親しくしていた友人が若くして不慮の事故で亡くなりました。つい先日まで普通に接していたのに、いまだに信じられない気持ちです。働き盛りでまだまだやりたいこともあったろうに、まだ伸び盛りの子どもたちの成長も楽しみにしていたのに、といろいろ思うと残念でならず、彼の姿を思い出しては冥福を祈ってしまいます。 私は浄土真宗の本願寺派門徒ですが、真宗では冥福を祈らないという考えがあるのを承知しております。「祈りは自分の欲望実現の手段であり、人生無責任思想へ結びつく考えです」「死者を頭から不幸な世界と決めつけ、自分の祈りでその不幸から抜け出せるとうぬぼれている」、真宗僧侶の著書にもある通りかもしれません。 まだ、彼の死を自分が受け入れられず、自分の無念を死んだ友人の気持ちにすり替え、冥福を祈ることにっよって自己満足を得ようとしているだけなのでしょうか。それでも、いまはまだ冥福を祈ることしか、自分の気持ちをおくところがありません。これからどう気持ちを整理していけばよいでしょうか、アドバイスをお願いします。浄土真宗のお坊様のお答えをお待ちしております。