引かれたレールを歩んで人生を過ごしたい。
私は就職活動中の大学院生25歳男で大学院では生物の研究をしています。
私の今までの人生は高校の先生に言われるまま懸命に受験勉強をし、なるべく偏差値の高い大学の方が良いと周りの人(友達、学校の先生、学習塾の先生)に言われていたので受かった大学の中で一番偏差値の高い大学に入り、学びたいことなど考えずに生物系の専攻を選び、勉強する意義を見いだせず ボーっとして大学を過ごし、周りのみんなが大学院に行うようなのでその流れで大学院に進学し、大学院でも研究に身が入らずに適当にやり過ごし、就職活動する時期になり、自分のやりたいことが見出せずに苦しみ、「誰かが自分のやるべき仕事を決めてくれたらいいのに」と思うようになってしまいました。
振り返れば、「まわりが決めたレールを歩めばいい」という自分の考えに問題があるということはわかっていますが、それでもレールから外れるのは恐いので周囲の人が望む学校や仕事に就くような(武士の子は武士、百姓の子は百姓みたいな)レールの敷かれた人生が自分には合っていると思うのですが、こんな私はいけないのでしょうか?
誰も相談する人がいなかったのでこの場を借りて、ご相談しました。
長文ですいませんがご意見の方いただけると幸いです。
後悔してばかり
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いけなくありません。聞く事が第一歩。
まず第一に、やりたいことを考えやりたい事をやっている人間は私の知る限りそうそういません。みなさん、社会に揉まれながら、模索して人生を歩まれています。
そのなかで一つ。今人生・進路に悩まれているのなら、まずはとにかく話を聞く事からはじめてはどうでしょうか? 大学の就職した先輩。会社訪問。とにかく人生の先輩達に話を聞き・・そのうえでご自身の将来を考えてはどうでしょうか?
人生に正解はありません。多くの方の話を聞きご自身の納得する選択をしていただけたら幸いです。
歩かされないこと
マッピーさん、こんにちは。
敷かれたレールを歩むことは、決して悪いことではありません。
例え、敷かれたレールの上を歩いても、その上で選択するのは常に自分です。
ですから、裏を返せばレールの上を選ぶのも自分の選択と言えます。
ただ、レールの上を「自分で歩く」のと、「歩かされる」のとでは、全くの別物だということだけは理解いただきたいと思います。
この世は常に、因縁と果報で成り立っています。
ですから、選んだ道でもしも後悔するようなことになっても、誰かのせいにしてはいけません。
なぜなら、全ての物事は、常に自分の選択の延長線上に在るからです。
周りが納得することよりも自分が納得することの方がより重要だと思います。
誰かが敷いたレールの上を歩むとしても、そこにしっかりと「自分で歩んでいるあなた」がいて欲しいと願っています。