お久し振りです。ゆうりです。いつもお世話になっております。 この度教育実習に行って父親の働きぶりを見て参りました。 進路には迷うところがありましたが、父親の背中を追ってみたいと思い、高校教師になりたいと思いました。 さて、それに伴って、私立高校に履歴書を送ろうと思ったのですが、その高校は教育目標に、「親鸞聖人の教えと信仰を基調として、事故の進呈を探求し、勤労と責任を仕損じ、世に出てこの人あればこそと言われる人材を養成することを使命とする。」と記されておりました。 この教育目標について、親鸞聖人の教えについて簡単にご教授いただけないでしょうか。 また、人を育てる教育においてどう繋がってくるのでしょうか?
お世話になります。 私の家の宗派は両親ともに浄土真宗です。 一人暮らしをしているのですが、ご先祖様を供養したく、小さな棚を作り、そこに今は、お水、お茶、お菓子をお供えしております。 ろうそくやお線香は火災の危険と火災報知器があるので、置けないのと。 お花をお供えしたいのですが、家をあけることが多いので造花を考えております。田舎者なので造花にかなり抵抗があるのですが、造花でもいいものなのでしょうか? もし『その程度しかできないんだったらやめた方がいい』というご意見等がございましたら、仰ってください。 よろしくお願い致します。
親しくしていた友人が若くして不慮の事故で亡くなりました。つい先日まで普通に接していたのに、いまだに信じられない気持ちです。働き盛りでまだまだやりたいこともあったろうに、まだ伸び盛りの子どもたちの成長も楽しみにしていたのに、といろいろ思うと残念でならず、彼の姿を思い出しては冥福を祈ってしまいます。 私は浄土真宗の本願寺派門徒ですが、真宗では冥福を祈らないという考えがあるのを承知しております。「祈りは自分の欲望実現の手段であり、人生無責任思想へ結びつく考えです」「死者を頭から不幸な世界と決めつけ、自分の祈りでその不幸から抜け出せるとうぬぼれている」、真宗僧侶の著書にもある通りかもしれません。 まだ、彼の死を自分が受け入れられず、自分の無念を死んだ友人の気持ちにすり替え、冥福を祈ることにっよって自己満足を得ようとしているだけなのでしょうか。それでも、いまはまだ冥福を祈ることしか、自分の気持ちをおくところがありません。これからどう気持ちを整理していけばよいでしょうか、アドバイスをお願いします。浄土真宗のお坊様のお答えをお待ちしております。