地震に対する恐怖心や不安が強いです

またいつか大きな地震がくるのではないか・・・と考えてしまい、
不安な気持ちが消えません。

私はもともと心配性で、どんなことに対してもネガティブに考える癖があります。
いろんな心配事の中でも、特に怖いのが、いつか起こるかもしれない大地震です。

最近、不安と恐怖心で、物事に集中できなくなったりする自分がいて困っています。
起こるかどうかも判らない未来のことにとらわれて、今やるべきことに集中できない・・・そんな自分に嫌気がさして落ち込んだりもします。

恐怖心・不安感がずっとあり、気持ちを切り替えられず、ぼうっとしてしまいます。
やらなくてはいけないことが沢山あるのに、なかなか進まず、自分はだめなやつだと思ってしまいます。

こういった不安を気にしないで、やるべきことをやれるようになりたいです。
どうしたら心の平穏をとりもどせるでしょうか?

不安感・恐怖心を軽減させるためのアドバイスをいただけると
助かります。よろしくお願いします。

有り難し 54
回答 3
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

今を生きるだけです。

はじめまして。亀山純史と申します。仏教は今(今日)をどう生きるかを説く教えです。昨日(過去)はもう私たちの手を離れてしまっている世界であり、明日(未来)はまだ私たちの手の中にやって来ない世界です。なので、私たちに出来ることは、今(今日)を生きるだけです。いつ起こるかわからない未来の出来事に対しては、まずは「備えあれば憂いなし」で、考えられうる備えはしておきましょう。あとは、今日という曰を精一杯生きて行くだけです。
少しでも参考になれば、幸いです。

【補足】
毎日、精一杯生きることは正直疲れることでしょう。そんな時は、「私は生きている」ではなく、「私は今日も様々な関わりあいの中で生かされた」と考えてみればよろしいかと思います。

2年11ヶ月前

身体は今のことしかない

あなたの体がカメラであるとします。
カメラは絶対に過去を撮影できない。未来も撮影できない。
あなたの体がマイクであるとします。
マイクは絶対に過去の音も未来の音も集音できない。
いつでも今の音しか拾いません。
カメラとマイクとは目玉のコト、耳の事です。
つまりこれから先に起こる事は、起こったその時にのみ、対処、対応すればいいのです。
✖地震が起きたらどうしよう ではなく
〇地震が実際に起きたら、その時、冷静に対応する ように致しましょう。
いま 本当に 目の前のものを見つめる事から始めてください。
そこに未来も過去も無いはずです。
✖過去を思い 未来をここにひきよせて 今現在をとこやみにする
〇今のみで あとさきなきが真の法 過去も未来も今の一念
この二つの道歌をゆっくり味わってみてください。
私たちの身心は過ぎ去った過去の事はとどめていないし、いまだ来らざる未来の事は、ミジンも起こっていないのです。
「過去や未来なんて コトバだ」 了叡

2年11ヶ月前

不安や恐怖の根本原因について

かえで様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

大地震・・確かに不安で心配になりますよね・・

実は、その昔、地震予知の研究していましたが、東日本大震災を機にどこか虚しくなって諦めました・・

さて、以前にも同じようなご質問にお答えをさせて頂いております。

問い「自然災害が怖いです」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002996507.html

『・・自然の脅威には逆らえない・・それを受け入れるのも必要なこと、無常の理趣を認めるべきだと。もちろん、後々に後悔しないためにも防げることであるならば、防ぐことに努力するのは大切なことです。防災・減災にできる限り取り組むべきであります。しかし、どうにもならないことは、本当にどうにもならないのだと受け入れて諦めることも大切なことでございます。・・』

『・・良寛禅師は、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候 かしこ」と述べられておられます。災難にあっても、しっかりとそれはそれとして現実を受けとめて、冷静にその時にできることをできる限りに対処していくことが肝要となります。いまだ起こってもいないことにあれこれと思い悩んでも詮無きこと、杞憂なることでしかありません。とにかく目の前の現実の一つ一つと真摯に向き合って、なすべきことをなしていかないといけないという次第でございます。・・』

とにかく、不安や恐怖というものには、必ずその原因がございます。

仏教では、その原因を無明(根本的無知・真理を知らない愚かな状態)であるとして、その無明の対治に取り組むことになります。

無明の対治のためには、特に智慧と福徳(方便行・善徳行・慈悲利他行)という二資糧を円満に積むことが必要となります。もしも、本格的に不安や恐怖を克服なされたいとなりましたら、是非、仏教の修習にお励みを頂けましたら有り難くに存じております。

不安や恐怖につきましては、下記の各問いにても扱わせて頂いておりますので、お時間のある時にまたご参照下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_321055.html

川口英俊 合掌

2年11ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

お礼がとても遅くなってしまって大変失礼しました。
回答していただいた亀山 純史さん、丹下 覚元さん、川口 英俊さんどうもありがとうございます。

「関わりあいの中で生かされた」という考え、はっとしました。
周りの人にお世話になっているとはいえ、自分の意思で生きているような感覚でいました。
しかし、いろいろな関わりあい、環境によって偶然今日も生かされているのだと気づくことができました。

何か問題がおきたら、おきたそのときに対処すればいい・・・その通りですよね。
解りやすい例えと、道歌も教えてくださってありがとうございます。
自分の頭で考えてたときよりも、「今のことだけ」ということについて、腑に落ちました。

地震について科学などである程度予知できるようになればいいですが、
仮に精度があがっても天気予報のようなもので、絶対ということはないと思います。
紹介していただいた良寛禅師の言葉はとても潔いですね。関連のリンクもありがとうございます。
「不安定」が本質ならばそのことを気に悩んでも仕方ないと思えました。

おかげさまで地震のことにとらわれることは、ほとんどなくなってきました。
他の不安や悩みでくよくよすることは今でもありますが、
いただいた回答を読み直すことで、それらの不安についても「仕方ない」と
置いておくことができるようになってきました。
新しい視点をありがとうございます。

関連する問答
このページの先頭へ