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出家とは自分というアイデンティティを手放すこと

勘違いされがちですが、出家するということは僧侶というアイデンティティを得ることではありません。自分というアイデンティティを手放すことです。だから出家したところで何の存在意義も無いんです。

それは読経や坐禅も同じ。

読経する時は読経っきり。坐禅の時は坐禅っきり。そうして自分を手放すんです。

特別な生活をして自分を高めるのではありません。

余計なものを落とし切った時に、本来救われている大切なものだけが残るんです。だから受戒のことをこう言います。

>衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位(くらい)に入(い)る、位(くらい)大覚(だいがく)に同じうし已(おわ)る、
→受戒すればお釈迦さまと同じになれるよ!

あるいは「初発心時、便成正覚」とも言います。初めて発心した時、それこそが悟りを成じていると。

坐禅したって何の意義もありません。読経したって何の意義もない。

じゃあなぜするか?

意義っちゅう思考の産物を手放すためです。

自分は泥棒じゃない!といくら念じても、他人の物を盗めばその瞬間泥棒です。

それと同じで私は仏弟子じゃない!といくら疑っても、受戒入位すればその瞬間、仏弟子です。身・口・意の行いが仏弟子なんです。

それを私たちがどう解釈するかなんてむしろ苦の原因でしかありません。

その解釈で生きることを般若心経で転倒夢想と言います。

事実から180度ひっくり返ったような妄想であると。あるいは十二縁起では取と言います。

苦の原因すなわち煩悩には無明、渇愛、取の3つがあります。

頭で意味づけや認定判定をして好き嫌いや評価を生むから苦が生じる…それが取です。

仏道を伝える側になるなら僧侶になるかどうかで、医者になるか家庭の医学の押し売りするかくらいに変わります。

でもそういうわけではないなら、ぶっちゃけ出家しようがすまいがどっちでも良いんです。

縁あらばすればいいし、無ければ無いでいいんです。

テキトーに言ってるようで案外にここが大事。

正しい師と巡り会えるかどうかこそが大切です。仏弟子と言っても、亡くなったお釈迦さまから直接指導してもらえるわけではないのですから。

この人について行きたい!と思えたら改めてその人にご相談なさって下さい
引用元の質問: 日本仏教の僧侶について
僧侶といっても剃髪して法名をいただいているだけで、その実際は在家とかわりないわけですよね?
回答僧:
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