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「欲望・欲を抑える」問答(Q&A)一覧

回答は、各僧侶の個人的な意見のため公共性を帯びたものではなく、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
2021/07/29

何かを好きになることは、いけないこと?

 僕は絵を描くのが好きなのですが、周りの絵を描く人を見ていると、誰にも見てもらえなくて絵を描くのを止めたり、上手い人に嫉妬して絵を描くのが嫌いになったりしてる人が多いのです。  そういう人たちを見ていると、「他人から見てもらえることや、上手くなることに執着してそれを追い求めても、結局は満たされずに絵が嫌いになってしまう。絵をずっと続けていくには、それらに囚われず、絵そのものを好きになることが大切だ。」と思うようになりました。  そうして色々調べている内に、初期仏教の「感覚に執着しない」という教えに辿り着き、それが様々な教えの中で最も根源的だと思うようになりました。  「○○が欲しい」「○○が快い」と思って追い求めて行っても、それが満たされなかった時に結局苦しみを覚えてしまう。苦しみを覚えないためには、感覚に心を動かされず、静穏な心で物事をありのままに受容すればいいのだということです。  実際その教えを実践していって、絵以外の様々な物事にも影響が出てくるようになりました。今までは自分のマイナス感情に振り回され自己嫌悪に浸っていたのですが、「これはこういう情動なのだ」とありのままに観察し、執着しないことでそれらの悪循環から抜け出せたのです。  しかし、よくよく考えてみれば、「絵を描くのが好きだ」というのも感覚であり、執着です。「これは自分の人生でやりたいことだ」と言ってしまえば、それが果たせなかった時の苦しみの源になります。もしそうだとするならば、絵を描くことを好み、苦しみなくそれを楽しみたいという欲求にも囚われてはいけないのではないでしょうか。  

有り難し有り難し 2
回答数回答 1
2021/05/03

密教における欲、怒りについて。

昔、私が学生だった頃、大学でインド哲学を学んだ人から、こう教えられました。「初期仏教では人に属する欲は全て良くないものと全否定されるが、時代が経てだんだんと欲は肯定されていって、仏教の最終段階である密教では「セックスは菩薩の境地だ!」と教えられるのですよ。そうやって密教では性も含めあらゆる欲が全肯定されるに至るのです!」と。 また同時に、弘法大師を信奉するある僧侶の方が「日本人は怒れないないからダメなんだ!」と仰り、その言葉を持って、先の人からは「(人に対して社会に対して)もっと怒れ!怒れ!」と、私は言われ続けました。 私は{密教では怒りの感情も人間に属する<聖なる属性>として肯定されるのか。。}と思い、それからというもの、私は何かと「怒り」を持って親や世間の人たちに接し、それが故に大きな軋轢を家族や人々との間に作ってきました。 今はそのようなことすべてを後悔しています。 私も老齢を迎えつつある今、お釈迦様の言葉や弘法大師の「四恩十善の教え」を知るなかで、実際のところ、密教では「欲」や「怒り」はどのように扱われるのだろうという疑問が頭から離れません。 彼らが言ったように、欲や怒りは密教では「善きもの」なのでしょうか? そのように肯定されるものなのでしょうか。 お釈迦様の教と密教はそれほど違うものなのでしょうか。 どうぞお教下さい。

有り難し有り難し 39
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2020/08/27

新しい刺激を得たい欲求との付き合い方

ストレスが溜まると新しい刺激が欲しくなります。(週1ぐらい) 同じ毎日に嫌気が刺し新しい楽しいことがないかと考えます。 しかし、それのせいで先日夫と喧嘩をしました。 少し前から私はこの人生を鮮やかにするには新しいことを習慣化し自分の特技を作ろうと語学の勉強をしていました。 勉強をしていくうちにペラペラになりたいと思い、なった方々を調べるとネイティブの方と喋るに尽きるとのことでした。 私は留学はできませんしお金もあまりないので、海外の方と交流できるコミュニケーションアプリの利用を考えました。もちろん女性とだけ関わるつもりでした。 しかし、夫は元々SNSを酷く嫌がるタイプの人間なのでやはりダメでした。 自分からすれば刺激のない日々の対策を自ら見つけ、コツコツ頑張って来たので腹が立ちました。何も男の人と関わるとは言ってないからです。 とはいえ、夫がそう言うだろうとはわかっていました。自分は夫の方が大事なのでそこは自分が諦めました。 しかしながら、じゃあその代わりになる物があるかと言うとそうじゃないです。 今まで散歩や、新しい料理、掃除、読書などをやってましたがどれも物足りなかったです。 また何かを見つけない限り自分は生きてるのが苦痛になると思います。 このストレスを得ると新しい刺激を得たい欲求とどう付き合うのが良いのでしょうか。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1
2020/08/18

「欲」との向き合い方が分かりません。

いつもお世話になっています。 タイトルの通り、欲とどう付き合うべきなのか、より正確には「無欲」とどう対峙すれば良いのか悩んでいます。 私は基本的に、様々な物・事に対する欲や執着が薄い傾向にあります。 物欲はもちろん、金銭や名誉への執着も大してなく、娯楽や趣味も没頭するほど興味の強いものが特にありません。 人間である以上、欲が皆無という事は有り得ませんし、あくまで「欲が薄い」のだろうと自身では思っていますが、実際それを周囲から指摘される事がたびたびあります。 例えば物欲ですが、生活必需品(消耗品)以外の物について「どうしても欲しくて堪らない」と感じる事がほとんどなく、自ら買いに出かけるような事はまずありません。 流行に疎く、新しい物・珍しい物への関心も薄いです。 毎年誕生日にプレゼント交換をする友人がいますが、これと言って欲しい物も思いつかず「じゃあこれ適当に使って」と仕方なく現金でもらった経験さえあります。 しかし、そのお金に関しても「欲しい物、したい事があって貯めている」わけではなく、「使う予定がなく必然的に貯金に回っている」状態です。 他にも、人と会ったり遊んだりする際、行きたい場所、したい事がパッと浮かばず、基本的にプランは相手任せです。 (表現が適切か定かでありませんが) 「意見がないに等しい」ので、仮にどこで何をする事になっても、それを苦に感じたり嫌に思ったりは特にありません。 ですが周りからは「それで本当に楽しめてるの?」と逆に疑われる事があります。 また、私はどちらかと言うと「〜したい」より「〜したくない」という欲が強いです。 自身の経験上(※詳細は過去の質問をご参照願います)、常に思考の根本に「周りを巻き込みたくない」考えがあり、結果的に「相手に合わせる」、より正確には「相手任せ」という展開が大半です。 自分自身に関しても、「今以下にはなりたくない」、強いて肯定形にするなら「せめて現状維持でいたい」です。 欲の無さは同時に自信や向上心の無さだと聞きますが、やはり欲が薄いのは総じて良くないのでしょうか。 欲の薄い自分はまともに自己主張すらできない弱い人間という事なのでしょうか。 欲が薄い事は「恥ずべき」事、「改めるべき」事に当たりますか。そうである場合、それを直していくためにどのような事を心がけていくべきか教えて頂きたいです。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1
2020/07/01

踏みにじられたいという欲求について

誰にでも、こだわりや真面目に取り組んでいること、話題にしたく無いことなどの他人に土足で踏み込まれたく無いゾーンってものがあると思っています。 私自身、他人のそういうのを察すると避けますし、大体の人達は何も言わずに見守ってくれたりします。 親しき仲にも礼儀ありと言うのか、タブーに触れて相手を傷つけない為に、そして自分も嫌われないように、そうするのだと思います。私はそうです。 私にもそういったどんなに親しい友人にも触れて欲しく無いものごとが有ります。 いい意味でも、悪い意味でも、本気だから茶化されたく無いし、自分による自分の為のものだから、と感じます。 ですがその一方で、他人にそれを指摘されたい、話題にされたい、踏みにじられたいと思います。 話題を避けてくれたなと思う瞬間があると寂しさを感じることもあります。 これは承認欲求なのでしょうか。 他人から自分という存在を知ってもらっていることを明確に確認したいのか、と考えたりします… 本音でぶつかりたい、とはまた違うような気もしますし、なんでも話せる友人に一度言ったことがあるのですが、友人からの私を傷つけないようにという優しさを無碍にしてしまっているような、困らせてしまっている罪悪感を感じました。 私も大切な友人にそういったことをしたくは無いと強く思いますが、私はされたいのです。結果自分は傷つくだろうむかむかするだろうもしかしたら嫌いになるかも、とは思いますが… 自分でもよくわからない感情にモヤモヤしています。あまり人には共感されにくいと思い他人には話せずに寂しさを感じています。 皆さまの視点からのお話を聞かせていただけたらと思います。

有り難し有り難し 2
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2020/05/23

欲を抑えられず、自分にも人に迷惑をかける

 自制が出来ません。  私は今までの人生の中で日々怒られてきました。小学生の頃は成績がよくなく、人にも合わせられませんでした。中学生になっても自分の意のままに過ごしてしまい、試験があって周囲が勉強している中、授業中は常に寝ていて、試験期間でも焦らず勉強をせず遊びに行っていました。勿論結果は赤点ばかり。友人関係でも、自分の利益のみを考えて怒らせてしまっていました。  そんな人生を、高校になって初めて後悔し始めました。自分を客観視してみると、周囲は色々と頑張っている中、自分には何もない。このままではいけないと思い、勉強をしようと思っても、やっぱり集中が出来ず、結果も出ず親に怒られてしまいました。そうして「どうして自分はこうやって努力をできないのに、生き続けているのか」を悩むようになりました。周囲の友人に相談しようと思っても、ネガティブや無神経な態度をとってしまい、結局離れていきました。  今までの人生で何度も死のうと思いました。迷惑をかけることしか出来ない自分には存在価値がないと。しかし勇気が出ず、途中で失敗してしまいました。そのことを知った警察の方や学校の先生にも相談をして良いと言われてしたのですが、自分の人生を続けていけるような答えが出ず。立場上この行動(自殺)を否定せざるを得ないのはわかっていますが…。  いま現在、来年に大学受験を控える身です。この自粛期間中も、やらなくてはいけないのはわかっていても、欲に負けてしまって思うように進まず、周囲が努力している中で自分はただ後退しただけでした。  今は気持ちが浮き沈みしている状態です。よし、頑張ろう と意気込んでも、結果的に全然うまくいかず、自己否定に走ります。これを日々続けて気持ちも疲れています。  前述したように、努力も出来ず、人に迷惑をかけ続けるだけの人生を生き続けていく必要性がわからず、だからと言って死ぬ勇気もない。先生に「本当に死にたい人はもう他のことが考えられないくらいの状態になっているから、貴方は大丈夫」と言われましたが、私だって悩んでますし全然大丈夫ではないです。もう人と関わりたくないし、学校にも行きたくなく、家にもいたくない。  自己肯定感がないのはもう事実を受け止めているだけなのでそのままで良いですが、努力を続けたり人に合わせられる方法が知りたいです。長くてすみません。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 12
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2020/04/14

私欲を消し、利他の道を歩むには。

仏門で日々、心身を鍛錬なさっておられる皆様へぜひお力添え頂きたくご質問致します。 私は20代前半男性の勤め人です。 父母が入信していた神道系新興宗派へ物心つく前から入り、12歳まで信徒をしておりました。 その間、私が10歳の時に父は病で鬼籍に入りました。 それから母と暮らしていましたが、専業主婦をしていた母に子を養う事は難しく、段々困窮していく中で余裕が消え、それまで信仰していた宗教とは全く異なる神道系新興宗教へ母子共に改宗しました。 しかしそんな生活が続くはずもなく、私が14歳の時に家賃滞納を苦に母は蒸発してしまい、その後数年間行方は分からずじまいでした。 そして私は児童相談所を介して、これまた上記2つとは全く異なる神道系宗教が運営している中学校へ単身転校し教理の専門教育を受けました。 卒業後は環境の変化を重ねがらも細々と暮らしています。 これまでの人生で失ったもの、得たものへの無念、執着はありません。 難しい環境の中で悩む友人に寄り添い、共に支え合える関係を築けるようになりましたし、母と改めて対面した際には申し開きを冷静に聴き、母なりの苦しみを受け入れ許す事が出来ました。 これらは今までの積み重ね無くしてできない事だと思っており、成長として実感しています。 しかし根底にはやはり私欲の幸せを求める心があり、長く寄り添い互いに与え合える関係のパートナーを探すべく、6年ほど励んで参りましたが一度も叶う事はありませんでした。 悩む中で、私の今世は失いながらも人へ与え続ける事が使命なのだと結論付け、現在は良縁を求める友人達の仲人役が生きがいになっています。 長い時間の中で今世の使命をやっと理解できたというのに、俗気を消しきれず時たま空虚な気分になります。 私心を完全に消し、利他の精神を貫徹するにはどうすれば良いでしょうか? 宗派が違う3つの神道を経て尚も利他へ徹しきれない私に、仏教の観点からご教授をお願い申し上げます。

有り難し有り難し 23
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