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親鸞聖人の教え。

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お久し振りです。ゆうりです。いつもお世話になっております。

この度教育実習に行って父親の働きぶりを見て参りました。
進路には迷うところがありましたが、父親の背中を追ってみたいと思い、高校教師になりたいと思いました。

さて、それに伴って、私立高校に履歴書を送ろうと思ったのですが、その高校は教育目標に、「親鸞聖人の教えと信仰を基調として、事故の進呈を探求し、勤労と責任を仕損じ、世に出てこの人あればこそと言われる人材を養成することを使命とする。」と記されておりました。

この教育目標について、親鸞聖人の教えについて簡単にご教授いただけないでしょうか。
また、人を育てる教育においてどう繋がってくるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

注:小言交じりです

ゆうりさん
お久しぶりです、なごみ庵の浦上哲也です。

進路に迷いつつも、父親の背中を追いたいと教師の道を選ばれたのですね。尊敬出来る父親がいらっしゃり、進みたい道が見つかり、喜ばしいことと思います。

さて、いつも「自分磨き」と仰っているゆうりさんですから、ちょっとツッこみます。
その学校の教育目標ですが…
「親鸞聖人の教えと信仰を基調として、『事故』の『進呈』を探求し、勤労と責任を『仕損じ』、世に出てこの人あればこそと言われる人材を養成することを使命とする。」
と書いてありました。

3ヶ所に二重カギ括弧を付けましたが、おそらく打ち間違いでしょう。
自分が教員になりたいという学校の教育目標です。間違いなくしっかりと把握して頂きたいと思います。

うるさい小言はここまでにします m(_ _)m

その高校は間違いなく浄土真宗系の宗門校でしょうから、最初に「親鸞聖人の教えと信仰を基調とする」と書いてあるのは当然だと思います。

次の「事故の進呈を探求し」はおそらく「自己の心底を探求し」でしょうから、自分自身を深く見つめる真宗の教えと合致していると思います。

ただこれ以降の部分は親鸞聖人の教えというよりも、高校という教育機関が目標として掲げるにふさわしい内容だと思います。
そもそも親鸞聖人は「弟子一人も持たず」と仰った方ですので、人を育成する部分については真宗の教えと離れてくるのではないかと、私は感じました。

面接や試験があるでしょうが、ぶち頑張るんよ!!

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有り難し
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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

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こんにちは。 最近祖父が亡くなり、葬式も終わりました。 私は結婚していて、実家は浄土真宗、母方の実家は曹洞宗、嫁いだ先は禅宗です。 今まで浄土真宗のお葬式や法要などで実家の祖父母を供養してきましたので、浄土真宗のお坊さんの話をたくさん聞いてきました。 そのうちに、浄土真宗の考えに安心できるようになりました。 今回亡くなったのは曹洞宗の祖父です。 浄土真宗だと亡くなってすぐに浄土に行けるそうですが、調べると曹洞宗だと山を越え川を渡り裁きを受けて長いことかけて六道に分かれるのでしょうか? 今祖父はどこにいるのでしょうか。 49日までは祖父は修行をしているのでしょうか。 足も悪くなっていたのに山を越えて険しい道を一人で苦戦しながら行っているのではとすごく心配です。 寝たきりのままなくなった人でも、ちゃんと天国まで歩いていけるのですか? また、宗教が違っても天国で会えるのでしょうか? もう1つ引っかかるのが、私はお菓子の仕事をしているのですが、たまに祖父母が家に来たときにケーキがあれば出していましたが、最近は来る回数も減りあまり食べさせてあげられませんでした。 なので、シフォンケーキを焼いて棺に入れたかったのですが入れられませんでした。 クッキーだけは入れられたのですが。 そこで今はシフォンケーキは祭壇の前にお供えしてあるのですが、祭壇や仏壇にお供えすれば食べてもらえるのでしょうか。 もっと祖父にお菓子を食べさせてあげたかったです。 子供の頃はたくさん遊んでもらったのに、大人になってからは愛想が悪く、笑顔もあまり見せられませんでした。 曾孫には会わせてあげられたし、曾孫とは元気なときには楽しそうに遊んでいたのでそれが救いですが。 今からでも祖父に何かしてあげたいです。 亡くなってとても悲しいのに、普通にお腹が空いたり、普通に生活できてしまう事に罪悪感を感じ辛くなります。。

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浄土真宗の自分の解釈について間違ってると言ってほしい

ある一つの疑念が強迫観念のように頭の中に張り付いていて、阿弥陀仏の本願がうまく聞けないのです。 それは「18願によって信心決定した者は救われるが、信心決定したものは諸根が具足する」というものです。 荒唐無稽かもしれませんが、第41願に信心決定したものは諸根が具足するととある本に書いてあって、それを見た瞬間諸根が具足しないかもしれない自分は救われないかもしれないとショックでした いろんな本を読んだ結果、これは初住以上の菩薩のための願だとか、聖道門の菩薩を引き入れるための願だとか、他の訳では仏刹(浄土)と書かれてあるから、娑婆世界には関係ないとか、頭では納得できて、そっちのほうが正当な理解なんだろうな、と分かるのですが、頭の片隅に「体の弱い自分は救われないかもしれない」というのが絶えず渦巻いています 自分でも自分のこの疑念は完全に間違った教義理解だとは考えているのですが…。 「18願によって十方衆生の信心決定したものは救われる」「信心決定したものは諸根が具足する」「よって諸根の具足していないものは信心決定していない」「諸根の具足していないものは救われない」 という自分の誤った疑念を間違っていると言ってほしいです。 同じような投稿を前にもしたのですが、専門家のお坊さんに「それは間違ってるよ」と言ってほしいのです。わがままですみません 自力で変な解釈をしてしまう自分に嫌気がさします…。 こういうのを「自力のはからい」というのでしょうか 早く自力をからせたいです

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