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魂は何になりたいのですか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 33

人は何か自分が理想とするものになるために修行することが多いと思います。
例えば、美容師になるため、寿司職人になるため、プロレスラーになるため、何年もの間、上の人について厳しい修行をすると思います。
大したことしてなくても結婚するための花嫁修行というものもあります。

現世、人間の世界が苦しいのは魂の修行の場だと聞いたことがあります。
しかもそれが輪廻転生で何回も続くなんて、魂は一体何になりたいのですか?
しかも、何かになれたとしても人間として生きてる時にはそれを全く感じない。
ダイエットですらきつい思いをした後には自分の理想とする体型を手に入れた喜びがあるだろうに。

ある企業のCMで「目的を知らずにレンガを積むのと、橋を作る目的でレンガを積むのとでは出来栄えが違う」というセリフを言ってます。
目的がわからないのに現世で修行って無駄じゃないですか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

目的は、悟り・涅槃

あずき様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

世間における人生や魂の目的というものは、幸せや豊かさ、楽というものになるでしょうか。

仏教での目的は、悟り・涅槃となりますでしょうかね。

そのために、智慧の開発と福徳(慈悲行・方便行・善徳行)の集積に励むのが仏道修行となります。

ただ、魂とは言っても、何か実体としてあるものではなく、「空」であって、他に依存して成り立っている「縁起」なるものとなります。

他に依存してとは、簡単には、因縁(原因と条件)に依って成り立っているというものとなります。

良い因縁に依れば、良い結果に、悪い因縁に依れば、悪い結果に、良くも悪くもない因縁に依れば、良くも悪くもない結果に、といった感じであります。もちろん、現実においては、その三要素を持った無数の因縁が複雑に絡んでくることにはなりますが。

とにかく、仏教の場合では、最終的な目標としての結果を悟り・涅槃であると考えて、そこへと向けて良い因縁をしっかりと調えて参りたいということになります。その良き因縁を調えるための教えが仏教となります。

是非、少しずつでも興味を持って仏教の修習に努めていって頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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目的を持ちましょう、追記

目的を持つことは大切なことです。
目的が無ければレンガで橋はできません。

お坊さんの目的は自らの悟りであり、尚且つ人々を悟りに導くことであります。
その代表的な人がお釈迦様です。
悟りに至ればあらゆる苦しみも悩みも迷いも無くなると言われています。

ですが、現世で生きている人、とくにお坊さんではない人や、若い人にとっては、必ずしも悟りが目的とは限りませんよね。
私も数年前までそうでしたし、今でも半分はそうなのです。
むしろ、人生を楽しむこと、お金儲けすること、地位や名誉を得ること、家族と幸せに過ごすこと、スポーツや趣味に没頭すること、仕事でのやりがいを満たすこと、育児、恋愛、その他いろいろな目的があると思います。
それはそれでいいのです。
極端になり過ぎると苦しみますが、適度に目的を持って生きることは良いことです。
良い目的が良い結果を生むのです。
これが自業自得なのです。
良い目的を持たずに何かをしても、良い結果は生まれません。
これも自業自得です。

いつかは誰であっても、自らの病や不運、あるいは家族や知人の死をきっかけに、自らの死を考える時が必ずきます。
その時に改めて死について、魂について、考えてもらえたらと思います。

それまでは、この現世において、自らの目的を道標に歩んでください。
目的が無ければ造ってください。
不可能に近い目的でも構いません。
(私の目的も悟りという不可能に近いものですから)
例えば、希望職への復帰。
親の跡をついで兄達を部下に置く。
スキルや人脈など身につけて独立。
いい男を見つけて全て捨てて嫁に行く。
などなど。
不可能に近い目的ばかりですが、目的があれば小さなレンガでもやがて大きな橋になる、かもしれません。

追記
どんな目的であれ、その達成に向けて努力する精神、魂は素晴らしいものだと思います。その努力するという能力は仏道修行にも生かされることでしょう。やり直しなんてことはありません。積み重ねだと思います。
見たい映画は見ましょう。
現世で見ておかないと次のチャンスは無いかもしれませんからね。
切り倒された木はやがて腐葉土となり、芽生え始めた雑草や新しい木の芽の養分となるでしょう。それに水も差しあげて少しずつ育ててあげてください。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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死にたくないからもがいているだけ

私達は、死にたくないのです。
だから、辛い人生であろうと、生きるために息を吸って息を吐きます。
息を止めたら死にそうで苦しいからです。
魂は、生きることに刺激を求めています。
しかし、生きものが受ける刺激は、たとえ快楽であろうと、実は苦痛なのです。
で、目の前の苦しみが大きくなったら、別の刺激に移るわけです。
しかし、移った先の新しい刺激もまた苦痛だから、また苦しくなります。
暇な人には仕事したいという苦しみがあり、仕事している人には休みたいとう苦しみがあります。
綺麗な景色を見たいという苦しみがありますが、景色を見ていたら太陽光線で眼球を射たれ続けて苦しくなります。
息を吸ったら吐きたいという苦しみが、吐いたら吸いたいという苦しみが生じます。
起きていると眠りたい、眠り続けてたら起きたい、という苦しみが生じます。
こっちの苦しみからあっちの苦しみへ、苦痛の波から別の苦痛の波へ、サーフィンです。
なぜサーフィンするのかというと、生きていたいという執着があるから。それが輪廻転生の原因です。
しかし結局、どこでどんな生き物になっても苦しいのです。
本当に苦しみから解脱するには、生きることから卒業するしかありません。
それが、悟りの究極、涅槃なのです。
苦しみは、不満です。何かやりたいことがあるのです。
食べることに満足していないと食べます。
生きることに満足していないと生きます。
食べることに満足したら食べるのを止めます。
生きることに満足したら輪廻転生が終わります。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

川口様

ご回答ありがとうございます。
人生と魂の目的のご説明、とてもわかりやすかったです。

ただやはり、現世で良いことをしたら現世でその見返りが欲しいです、悪いことをしたら現世のうちにそのバチに当たりたいです。
そして、あと何回輪廻転生したら生まれ変わらなくて済むのか、どれだけ福徳を積めばポイント達成できるのか、簡単に表にまとまっていたら良いのにと思いました。
煩悩ばかりですみません。

聖章様

ご回答ありがとうございます。
私の人生のメインである目的は切り倒されてすでに腐ってしまいました。
再生する可能性はありません。
その腐ってしまった目的の周りには「痩せる」だとか「あの映画を見たい」のような雑草的な小さな目的は生えてます。
今、その中で一番大きな目的は「ひっそりと波風立てずに人生を過ごし終わらせたい」でしょうか。
自ら命を絶つ気はありません、それだとひっそりではないので。
これが人生の目的だと魂にとっては修行にならないから修行としてのカウントされずにまた「はい、やり直し〜」と生まれ変わらせられるんでしょうね。

聖章様

追記ありがとうございます。
そうですね。
雑草という名の草はないという言葉を思い出しました。
一つ一つを見ればちゃんと実になる草花かもしれません。
美味しい実のなる草花だといいな。

願誉浄史様

ご回答ありがとうございます。
快楽と苦痛は紙一重ということでしょうか。
刺激のその先に苦痛があるとわかっていながら刺激を求める続けるというのは、ある意味麻薬の様なものに思えました(やったことはありません)。
生き物として生きるのは苦痛であるけど快楽、その快楽につられて魂も生まれ変わりたくなってまた現世に戻ってくるということでしょうか?
私自身はもう満足したつもりなのですが、魂にとっては「輪廻転生しなくても満足」と思う生き方にはまだまだ程遠い様ですね。

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