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罪を犯した「自分を許す」ということ

幼少期の子どもにとって親は子どもから見える世界の半分以上を占めています。

ですからどんな親であっても子どもからすれば必死で好かれようとするのは当然だと思います。「ぼくを私を見捨てないで」と必死で「親にとって」よい子を演じます。

何人かそんな子供に接してきました。みんないい子ですごく笑顔がきれいなんです。その満面の笑顔が「ぼくはいい子だよ。だからぼくを捨てないで!」って必死の叫びのようで、見ていて胸が痛くなりました。

ですので質問者さまの文面を見ていると精一杯必死で生きて来た質問者さまの一端が垣間見れた気がしました。

今はご自身の罪のことを深く考えてこられたのですね。年代からしておそらく20年近く罪の意識にさいなまされてきたのではないでしょうか?

それほどの長い期間苦しんでこられたのです。私はもう許されて良いのではないかと思います。
ただ、これは他人の私の意見です。この罪を一番許せないと考えておられるのは質問者さまご自身ではないでしょうか。

いつかご自身が自分の罪を許してあげられるようになれればと祈っています。
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罪の記憶と繋がっているフラッシュバックへの対応
初めて投稿させて頂きます。私の幼少期の出来事のフラッシュバックについて、どう対処したら良いか分からず相談させて頂きます。 分かりにくく失礼かと思いますが、私の経験と似たような例え話で御意見を伺う事をお許し下さい。 昔、家族でやっている当たり屋という人達がおりました。子供を故意に車にぶつからせ、ケガをさせられたと言って運転手からお金を巻き上げる人達です。 彼らは犯罪者ですが、親が教唆犯であるのに対して、子供は教唆された側です。しかも、子供の方は親に見捨てられては生きて行けず、親の方も動いている車にぶつかってこいなどと言うだけあって、愛情も薄い。 そして愛情が薄い分、子供は見捨てられまいと必死に親を支え、愛し、「だから保護してくれ」と訴えます。例え話の中で、私は子供の立場にあります。 この子供が、自分を唯一可愛がってれた近所の大人を嵌めてこいと、親に指示されたとします。 子供は言われた通りに車にぶつかって行きました。親が騒ぎ、可愛がってくれた人は親に怒鳴られ、詰られ、お金を取られて、二度と会う事はありませんでした。 世間の人からすると、子供は被害者のように見えるようです。 ですが、親に指示されたとはいえ、子供の行いで酷い目に遭った人がいるのも真実です。 私の場合は犯罪ではありませんでしたが、ありもしない親の愛情を失う事を怖れるあまり、自分を愛し、信頼してくれていた人に本当に酷い事を致しました。 親に嫌われたくないなどと願った自分が愚かで醜く、到底許せません。もっと他に方法があったのではと思うと、今でもしばらく何も手に付かない状態になる事があります。 フラッシュバックについての他の方への回答を拝見いたしましたが、昔の嫌な記憶が自分の罪と繋がっている場合、それをそのままにしておくことや忘れる事は、更に重い罪にならないのでしょうか。 自分が酷い扱いを受けた記憶なら、いつか忘れる事もできます。しかし、罪の記憶を忘れたり、そんな事もあったなあとただ眺める事は、罪から逃れる事になるのではないのでしょうか。 しかし一方で、切り捨てずにいれば、フラッシュバックが起こっている間、何もできなくなって生活に支障が出ます。それもまた今の家族に迷惑を掛ける事となり、悪い事なのではないかと思うと、どうしたら良いか分からないのです。 ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
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