何でも調べすぎて辛くなってしまいます。
ふと気になったことや心配事があると、ネットや文献でとことん調べてしまう癖があります。
明るい話題ならいいのですが、気になった事件や事故、病気などがあると、好奇心が止められず調べてしまいます。そして内容を読んでから、暗い気持ちや不安感がふくれあがり、『やっぱり調べなきゃよかった。』と後悔することがよくあります。
自分にとって不愉快な事柄だと分かっていても、一度気になるとなんだかムズムズしてしまうのです。
例えば体調が悪くなったときは症状を検索し、自分が納得するまで、もしくは精神的に辛くなってくるまで詳細を調べ尽くさないと気が済みません。ほかにも、苦手な人と自分の誕生日が一緒だったら嫌だな…となぜか気になって調べたこともあります。とにかく気になることは様々で、くだらないことであってもついつい調べてしまいます。
嫌な気分になると分かっているなら調べなければいいとは思っています。ですが事実が分からないと、自分の納得できる答えを探して頭の中でぐるぐると考え続けてしまいます。
○○かもしれない…いや△△かもしれない…と考えているくらいなら、いっそ調べたほうがスッキリする部分もあるかもしれません。ですが、勝手に調べて勝手に落ち込んでしまう自分がとても嫌なのです。
この『調べ癖』は、良い側面もあると思っています。勉強や仕事で気になること・興味のあることも突き詰められる、ある意味特技なのかもしれません。ですが、わざわざ自分で嫌なことを調べに行き、精神をすり減らすのはものすごく無駄なことだと思うのです。
不快な事を知ろうとする好奇心を抑えるには、どういった心持でいればいいのでしょうか。うまく情報を取捨選択していくにはどうすればいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
嫌な感情も友達
拝読いたしました。
最近思うのですが、もう近頃はスマホで何でも調べることができますね。
私の学生の頃は、調べたいことがあっても簡単には調べられない。
なんとか辞書を紐解くとか書店に駆け込み、関連のある書籍を購入して調べる。
そんな時代を生きてきました。
はっきり言って不便です。
しかしながら、便利になったこの時代、簡単にお寺の口コミが書かれるやら、おちゃこさんのように、嫌なものでもすぐに目にしてしまう、というような弊害も起きてきています。
私が思うに、感情は一過性のものです。
それはいいも悪いも。
嫌な感情も生きているからこそ、心が健康だからこそ、味わえるものなのです。
調べごとをすれば、深く掘り下げれば下げるほど、様々な感情と対峙していかなければなりません。
この感情はいい、この感情はよくない、などと区別せず、みんな自分から発生したものなんだと考える。
生きているんだと。
そのような心構えで日々過ごされてはいかがでしょうか。
深い探求心には無限のメリットもあるのですから。
質問者からのお礼
海老原 学善様
あたたかく分かりやすい回答ありがとうございます。
しっかりと読ませていただきました。
良いと思っていること、悪いと思っていることも、元をたどれば自分が生み出した感情。ついつい嫌な感情にばかりフォーカスして落ち込んでいましたが、楽しく明るい感情も、もっと大切にしなければいけませんね。
生きているからこその探求心、それに付随する様々な感情も、自分の一部として大事にしていきたいと思いました。
お坊様でも口コミやネットを見て、色々と思うこともあるんだなあ…と思うと、なんだか安心しましたしほっこりした気分になりました。
モヤモヤした気分が解れ、スッと楽になりました。ありがとうございました。