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人も、生きることも、何もかもが怖いです。

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有り難し有り難し 19

私は小学生の頃くらいから人が苦手になりました。

自意識過剰だということは百も承知なのですが、
人の視界にちらっとでも入る、
人と会話しなければならない
(たとえその人が親友であっても億劫です)
と思うと、体が震えて腹痛をおこすほど緊張し、
電車内であれば、貧血をおこして立っていられません。

このままではいけないと思い、
“気楽にいこう”とか“考えすぎないようにしよう”と心がけていたのですが、
そう心がければ心がけるほど苦しくて仕方がありません。

私は今年から大学へ入学しました。
大学へ入学したのは、もちろん勉強がしたかったのが一番の理由なのですが、
このような私を改革しようと思ったのです。

そのために、人と多く接するように心がけ、バイトも人と多く接するものを選びました。

しかし、あまりにも早くに限界がきてしまいました。

自分ではどうしもできなくなってしまったので、
初めて家族全員へ人がとてつもなく怖いことをカミングアウトしましたが、
あまり真剣にはとりあってくれませんでした。
とてもショックでした。

ここまで必死に育ててもらったのに、
その結果が私のような人間が育ってしまったうえに、
すぐ限界がきたといって折れてしまう中途半端な覚悟で進学して多額のお金を払わせた
という気持ちで申し訳なさでいっぱいです。
生まれてきたことを激しく後悔しています。

これからを生き抜くことが恐ろしいです。
しかしだからといって死んでしまうことも恐ろしいです。

私はこれからどうすればいいのでしょうか。
家族や信頼していたはずの友達すら恐ろしいです。

話がまとまっていないうえに、文が長くてすみません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様にお任せ

私も人前で緊張することがよくあります。たとえば、(私は普段は高校で教師をしているので、)学校の入学式や卒業式での生徒の呼名。これは本当に緊張します。大勢の生徒や保護者、そして来賓の方々がいる中での呼名です。緊張しない方がどうにかしています。特にも、卒業式の呼名は大変緊張します。なぜなら、少なくても1年間(場合によっては3年間)は教えていた生徒たちの名前です。絶対に読み間違えたりできないと思ってしまいます。そんなとき、私はどうしたかをご紹介しましょう。

それは、自分自身の行いによる結果を、すべて仏様(縁起のはたらき)にお任せしたのです。行いによる結果を仏様にお任せすれば、そこに「呼名は絶対に間違ってはいけない。」というようなことはなくなります。つまり、間違えるときもあることを容認することになります。サキさんの場合ですと、話したくなければ、無理をして相手と話をしたりしなくてよいのです。人と会うのが億劫ならば会わなくてもよいのです。
じゃあ、自分の行いによる結果を仏様にお任せすることで、あなた自身の何が変わるのでしょうか。実は、何も変わりません。あなた自身、何も変わらなくても、あなたが取った行いの結果は、仏様の意(縁起のはたらき)によるものであるということです。時には、結果が自分の意に反するものになることもあるでしょう。でも、一旦、自分の行いの結果を仏様にお任せしたならば、あなたはそこに、「この世は縁起の世界であるから、思い通りにはならないことがある」ことを教えていただけるのです。
ですから、あなたは、ただ目の前の状況においてどうしたらよいかを考え、それを実行に移そうとするだけです。やろうとしても出来なければ、出来なくて結構なのです。仏様にお任せしておけば、あとは、仏様があなたにとってふさわしい結果を用意してくださいます。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

度合いはどうあれ、緊張は誰でもするものですよね。
お坊様がお答えしてくださるこのサイトで質問をさせていただいたのですが、私は普段、あまり仏様などの御神仏の存在を意識したことがありませんでした。
ですが、これを気に自分自身の行いの結果、成行を仏様にお任せしてみようと思います。

またいつか稚拙な質問をすると思いますが、そのときはよろしくお願いします。
最後に、新しい考え方を授けて下さってありがとうございます。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

私の命の使い方

22歳、今年大学を卒業したばかりです。 学生の頃、私は大きな夢や野望をたくさん持っていました。また、それと同時に、自分の置かれている立場や住んでいる場所、全てに不満を抱えていたのです。卒業してすぐに、家族の反対を押し切り以前からずっと憧れていた街に飛び出しました。しかしそこでの暮らしは思い描いていたものとは大きく異なり、鬱のような状態になった私はすぐに実家に帰ることになりました。そして家族の有り難さにようやく気付いたその頃から、私の中の一部がまるで他の人と入れ替わってしまったような気がするのです。以前は猪突猛進でやりたいことに向かって後先考えず進むような性格だったのですが、そんな人格はどこかへ消えたかのように、家の中に引き篭る生活を何ヶ月も続けました。その間に段々、叶えたかった夢のこともどうでもよくなりました。家があること、母のご飯を食べられること、ただそれだけで幸せだと思うようになったのです。自分の目的の為なら家族や親友を犠牲にしても良い等と言っていた私が突然そんな風に変わったのですから、両親も驚いていました。 そして非正規ではありますがやっと仕事も見つかりました。それは学生時代、就活中に友人が馬鹿にしていた職種であり、当時の私自身もそんな仕事をすることは永遠にないと思っていました。けれど、この度のことで自らの愚かさや傲慢さに気付いた私は、誰もが憧れるような仕事をしたいという欲を捨て、自分でもできることをやっていこうと思い直したのです。何も出来ない、資格も無い私には元々そんな生き方がお似合いだったのかもしれません。 最近はよく「自分の人生なのに何故そんなに他人事でいられるの?」「若いのに何故もっと頑張らないの?」と言われ、色々と考えてしまい疲れます。 周りの友人は、今も目標に向かって頑張っています。しかし私はそれを見て焦るということもなく、このままでいいと思うのです。少しのお金を稼ぎ、適度に趣味も楽しんで、家族と平和に暮らしていきたいと思うだけです。とにかく今は、家族に恩返しがしたいです。それ以上のことは望みません。 私の考え方は間違っているでしょうか? 目標も夢もない人生を送るのは、せっかく与えられた命を無駄にしていることと同じなのでしょうか?

有り難し有り難し 8
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親の言う通りに努力したら失敗

私はオールAの成績を取っても親から「学校のレベルが低いのに何、もっと頑張りなさい」 90点でも「10点たりない」 コンクールで日本一になっても「ただの学生レベルにすぎない」と言われてきたのが印象に強く残っています。 常に「二度と間違えないようにしなさい」 「再発防止策を考えて紙に書け」 「改善策を考えて紙に書け」 と言われて、言う通りに努力しました。 「人の生きる道を教えるのが親の仕事であり、それでないと子どもは犯罪者になる」と言われてきました。 ただ、間違いの起こさない人間などいなかったようで、全ての悩みに改善策を書き出そうと、図書館に通い文献に当たりながら、子どもなりに最善を尽くしましたが、考えすぎて、脳疲労で幻聴が聞こえるまでになり、それで薬を飲まされると、眠くなるし、体も動かなくなり、10年以上半分寝たきりです。 問題を二度と起こさないようにしようとするのをやめる、 対策を立てないのが対策だったのでしょうか? 悩みは解決しなければならない決まりは無かったのでしょうか? もしかして、成長しようとするのをやめたら、考え事のしすぎで脳が疲れるのは治るのではと思います。 幸せの青い鳥は、青い鳥を探す必要などなく、最初からここにあったのだという結論です。 マインドフルネス瞑想をしているのですが、思考によって解決するのではなく、思考により答えを探し求めなくとも最初から安らぎはここにあったのではないかと感じるようになりました。 10代半ばから半分寝たきりのため、一般教養がありません。 私はずっと、自分を適性のある仕事につけて、成長させ、失敗しないよう努力するとか、人間や社会や自然の仕組みを知ればもう困らないのではないかとか…そう考えてきました。 適性は見つかってきました。 ただ、教養をやり直すかと考えた時、こんな調子で、中年になっても老人になっても改善策のため努力するより、何も知らない自分、人間も社会もわからない自分のまま、再発防止策の探究に没頭するのをやめ、周りの事も見たら、トラブルも減るのではと思っています。 自分の世界に入り込んで常に考えるのをやめれば、教養の勉強にまたのめり込むよりいいですよね? もしかして幸せの青い鳥は勉強の先にあるのではなく、最初からここにあったのではないかと思うのですが…

有り難し有り難し 29
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病気だらけの人生。私に出来ることは?

私は生死をさまようような病気をはじめ、大小様々な病気を30種類以上してきました。病気だらけの人生です。 まず7歳で年齢的には珍しい病で開腹手術をしました。その時にある病院では「うちでは助かったケースはない」と言われましたが、転院先で手術は成功。生き延びることができました。 しかし、その後、お腹の中で溶けるはずの糸が傷口から飛び出てきて、ピンセットで引き抜くような痛い思いもしました。 その手術との因果関係は不明ですが、小3から内臓疾患になり、乗り物酔いや吐き気に悩まされました。 中学から離人症になり、突然、夢か現実か分からなくなる精神疾患になりました。 小中と心身の病があり、学校を休みがちでした。 勉強は好きで自宅学習をしていたので成績は良かったのですが、逆に災いし、酷いいじめにもあいました。 後に不登校を乗り越え教員となります。 高校からは新しい内部疾患になりましたが、明るく前向きな気持ちで過ごし、楽しい学生生活でした。 大学卒業後は教員になりました。教え子から麻疹がうつり、42度の熱が1週間続き、生死をさまよい、母に育ててくれた感謝の言葉を述べ、死を覚悟しました。 後遺症で記憶力の低下があります。 その後、仕事や介護、家業の手伝いなどがプレッシャーとなり、20代後半で双極性障害(躁鬱病)になりました。 家族の癌が発覚、ショックで寝たきりの鬱になり、車椅子生活でした。転院の末、徐々に回復し、家族の介護を行い見送ることができました。 双極性障害は重症化し、今では数日おきや一日の中でも躁鬱の波に苦しんでいます。 数年前に私の心身の病気を理解してくれる夫と結婚できたことが、人生最大の幸せだと思っています。 子供が欲しいのですが不妊治療が必要で、心身の持病が悪化する可能性があり、迷っています。 自分の子供を産みたいので養子は考えていません。 小さい頃からほぼ毎日のように病気に振り回されてきましたが、なんとか生き延びることができているのは有り難いです。 同じ病気の人の為になれたらとSNSもやっていますが、あまり共感を得られず、考え方や書き方に問題があるのかと落ち込みます。 なぜこんなに病気の多い人生なのでしょうか? 誰かの役にたちたいです。 私は何を学び、何をする為にいきているのでしょうか? 人生の指標を探しています。

有り難し有り難し 22
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自分の障害と生きづらさ

私は昔から、短気な性格でした。怒ると歯止めがきかなくなるところはずっと自覚していました。 この性格で苦しみ出したのが、彼氏ができるようになってからです。付き合う人に対して悲しさや怒りを感じると歯止めが効かなくなって、自分でも怒っている時は記憶がなくなるくらい罵倒したりしてしまっていました。その彼からは拒否されるような形で振られてしまい、その後自分は何をしたんだろうと強い自己嫌悪に陥り、自分の存在価値を見失ってしまい、鬱病を発症してしまいました。 その後、こんな私でも大切に思ってくれる、将来のことを考えてくれる素敵な人と出会い、同棲をしました。この人とならずっと一緒にいられる、いてもらえると思っていました。 でも、同棲生活が長くなり私自身も知らぬうちに彼に甘えてしまっていました。段々彼に対して不満を感じた時に止まらない怒りが爆発して彼を傷つけてしまいました。 彼からもう別れた方が良いと提案され、私は全てを失った気がして、強い自己嫌悪に陥っています。 前は鬱病というだけで向き合えませんでしたが、自分は境界性パーソナリティ障害なのではないかと、自分自身も家族に相談しても思っており、治療をしながら原因も病気と分かり、彼とやり直せたらと思っております。 しかし、彼は別れた方がいいという考えで、病気だとなかなか理解してもらえず、性格だと思っています。私が納得するまで急に離れたり拒否することはないから安心して、とは言ってくれますが、同棲解消で付き合いは続けるなど色々提案しても、自分の思っていることや気持ちをうまく伝えてくれず、ずっともどかしい状態が続いています。 彼が居なくなるならば、私はやっと自分と向き合い気づけた障害にも、もう立ち向かって努力できる気がしません。少しでも彼の存在を感じてたい、努力して、癇癪を起こしたりしない想ってくれてたときの自分に戻り、それから彼に別れるかの判断して欲しいと思うのは、わがままなのはわかっていますがどうしたらいいのかわからなくて辛い気持ちのままです。 別れたいと思わせるような事をしてしまった自分自身が嫌で嫌でたまらなく、人を傷つけてしまう自分に今すぐ死んでしまいたいとずっと思ってしまいます。 どうしたら私は病気と立ち向かい、彼に理解してもらえますでしょうか。今は自傷行為をしてしまい死にたくてたまりません。

有り難し有り難し 11
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過去の過ち これからの生き方

何度も、質問してしまいすみません。そして数ある質問の中から私の質問を見つけてくださりありがとうございます。 以前質問した私の過ちに対して有難いお言葉を頂き自分の犯した過ちと向き合って同じ過ちをもう二度としないと心に誓っています。 今まで私は、過ちを犯した人間なので一生幸せになることが出来ない、なってはいけないと思っていました。一時期は、もう生きてちゃダメなのかなとも思っていました。ですが、少し前に母と喧嘩した際初めて大喧嘩をし、その後仲直りする時私は大号泣してしまったのですが、初めてその時母も泣いていて泣きながら私を抱きしめてくれてくれてこんなにも愛されているんだととても感じました。また、喧嘩した時パニックになって祖父や祖母に助けを求めた時沢山心配してくれていて私をこんなにも愛してくれている人がいるのに死のうと思っていたこと、生きてても楽しくないと母の目の前で言ってしまったことに対し、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。母が一生懸命産んでくれた命なのに、あんなことを言ってしまってとても後悔しています。その後から、こんな私ですが、私を愛してくれる人もいるということに気づくことが出来、幸せになってもいいのかと思ってしまいました。私は自分のことが嫌いですが自分自身を愛してもいいのかなと思ってしまいました。嬉しいことがある度私なんかが幸せを感じていいのかな、なんて思わず、純粋に幸をを感じでいいのかなと思ってしまいました。 読みづらい言葉使いですみません。 そこで、質問なのですが私はこれから過去に過ちを犯してしまった人間ですが、幸せを感じて生きてもいいのでしょうか。 幸せになってもいいのでしょうか。 自分をすきになってもいいのでしょうか。 長々と書いてしまいすみません。最後まで見ていただきありがとうございます。

有り難し有り難し 20
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