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浄土真宗と冥福~友人の死

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親しくしていた友人が若くして不慮の事故で亡くなりました。つい先日まで普通に接していたのに、いまだに信じられない気持ちです。働き盛りでまだまだやりたいこともあったろうに、まだ伸び盛りの子どもたちの成長も楽しみにしていたのに、といろいろ思うと残念でならず、彼の姿を思い出しては冥福を祈ってしまいます。
私は浄土真宗の本願寺派門徒ですが、真宗では冥福を祈らないという考えがあるのを承知しております。「祈りは自分の欲望実現の手段であり、人生無責任思想へ結びつく考えです」「死者を頭から不幸な世界と決めつけ、自分の祈りでその不幸から抜け出せるとうぬぼれている」、真宗僧侶の著書にもある通りかもしれません。
まだ、彼の死を自分が受け入れられず、自分の無念を死んだ友人の気持ちにすり替え、冥福を祈ることにっよって自己満足を得ようとしているだけなのでしょうか。それでも、いまはまだ冥福を祈ることしか、自分の気持ちをおくところがありません。これからどう気持ちを整理していけばよいでしょうか、アドバイスをお願いします。浄土真宗のお坊様のお答えをお待ちしております。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ナツツバキさん

こんばんは。
浄土真宗本願寺派の 中田三恵です。
大切な方との別れは、非常に辛いものですね。無常の世に生きていると分かっていても、大切な方の死は、受け入れ難い悲しみであります。

浄土真宗の み教えは、「阿弥陀如来より賜る信心一つで、死と同時に お浄土に生まれ、仏に成らせていただく。往生即成仏」です。故人は、すでに、阿弥陀如来の救いにより、お浄土に参られ、み仏になって、私たちにはたらきかけて下さっているのです。

葬儀で、死出の旅路 の発想に基づく風習で、旅装束や一膳飯を供えたりというのは、冥土への旅という考えからですが。浄土真宗では、すでに救われ仏となられているのですから、冥土への旅支度や、冥福を祈ると言う必要はないわけです。冥福を祈るのではなく、哀悼の意を表す と言う言葉が相応しいでしょう。

大切な方が、救われ仏となられたと分かっていても、ナツツバキさんの悲しみは、深いものでしょう。阿弥陀さまは、ナツツバキさんのことも、また救ってやりたい!必ず浄土へ生まれさせ 再会させてやりたい!と、今まさに 働いて下さっているのですよ。

真宗門徒の私たちにとって大事なことは、亡き方の死を通して 尊い仏縁に出遇うことができたと、手を合わせていくこと、人生を大切に歩ませていただくことです。それが、大切な あの方が 一番 喜んで下さることなのです。
大切な友も、私たちも、生死をこえて、皆 同じ 阿弥陀さまの救いの中にあるのですよ。
ともに、お念仏申しましょう。

南無阿弥陀仏

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 住職として、中学生の息子の母親...

浄土真宗と祈り

浄土真宗本願寺派の長谷川哲真と申します。

真宗で語られる「祈り」に対する誤解と、
阿弥陀仏の本願についてお話しさせて頂きます。

浄土真宗の中で、「祈ってはいけない」という誤解があります。
もちろん、自らが阿弥陀様の救いの上で安心している人は、
すでに往生成仏が間違えないので、
(少なくとも自分の往生成仏に関しては)祈る必要はありません。
しかし、お経の中で阿弥陀様は「祈ってはいけない」という事は一言もおっしゃいません。

そもそも、阿弥陀如来の本願は、「一切のものを救う」という誓いです。
一切のものを救うために、救いの対象には条件を設けませんでした。
つまり、阿弥陀様の方から見れば、祈ろうが祈るまいが、
どんな生き方をしようが、どんな死に方をしようが、関係ありません。
ナツツバキさんも、ご友人も、阿弥陀様の救いの目当てのど真ん中です。
阿弥陀様は、祈るナツツバキさんを認めて下さっています。

また、相手の生死に関わらず、幸せを願うことは人として自然な行為です。
むしろ、互いにしあわせを願うというのが、大乗仏教の精神です。
その心を、大切にしてほしいと思います。

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45歳 独身 銭湯通い 浄土真宗の僧侶だけど、「中観派です」って言って...

亡き方を偲び、ただただ手を合わせましょう

真宗高田派の浦上哲也と申します。
真宗(浄土真宗)は大きく10の派に分かれますが、考え方について大きく異なるところはないと思い、お返事書かせて頂きます。

さて、亡くなったご友人は、ナツツバキさんと同年代でしょうか。であれば40歳代、非常にお若かったので、周りの方々のショックも計り知れないものがあるでしょう。
そんな彼のことを思ってしまう、あの世での幸せを祈ってしまうというのは、無理のない自然な感情だと私は考えます。

ナツツバキさんも仰っていますが、浄土真宗で「冥福を祈る」という言葉を使わないのは、2つの理由からです。
1つめは「亡くなった方は冥土で不幸になっている」のではなく、「悩み苦しみの無い極楽浄土に往っている」ので「冥福(冥土での幸福)を祈らなくても良い」という考えからです。
2つめは、「祈る」は自分の欲求を達成したい時に使う言葉だと捉えているので、ご利益を否定する真宗では用いません。
代わりに「あくまで自分自身の思い」という意味で「念じる」という言葉を使う場合があります。

自身は働き盛りで、伸び盛りの子どもたちを遺して亡くなったのは、極めて悲痛な出来事です。そのような悲しみを「グリーフ」と言いますが、亡き方を思って手を合わせることには、その悲しみを癒す力があると言われています。
法要や読経も、故人の為に行っているようでいて、実は残された側のグリーフ・ケアでもあるのです。

私も今年、大切な方を2人失いました。
私は故人を思い出し、手を合わせながらこう念じます。
「娑婆(この世)で頑張っている浦上という人は、私の縁深い人だ」と浄土で他の仏さま方に自慢をさせてやるのだ、と。
そしていつか自分も浄土に往った時「尊い生涯を過ごしたね」と迎えて頂くのだ、と。

http://753an.blog.so-net.ne.jp/2013-07-19

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

質問者からのお礼

親身なご回答ありがとうございます。まだ、気持ちに整理がついていないこともあり、またふらっと目の前に現れそうな気がして、亡き友人を仏様としてみることができません。ただ、年下ながら人格者だった彼と過ごしたご縁や、彼から受けた生前のご恩は、私の大切な財産であるといえます。そのことを思うと、不思議と南無阿弥陀仏とつぶやいてしまいます。
「往生即成仏」はそのとおりなのでしょう。でも私の中で彼が成仏するのはもう少し時間がかかりそうです。自分が死ぬときは一足飛びに仏様になりたいのに、他人の死はもちょっとゆっくりしてほしいなんて、わがままだなあと思いますけど。

「浄土真宗」問答一覧

浄土宗信仰について

夜遅く申し訳ございません。 僕は今年26歳になります。浄土宗総本山知恩院おてつぎ運動にも参加しています。 毎日勤行は行っています。 家族親族にいつも言われるのは、なぜそこまで若いのに仏教に興味あるのか、仏教を信仰するのは年老いてからだと。 信仰の自由を知らないんですかね。歳が何歳でも、仏教、浄土宗の教えを信仰してもいいですよね。 なぜ浄土宗かといいますと、出身の高校が浄土宗系の高校であったため、浄土宗の授業がありまして、そこで興味を持ちました。 心理の学校の先生でも、融通念仏宗の僧侶をされながらカウンセラーをされておられる方がいらっしゃいます。 その先生とはすごくお話していて面白いのでいつもお話をしているんですが、僕がこの歳で仏教信仰するのはおかしいですか、と尋ねたところ、驚いてはいらっしゃいましたが、すごく受容してくださり、こちらとしては嬉しいという答えをもらえました。 しかし、まだ自分の中にはほんとにいいのかなという気持ちがあります。ひとりで法然上人二十五霊場の寺院を訪れ、参拝し、御朱印をいただくのが好きなんですが、やはりそこらへ行けば周りの目が気になります。 なんで若いのにここに来てるの、という目線を感じます。 最後に、この歳で自ら菩提寺を探し、浄土宗の教えを信仰することはおかしいことでしょうか。 長文、ご拝読ありがとうございました。 合掌

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二つの疑問

こんにちは。僕は浄土真宗を学ばせてもらっている者です。 二つの疑問があるのですが、お答えいただけると有難いです。 1,僕はよく称えたいと思った時に「なんまんだぶつ(そのまま救うぞ)」と呼び掛けてくださる阿弥陀仏のお声を聞き、「なんまんだぶつ(ありがとうございます)」と御恩報謝のお念仏を称えさせていただいていますが、浄土真宗のお坊さんは浄土宗のように朝(晩)何分と決めてお念仏を称えているのですか? 2,「考えない練習」などの著者の、元浄土真宗本願寺派のお坊さんであった小池龍之介さんという方がいるのですが、その方はヴィパッサナー瞑想を行ったことにより、僧籍を剥奪されたようなのですが、どう思いますか? 僕自身、hspという気質をもっていて、ストレス解消を目的として瞑想を行っているのです。呼吸や自律神経も安定し、とても素晴らしいと思うのですが、瞑想=自力であり、阿弥陀仏を疑っている、即ち「救われない」という思考になる方々がいるようです。 こういう方々は本願を聞き間違えているように思うのです。 瞑想を行えば救われないのではなく、「瞑想を行えば救われない」と考えるのが自力だと僕は理解しています。 阿弥陀仏の本願は「報恩念仏を称える者を救う」というものですよね。「瞑想を行えば救われない」なんて一言も書いていませんし、本願の内容を勝手に書き換えてしまっているのが問題だと思うのです。 正直僕が瞑想をしていることもあり、自分の行動を正当化したいという気持ちがあるのも事実ですが、瞑想を行うだけで僧籍を剥奪されるのかと、心底驚いて質問させていただきました。 二つ目の疑問が強調してしまいましたが、一つ目の疑問もとても重要なので、回答していただけると有難いです。

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無知の自覚

こんにちは。僕はこれまで浄土真宗の道を求め続けてきました。 そして、ある日ふと、俺って何も分からないな。と感じました。ソクラテスの無知の知ではありませんが、実際、浄土は何か分からない。死後のことなのかもしれないし、真理のはたらきのことなのかもしれない。ブッダが生きていたら答え合わせもできるだろうが、もういない。 だとしたら僕がいくら輪廻や浄土を解釈したとしても、分かったつもりになって終わりだと気付きました。 輪廻という概念も精神世界と解釈する人もいますし、方便と解釈する人もいます。しかし、本当に死後の世界だったら?という不安がどうしても拭えない。 僕には何も分からない。分からないものは分からない。そして、南無阿弥陀仏という呼び声を思い出しました。阿弥陀仏はどんな劣った衆生も救うと誓っている。 だとしたら、僕が今いくら仏教の教えを理解しようとしても、知識欲を満たすだけのことです。しかも分かったつもりになっているだけです。 そこで気付きました。阿弥陀仏は「そのままでいい」と呼び掛けていたんだと。「そのまま」がそのまま救いだということに気付きました。死後がどうとかではなく、「そのまま」に任せるしかないんだと。 これがいわゆる二種深信なのではないかと思っています。 僕は仏教の教えの全てを否定しているわけではありません。確実に分かる事実もあります。自分が極悪人だということ、因果律(無常、縁起)、南無阿弥陀仏、そして分からないということ。 今あるこれらの事実を大切に生きていければ、それでいいのではないかと思っています。 それとも、このような考え方は求道をやめた者のすることでしょうか?

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浄土とは何か

お世話になっています。浄土真宗についての質問ですが、浄土というのは死後の世界だと解釈しているのですが、どうも死後の世界ではないと解釈している人もいるようです。浄土真宗は、この「浄土」というのが大前提の教えなので、この「浄土」が分からなければ教えが根底から変わってしまうのですね。そこが悩みところです。 浄土真宗の教義について僕の一連の解釈を書きます。 1本願に疑い無くなるのが信心 2しかし、本願を信じられない 3信じられないのは煩悩があるからだ 4阿弥陀仏は煩悩ある者こそ救う 5そこで、「自分にできることはなかった」と自覚する(機) 6阿弥陀仏の浄土に救うという「働き」(本願)のみがある(法) これが一連の僕の理解です。僕は「異安心」なのでしょうか?すごく不安です。これはあくまで「死後」を前提にした解釈です。 浄土真宗の救いは、「自分の姿が明らかになることだけだ」と言う人もいますが、それだけだと何のメリットもなく、ただただ自分に失望するだけだと思うのです。しかし、自分の姿を知り、「だからこそ、死後、阿弥陀仏に救われるのだ」と解釈すれば、煩悩を受け入れることができ、様々なメリットがあると思うのです。 僕が浄土を死後の世界と解釈する理由は、浄土が死後の世界じゃないと、死後の解決にはなりませんよね。 自然の理法(仮の阿弥陀仏の解釈)におまかせするのも、解決になるのではないかとも考えましたが、それは「死の解決」であって「死後の解決」にはなりません。だいいち、自然は何をするのか分かりません。地震を起こしたり、コロナを起こしたり、そんな自然におまかせするのは、余計恐怖でしかないように思います。 ただ、死後の解決には死後の世界は必要なのですが、仏教には「無記」というものがありますよね。死後があるのかないのかは人間には分からないから、今を生きなさい。という内容だと解釈していますが、これも一理あると思っていて、浄土の教えは死後を説いているのか、いないのか、どちらでもないのか、分からないのです。これは、浄土真宗の一番重要なものだと思うのです。皆さんは「浄土」をどのように解釈しているのか気になって書きました。詳しい方、回答していただけると有難いです。 南無阿弥陀仏

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