欲がなさすぎる
最近瞑想に励んでおります。
ヴィッパサナー瞑想です。すごく良い意味で自分に変化があり、怒ったり周囲に不満を感じることがなくなりました。
しかし、それと同時に欲というものが全くなくなってしまって、これをどう理解してよいのか戸惑っております。
私は今まで欲がものを言う世界で生きておりました。
競争社会です。誰よりも上手になりたい、誰よりも良い指導者でありたい、出来ないことは克服したい、そういう気持ちがあったからこそここまで来れたのです。
しかし、こういった欲が全くなくなってしまったのです。
むしろ、私はこんなことに時間を費やして一体何をしているのだろうか、と疑問にすら思います。価値観が、まったく逆転してしまったのです。自分が良かれと思ってやってきたことは実は単なる執着であった。
この執着がもたらす苦しみからはなるほど解放されました。
けれど、ダイアモンドだと信じていたものが単なる石だったと気がついたかのように、とてつもない虚無感に襲われています。けれど幸せかと問われれば今までより幸せなのです。
すごく情熱を感じることや、とにかく楽しくてしょうがない感覚が全くありません。逆に嫌だとか嫌悪する気持ちもありません。
このまま同じ仕事を続けられるのかわかりません。
全く違う新しい価値観で向き合うべきなのか、別のものを選ぶべきなのか、迷っております。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
素敵な境地では
拝読させて頂きました。私は浄土宗僧侶ですから専門外ではありますが、あなたの今の状況は大変素敵な境地ではないかと思い読ませて頂きました。今までの自分の我欲を捨ててあるがままに世の中を世界を見ることで訪れる心の平安なのではないかと感じました。
それは素敵な時間ですね。
ただ私達は人間です、生き物です。己れの生存本能を備えておりますから振り子のようにまた本能に振り回されることもあります。或いは自分が悟りに至ったと勘違いしてしまい、あるがままの我が身を見失いなうこともありえます。
あまたのつながりの中で存在している我が身を見つめながらこれからもご精進なさって頂きます様にお願いします。
あなたが日々穏やかに清浄な境地でお健やかに生きていかれ、いつの日か悟りを開いてご成仏なさいます様に心より仏様にお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
ご返答ありがとうございます。欲を満足させる幸福とはまるで違ったもの、おっしゃる通り心の平安と申しますか、まるで未知であった領域なのでこれで良いのだろうかという思いがありました。
精進し続ける、それに尽きますね。もう幾度となく欲に惑わされ間違いを犯し、魂がもう沢山だと感じています。仕事に関しては同じことを続けるにしても、全く違った心を持って人との繋がりを感謝しながら出来ることを貢献してゆきたいと思いました。