せになってはいけないのでしょうか?
お坊さんからの回答 1件
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ご相談ありがとうございます。
何度でも、どうか「失礼」だなんて思わないでください。その一言の奥にある、あなたの真剣な思いと問いかけを、私はとても尊いものだと感じています。
あなたはこれまで、たくさんの過ちを犯してきたとおっしゃいました。でも、それを「過ちだった」と認め、「それでも幸せになりたい」と願い、「今は感謝の気持ちも持てるようになった」と語られた。
その姿こそが、人間として本当に尊い歩みだと思います。
仏教にはこういう考え方があります。
「悪を犯したからといって、救われる資格がなくなるのではない。むしろ、自らの弱さを知った人こそ、仏の光に最も近い存在である」と。
お釈迦さまは、人間を「凡夫(ぼんぶ)」と呼びました。煩悩(怒り、欲、愚かさ)から完全には逃れられない、迷いの中に生きる存在、それが、私たち人間の本質です。
あなたがどんな過ちを犯してきたとしても、それを振り返り、「幸せになりたい」「感謝を持てるようになった」と心から願っている今のあなたを、仏さまが見捨てることは決してありません。
だから、答えは明確です。あなたは、幸せになっていい。いや、それどころか、幸せになってほしい存在です。
過去がどうであれ、あなたが「いま、どう生きようとしているか」。
仏さまはその心に耳を澄まし、常にそばに寄り添ってくれていると、仏教では教えられています。
そして、ここまで来るのは、簡単なことではなかったはずです。過ちに向き合い、悔やみ、それでもなお生きようとする。その歩みは、誰にでもできることではありません。
あなたのその誠実な心を、どうか誇ってください。
どうか、あなたのこれからが、
静かで温かく、安らぎのある道になりますように。
仏さまは、あなたを責めるためにではなく、救うためにこそいるのです。あなたが「幸せになりたい」と願う限り、その願いは、すでに仏の願いとひとつになっています。
またいつでも、思いを聴かせてください。