元彼に対する嫌悪感の棄て去り方を教えて下さい
40代女性です。よろしくお願いいたします。
数年前に付き合っていた男性に対する憎しみが消えません。
彼はお金にだらしがなく外面が良いかわりに友達の悪口を裏で平気で私に言うような人でした。
私との付き合いに対しても不誠実で私はずっと寂しい思いばかりしていました。
それでも当時の私は彼のことが好きだったので何とかして私だけを見て欲しい気持ちから占いにハマってしまい、約150万以上もの借金を作ってしまいました。
その彼との付き合いは2年ほどで終わり、お互いに同じような時期に別のパートナーに恵まれ結婚し、彼にも私にもそれぞれ子供ができました。
いまの夫は、私の借金をすべて肩代わりして返済した上で私を迎え入れてくれた仏様のような人です。
現在は家族に恵まれて本当に幸せです。
それなのに、その当時の彼のことをたびたび思い出しては、嫌な気分になってしまうのです。
元彼は私が結婚出産したことを喜び応援してくれています。
しかし私は当時彼が私にしてきた冷たい言動をことあるごとに思い出しては、彼が不幸になればいい、早く離婚して天涯孤独になって苦労すればいいと、本気で考えてしまうのです。
そんな連絡が来るのを期待し楽しみにしているのです。
今までの人生でこんなに人を嫌いになったことはないぐらい憎くてたまりません。
彼と出会った意味なんて私にはなかったし時間とお金の無駄だったと心底浅はかだった自分に嫌気がさしています。
彼の奥さんや子供に、彼がどれほど底意地が悪く冷たくいい加減な人間か教えてやりたいぐらいです。
しかし一方ではこれほど彼が憎くてたまらない理由が自分でもわからないのです。
時間は戻せないし、こんなことでイライラするほうがよほど時間の無駄なのに、結婚してまで私をこんなにイラつかせる彼にまたさらなる怒りを感じてしまうのです。
彼とはもうしばらく連絡は取っていません。
とにかく彼が不幸になるよう願ってしまうこの醜い心を鎮めるにはどうしたら良いでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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これは時間の無駄、と思うほどにハマる
こんにちは。今がお幸せならば、それでいいじゃありませんか。
…というだけでは、おそらく収まらないのでしょうね。「何故?」という自分で起こした問いに答えが見つからず、イライラしちゃう。
人間はどうやら、物事に納得したい生き物のようです。物事の繋がりや関連が分かったほうが、その後役立つ知識になりますから。そうやって整理しながら記憶してくことで、過去を経験として「学び」にしていけるのです。
なので、ついつい万事「何故?どうして?納得できない!」が未解決として引っかかるのです…まさに今の貴女のように。
ところで、世界というのは言葉で捉え切れると思いますか?全てのことは言葉で説明できると?
その辺のポリシーは、結構大きな価値観の分かれ目です。私は正直、「できない派」です。言葉いじりは大好きですし、言葉遣いもウルサイし、私のいる浄土宗は「念仏を口に唱えることが肝要」という宗派ですから「言葉はとっても大切。ほぼ人格そのもの」とまで思っていますが、同時に「言葉は万能ではない。言葉は限界がある。言葉で捉えられないことがある」と思っています。
ということで、「納得できない!キー!」となったら、「まぁ何でかは分からないけれど、またこの思いが湧き上がってきたなぁ」と、ノンビリ自分を観察します。その舞台に上がるのではなく、自分の感情を客席から眺める。想像します。舞台の上には貴女がいて、独白しています。「ああ、彼が憎い。憎くてたまらない。なぜ…」と絶叫する貴女を、暫く見ています。すると…きっと、飽きてきます。トイレに行くかも知れません。戻ってくると、また同じセリフを繰り返しています。「まだやってんだ…」と思っても、なお我慢して見ます。
これを、自己の客観視と言います。「あー何でだろうねぇ」と、気のない相槌を打ってもいいかも知れません。そのうち、お夕飯の時間になって、貴女は舞台の彼女を置き去りに、スーパーへ買い物に出かけます。持っていくのはお財布。今晩のご飯を考えたほうが、きっと楽しいでしょう?
なので、気持ちが湧き上がってきたら、自分を観客席に降ろす。暫く付き合う。「時間の無駄だから」と、無理やり切り上げたりしない。暫くすると、今やるべきことが思い浮かびます。さっきの例では夕飯の献立とかね。「何でか分からないけれど〇〇する」という「納得なし行動」は、結構使えるフレームです。