もっと苦しんでほしいと思う自分が苦しい
お世話になっております。
状況を説明せざる得ないため、前置きが長くなってしまいますが、ご容赦ください。
私の職場には、先の質問でご相談させていただいたとおり、理不尽に厳しい上司がいました。
その上司に対して数ヶ月前、パワハラの訴えがあったようで、私を含め数名に事実確認がなされたのち、上司は懲戒処分(戒告)を受け、自主退職しました。
理不尽に仕事をとめられることも、罵られることもなくなり、仕事はしやすくなりました。
しかし、心が晴れません。
上司に下された処分は「戒告」です。
記録が残り、出世はできなくなるかもしれませんが、すでに上司は充分なほど出世しきっていましたし、戒告は減給や降格等を伴いません。
なんなら、処分を受けたことで暇な土地に行って、高給をもらいながらアーリーリタイア気分にもなれたはずです。
しかし、上司は処分を受けることが決定になると、すぐに退職を決めたそうです。
私は、新人時代にすべきだった経験や、大好きな先輩方(半分程が鬱になって退職or休職しました)など、大切なものを沢山失いました。
なのに、上司にとって戒告はそんな痛手ではないし、しかも、あっさり退職するということは、失った地位や給料は、彼にとってそんなに惜しいものではなかったようで悔しいのです。
もっと苦しんでほしい、悩んでほしい。
そう思ってしまいます。
その悔しさ自体も苦しいし、そんなことを思ってしまう自分が怖くて気持ち悪くて苦しいです。
昇華できる日は来るのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
もう関わらない事です。
悪因はやがて悪果に結実します。
たとえ、今それをかわせている気がしていても、やがて爆発する爆弾を身の内に抱えているようなものです。
そんな危ない人間とこれ以上関わってはいけません。
もう、あなたやあなたの大好きな人達のほんとうのしあわせをお考えください。
仏の目は節穴ではありません。
悪因を成すものの眠りが本当に安らかであるかは分かりませんよ。
質問者からのお礼
芦川和尚
お忙しいなかご回答いただき、ありがとうございます。
お言葉を胸に頑張ってみたのですが、未熟故に消化できず、お礼すら申し上げられなかったこと、深くお詫びいたします。
人の不幸を願うなんて良くないと思っているのに、和尚様のお言葉を都合良く解釈して、早く因果がめぐれ!と考えてしまいます。
臨済宗は座禅の宗派だと聞きます。
座禅したら、上のような醜い感情は消えて、自身と大切な人達の幸せだけを考えられるようになりますか?(贅沢を言えば、できれば、元上司の幸せも祈れるようになりたいです)