テロが怖いです
毎日びくびくしてます。テロに遭遇するのが怖いのです。
良寛のような心境になるには、
修行をしなければいけないのでしょうか?
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬる時節には死ぬがよく候。
これはこれ災難をのがるる妙法にて候。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その出来事に負のラベルを貼らない
災難に逢う時節には災難に逢う~これ災難をのがるる妙法にて候。
これは多くの人たちが読み間違いをされていると感じています。
この言葉の真意は、
出来事にはそのままダイレクトに出会いなさいという意味なのです。
自分の思いを二次的に付け加えない。
物事の本質を見抜き、第一次、第一義のままに処しなさい、ということなのです。
坐禅をしてみえてくる悟りの境涯、涅槃の境涯とは、
人間の二次的な思いを重ねる前の、第一次時点の状態のまま、過ごすことです。
ダイレクトに出会うのは、そこに自分の善し悪しの判断を加えないこと。
加えないままの状態で処して、為すべきを為すだけです。
私は、今、外は灼熱地獄。カーテンの横でこれを入力しています。
今年も異常気象で死者続出。この天気はもはや災害。
ですが、ダイレクトに出会っている第一次時点では、災害とか、不幸、トラブル、不運というラベルすらついていないはずです。
暑ければ、暑くあるのが真実。だから数時間も外に居たら死にます。
だから、避暑するしかありません。
交通事故も、事故が起きたのはクラッシュした瞬間だけ。
その後は、対処、片付け、後始末です。
先ほど寺の境内の枝が折れて、道をふさいでいました。
私は、くどくど言わず、クヨクヨもせず、それをどかしました。
とても重たかったです。
ああ、災難だ、ツイテないとう思いを起こす以前のまま、バイクで片手運転をして左手で20キロ以上ある大木を引きずりながら運びました。
左手を謎の虫に刺されて左手がマヒしています。さほど問題にしていません。
悟りを得た良寛さんは、物事を そのまま みて そのまま 処しているのです。
要らぬ蛇足な思いのコメントの投げかけをプラスしてネガティブにならないのです。
大雪は、大雪。
地震はたしかに地震。
真夏の暑さは確かに暑さ。それはただそれ。
暑い時や、火の中でそのままでいろ、ということではありません。
そこで心を損ねるような思いを暴れさせず、事実のままに居なさいということなのです。
それが、坐であり、禅なのです。
目の前に、包丁を持って来てみてください。
それは
➀調理器具か
➁凶器か
➂ただの金属製品か。
答えは①~③でもありません。
ただ、それです。
それそのままで、過ごすことが、災害やテロに出会った時も、冷静に対処し得る妙術です。
限られた時間が無駄になる
テロに遭って死んでしまったらどうしよう…
大丈夫です。
死んだら何も出来ませんから、どうしようなんて心配は必要ありません。
恐怖は、無いものを創造するところから始まります。
想像が膨らむと、恐怖で身動きが出来なくなります。
お住まいの地域が、テロが頻繁に起こっている地域なのでしょう。
でも、テロで死ぬ確率よりも交通事故で死ぬ確率の方が多いはずです。
なのに誰も、死ぬ確率を考えて自動車や飛行機には乗りません。
日蓮聖人の言葉に「先ず臨終のことを習うて、後に諸事を習うべし」という言葉があります。
限られた人生だからこそ、今をしっかり充実させなさいということだと解釈しています。
心配しなくても、人はいつか死にます。
長いか短いか、ただそれだけです。
だから、後悔のないように「今」を生きておけば良いのではないでしょうか。
常に悔いのないように懸命に生きていれば、いつ死んでも後悔することはありません。
そうなる前にいろいろ考えても、想像する世界と、いざ出会った時の現実はきっと姿も形も違います。
恐れている時間も、あなたの限られた大切な時間です。
無駄にしないでくださいね。
苦をば苦と悟り
なぜテロに怯えるのでしょうか。
その恐怖は心のどこから来るのでしょうか。
修行をしても解らないことは解らないし、
修行しなくてもわかる時はあります。
まずは自分の恐怖の根源を知ることが大事です。
テロに遭遇した方の映像や写真を見たことや、話を聞いたことが恐れの始まりなのか、ニュースを聞いて漠然と恐怖を覚えたのか等何事にも始めがあります。まずはその辺りから、考えてみてください。
その次は、何が怖いにか考えてみてください。
そうすれば、良寛さんのような心境に近づけると思います。
タイトルの言葉は鎌倉時代の日蓮聖人の言葉です。
苦しみをそのまま苦しみであると悟れば心のゆとりも生まれるでしょう。
私はまだその境地にはいたっていませんけどね。
いつ死んでも極楽浄土に往生できる
生き物はたいてい、死にたくないので、危険に怯えるのが普通です。
テロに怯えるのが嫌なら、テロの少ない地域で暮らすのが現実的かもしれません。
それでも、心配は尽きないでしょう。
南無阿弥陀仏ととなえていれば極楽浄土へ往生できると思えれば、少しはマシかもしれません。
南無阿弥陀仏ととなえている間だけは、恐怖心を凍結することができるかもしれません。
(私はできた経験がありますが、個人差もあるかも。)
しかし、南無阿弥陀仏の念仏をしていないときは、やっぱり恐怖心が起きます。
それは自然な人間の習性なので、あまり気にすることはないでしょう。
「恐怖心に逢うべき時節には、恐怖心に逢うがよく候」
まだ来ぬ未来を心配して何になりますか
確かにテロは怖いです。しかし、それを心配しすぎるあまり、今生きていることすら手につかなくなってしまってませんか。
大切なことは今でしょ。
まだ起きてないことを心配しても何の解決にもなりません。
しっかり現実を見てください。
質問者からのお礼
皆さんご回答ありがとうございました!