家族とは何ですか。
家族とは、何のために存在するのでしょうか。
私は現在、父と母と弟と4人で暮らしています。1年ほど前に、両親から離婚したいという話がありました。それまでも喧嘩することが多く、家庭内別居の状態が2年くらい続いています。
来年の私の大学卒業を待ち、今離婚することを思いとどまってくれているようですが、家族とは一緒に住んでいるただの同居人というような状態です。
それでも、私たちが一緒に過ごせる日々はこの先もう2度とないと感じ、残された時間を大切にしたいと思ってきました。
ですが、結局私にできたことは、家族それぞれに声をかけ、それぞれと他愛もない会話をすることくらいでした。
この1年を振り返ると、家族それぞれがそれぞれのこれからの人生を歩むための準備期間になっていたように思います。
そのなかでの家族との関わりについて、自分には何ができたのだろうと今も考えますが、答えがわかりません。
また、うちの家系では家族や親戚との間でも問題があり、親戚や祖父母とも縁を切っている状態になっています。(縁を切ると言い出したのはすべて祖父母からです。)
そこで、質問です。
家族とは何のためにあるのでしょうか。
血が繋がっていても相手のことを気に入らなければ、縁を切ることはできてしまうのでしょうか。
そして、私たちが家族として過ごしてきた日々に意味はあったのでしょうか。
両親がここまで育ててくれたことに感謝していますが、家族それぞれがお互いに我慢するばかりの生活だったように思い、苦しくもあります。
長文ですみません。
ご回答、よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
犬猫に家族はありますか?
こんばんは。悩ましい問題に突き当たりましたね。それを考えるとっかかりに、タイトルとした「犬猫の場合」を考えてみてはいかがでしょうか。
母親は必要です、どんな動物でも。けれど、父親が子育てに参加し、祖母がこれだけ子育てに関わるのは人間だけです。そう、この集団の第一義の目的は「子どもを育てること」です。
しかも、なるべく色んな環境とか病気に耐えられる、遺伝子的に強い子を育てたい。だから夫婦は、遺伝子が異なり、従って価値観の異なる者同士が、遺伝子に導かれて=何となく、相手を選ぶのです!
生物として正いこの行動。そのデメリットが「価値観が合わない」喧嘩という形で現れるのです。「好き好き〜」とか言って、感情が昂ぶっている間、頭がボーッとしている内に行われるのが結婚ですので、「価値観の異なる相手と、それでも共同して生物としての役目を全うしている」という、いわば不自然な状態です。
私は密かに、言葉というのは、そのギャップを埋めるために発達してきたのではないかと考えています。宗教も多分、そのバリエーション。異なる価値観の相手を理解し、何とか一緒にやっていこうとする、そのための手段なのではないか。
「価値観の合う人と結婚したい」と人は言いますが、それって子育てを考えた場合、よくない選択なのです。夫婦二人だけで行くならばそれでも構わないと思いますが、「この人なら同じ!」と思っても、最後は他人ですから。
ということで、子どもの成長をある程度まで見届けて離婚するのは「自然なこと」と言えるように思います。「人生は一生勉強・一生修行ですよ」と(口先だけでも)言えるなら、添い遂げられるでしょう。