子供が怪我を負わされ後遺症が残りましたが、加害者からは一切支払いはなく、医療費等を請求しましたが逆ギレして応じません。 警察に被害届を出し、弁護士に依頼する予定ですが、加害者一家をはじめ、この件で関わった学校の先生方や関係者、医師、刑事、弁護士、どの人も不誠実に感じます。 所詮他人事、面倒には関わりたくないのでしょ うが、最低限仕事を全うすることはしてもよいのではないかと思います。 こんな事に巻き込まれた事自体が辛いのに、ただいたずらに時間だけが経過し、何も進展せずさらに結局やられ損で終わるような気がして焦燥感が募っています。 世の中はなんと理不尽に出来ているのかとつくづく感じてしまい、今まで何度もくじけそうになったり、諦めてしまうことを考えたりしましたが、なんとか自分を奮い立たせこれまで続けてきました。 しかしこれから何を糧に今後を頑張ればよいのか見失ってしまいそうになります。 こんな事の他にも自身の持病が悪化したり、親の介護問題もありいけないと思いながらもどうしても伏し目がちになってしまいます。 これから私はどのような心構えで戦っていくべきか、どんな志を持つべきなのかどうか御指南ください。 わかりづらい文面ですみません。
夫の実家は福島県 広野町という福島第一原発事故があった場所から20キロほどのところにあります。関東大震災時は一時的に避難区域になっていましたが数日後には解除され住んでいる人もいますが帰ってこない人もいます。私の職業は看護師です。結婚当初はよく夫の実家に帰っていましたが子供が生まれ私は避難区域ではない地域ですが子供の将来を考え子供が小さいうちは福島に連れていくことをしばらく遠慮してもらうことを提案しました。が。夫と義理両親は猛反対でした。電話や両親が都内に上京するたびに「広野は安全なのになんで孫を連れてこないんだ?初孫で長男の子供なんだぞ!親戚にも私たちは責められている、いつになったらくるんだ」としきりに言われます。先日は「連れてきてくれるよな?な?な?」と何回もしつこく私の頭に頭突きをしながら強制的に「はい」と言わせようとしました。毎回毎回会うたびに「孫はいつ福島にくるんだ?」と義理両親と夫3人から責められ気丈にふるまうのが限界になっています。子供と2人で 誰も知らないところへ逃げてしまいたいです。夫に相談にても夫も福島に連れて帰りたい人間なのそのたびに激しい喧嘩になります。私はどうすればよいでしょうか?どうがアドバイスをお願いします。
毎日びくびくしてます。テロに遭遇するのが怖いのです。 良寛のような心境になるには、 修行をしなければいけないのでしょうか? 災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。 死ぬる時節には死ぬがよく候。 これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
お願いします。 災害についてはどのように捉えたらよろしいのでしょうか。意外に同様の質問が見つからなかったので、お願いします。 記憶に刻まれた大震災の数々、この世でいうところの善人も悪人も区別なしに命を落としました。 もし、これが何かの意思によるものならば、無差別テロのようにも思えてしまいます。 明日を信じていた者もいるでしょう。受験、スポーツ、出産。未来を信じて生きていく思い、願いはこんなにも簡単に途切れてしまうのです。家族の未来を願っていた者もいるでしょう。残された者には更なる悲しみが続きます。亡くなった方がた以上に残酷にも思えます。 私たちは乗り越えられる試練しか与えられない。という考えも聞きますが、残された者にとって、これは命が続く限り決して乗り越えられない悲しみに思えてしまいます。 何か意味があるならばお考えを教えて下さい。 それとも、起こる事象には何ら意味がないのでしょうか。加えて、この世の未来を願うことは仏教においては何の意味も持たないのでしょうか。
またいつか大きな地震がくるのではないか・・・と考えてしまい、 不安な気持ちが消えません。 私はもともと心配性で、どんなことに対してもネガティブに考える癖があります。 いろんな心配事の中でも、特に怖いのが、いつか起こるかもしれない大地震です。 最近、不安と恐怖心で、物事に集中できなくなったりする自分がいて困っています。 起こるかどうかも判らない未来のことにとらわれて、今やるべきことに集中できない・・・そんな自分に嫌気がさして落ち込んだりもします。 恐怖心・不安感がずっとあり、気持ちを切り替えられず、ぼうっとしてしまいます。 やらなくてはいけないことが沢山あるのに、なかなか進まず、自分はだめなやつだと思ってしまいます。 こういった不安を気にしないで、やるべきことをやれるようになりたいです。 どうしたら心の平穏をとりもどせるでしょうか? 不安感・恐怖心を軽減させるためのアドバイスをいただけると 助かります。よろしくお願いします。
自然の脅威には逆らえないとわかっていますが、地震や自然災害が怖くてたまりません。 心配するあまり、日々の生活がおろそかになりそうです。 今、ここ、に集中するために、どうしたらよいでしょうか?
東日本大震災から2年が経ちました。世間では復興復興といつつも、政府はエネルギーの話に切り替え、しまいには増税を論じて、最近ではTPPの加入を急いでいます。義援復興金というお金も別のものに使われ、復興は進んでいるようで本当に苦しい人はまだまだいると思います。 ボランティアという大義名分のもと、出会いを求めて東北でお祭り騒ぎをする愚かな若者。節電を多いに利用して経費が浮いた企業。東京では対岸の火事のごとく、他人事でそれを利用して暗い街を何かのイベントと勘違いした若者が合コン騒ぎ。復興という名を利用し、なおかつ放射能汚染を無視して、購入して東北を助けようとなどとマスコミを動かす企業。それを正義のごとく振る舞い、プロパガンダ的に利用するマスコミ。海外では大きく問題に取り上げられている福島原発の汚染水の処理問題を全く報道しないマスコミと報道規制をする政府。 震災直後、雪の舞う瓦礫の前でお祈りをするお坊さんの写真がありました。家族が無事であるように祈る小ささな子の写真がありました。目の前で家族を亡くし泣き崩れる少女の写真がありました。 心が痛むなか、3.11を迎えて改めて考え、このような世の中で、私たちは何をするべきでしょうか。何ができるのでしょうか。