人も、生きることも、何もかもが怖いです。
私は小学生の頃くらいから人が苦手になりました。
自意識過剰だということは百も承知なのですが、
人の視界にちらっとでも入る、
人と会話しなければならない
(たとえその人が親友であっても億劫です)
と思うと、体が震えて腹痛をおこすほど緊張し、
電車内であれば、貧血をおこして立っていられません。
このままではいけないと思い、
“気楽にいこう”とか“考えすぎないようにしよう”と心がけていたのですが、
そう心がければ心がけるほど苦しくて仕方がありません。
私は今年から大学へ入学しました。
大学へ入学したのは、もちろん勉強がしたかったのが一番の理由なのですが、
このような私を改革しようと思ったのです。
そのために、人と多く接するように心がけ、バイトも人と多く接するものを選びました。
しかし、あまりにも早くに限界がきてしまいました。
自分ではどうしもできなくなってしまったので、
初めて家族全員へ人がとてつもなく怖いことをカミングアウトしましたが、
あまり真剣にはとりあってくれませんでした。
とてもショックでした。
ここまで必死に育ててもらったのに、
その結果が私のような人間が育ってしまったうえに、
すぐ限界がきたといって折れてしまう中途半端な覚悟で進学して多額のお金を払わせた
という気持ちで申し訳なさでいっぱいです。
生まれてきたことを激しく後悔しています。
これからを生き抜くことが恐ろしいです。
しかしだからといって死んでしまうことも恐ろしいです。
私はこれからどうすればいいのでしょうか。
家族や信頼していたはずの友達すら恐ろしいです。
話がまとまっていないうえに、文が長くてすみません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏様にお任せ
私も人前で緊張することがよくあります。たとえば、(私は普段は高校で教師をしているので、)学校の入学式や卒業式での生徒の呼名。これは本当に緊張します。大勢の生徒や保護者、そして来賓の方々がいる中での呼名です。緊張しない方がどうにかしています。特にも、卒業式の呼名は大変緊張します。なぜなら、少なくても1年間(場合によっては3年間)は教えていた生徒たちの名前です。絶対に読み間違えたりできないと思ってしまいます。そんなとき、私はどうしたかをご紹介しましょう。
それは、自分自身の行いによる結果を、すべて仏様(縁起のはたらき)にお任せしたのです。行いによる結果を仏様にお任せすれば、そこに「呼名は絶対に間違ってはいけない。」というようなことはなくなります。つまり、間違えるときもあることを容認することになります。サキさんの場合ですと、話したくなければ、無理をして相手と話をしたりしなくてよいのです。人と会うのが億劫ならば会わなくてもよいのです。
じゃあ、自分の行いによる結果を仏様にお任せすることで、あなた自身の何が変わるのでしょうか。実は、何も変わりません。あなた自身、何も変わらなくても、あなたが取った行いの結果は、仏様の意(縁起のはたらき)によるものであるということです。時には、結果が自分の意に反するものになることもあるでしょう。でも、一旦、自分の行いの結果を仏様にお任せしたならば、あなたはそこに、「この世は縁起の世界であるから、思い通りにはならないことがある」ことを教えていただけるのです。
ですから、あなたは、ただ目の前の状況においてどうしたらよいかを考え、それを実行に移そうとするだけです。やろうとしても出来なければ、出来なくて結構なのです。仏様にお任せしておけば、あとは、仏様があなたにとってふさわしい結果を用意してくださいます。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
度合いはどうあれ、緊張は誰でもするものですよね。
お坊様がお答えしてくださるこのサイトで質問をさせていただいたのですが、私は普段、あまり仏様などの御神仏の存在を意識したことがありませんでした。
ですが、これを気に自分自身の行いの結果、成行を仏様にお任せしてみようと思います。
またいつか稚拙な質問をすると思いますが、そのときはよろしくお願いします。
最後に、新しい考え方を授けて下さってありがとうございます。