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初夢

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明けましておめでとうございます。

普段から変わりたいのにずっとウダウダした毎日をおくっている私としてはお正月の雰囲気で少し気持ちが紛れている気がします。

年末に用意したおせちやぜんざい、お雑煮を食べて本当はお酒が呑めないのですがお屠蘇一口呑んで。

少しでも元気に前向きになりたいな、と思いながら家で書き初めをしてみて。

人が変わるにはきっかけが必要ですよね。

そして、初夢についてです。
確か二日の朝みたものが初夢と聞いたことがあります。

それで、今朝の初夢はあんまりよくありませんでした。
集団にいじめられる夢だった。
枕の下に富士山の絵でも敷いて寝ればよかったかな。

初夢が今年一年をあらわすわけではないと思うのでそこまで気にしませんが、どうもストレスがたまってるみたいです。

お正月からこんな話ですいません。

本年もどうぞよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夢でまなぶべきこと

寝てみる夢とは現実ではないという事です。
目が覚めてそれが夢であったと気づく。
夢は実際のことではないと知る。
奧の人はその夢の続きを夢想します。
こんなことが本当にあったらどうしようか、悪い夢だったなどと回想します。
この夢はこういう事を意味しているのではないか…、と悪く考えると実生活に影響すら及ぼします。
さて、そういう想念の活動こそが本当は「夢」なのです。
現実ではないこと、実際ではないことだからです。
一秒前は全て夢です。
オリンピック選手の金メダルも目指すまでは夢です。
手にした時も夢のようです。
それを過ぎればそれもまた夢です。
チヤホヤされていられるのもつかの間。
ドライなようですが、それがこの世の習いです。
自分を生きるのは自分しかありません。
夢を相手にうつつを抜かしてしまうのも人間の夢。
現実というウツツ(現)が過ぎた後に現をヌカすも人間の夢。
では、瞬きをして下さい。
それはゆめか真か。
瞬きをしたのはもう過去のこと。
それらは全て夢に等しきことです。
リアルを大切に、現実の手ごたえを大切に❝実感❞の中で生きてください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

明けましておめでとうございます

oh,そういえば今朝(いやもう昨日の朝か)は初夢の日でしたね。すっかり忘れておりました。年末のドタバタから除夜の鐘と続き、元日の朝、目が覚めて時計を見たら朝のお勤め開始の7分前。ヤベッと跳ね起きて準備し、本堂に行ったらすでに師匠が線香をお供えしてまわっていました。読経が始まっていなかっただけギリギリ間に合ったと言うべきか、ギリギリ間に合わなかったと言うべきか。。。
そんな流れで2日の朝は寝坊しないことばかり考えていました。初夢…まったく記憶にないなぁ。。。

これが私のお正月です。こんなお坊さんでも1年それなりに暮すのですから大丈夫です。気負わない気負わない。私も気負わない気負わない。こんな時間に回答してますけど、大丈夫、私は明日も起きられる。

さて、私は思うんです。休日は『疲れが出る』日だと。らら様は昨年1年頑張ったから、初夢でストレスな夢を見たのです。緊張の糸がほぐれ、昨年の疲れが出たから重たい夢を見たのです。だからその夢はめでたいのです。頑張りの証だから。
そしてそうやって緊張の糸がほぐれたということは、実はストレスを抱え込んでいるのではなく、心が休めているということです。その意味でも良い傾向です。

そう考えましょう。「私はストレスを抱え込んでいる」と思いながら過ごしていると、何かにつけ心身が重くなり余計に疲れてしまいます。気負わない気負わない。楽観的にいきましょう。
そう、楽観的に考えて私が新年早々寝坊したのも昨年の暮れに頑張り過ぎたからなのです(笑)

らら様も皆様も私も善き1年となりますように。さしあたって明日も起きられますように。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

笑い飛ばしましょう

ららさん、はじめまして。質問を拝読しました。

ららさんは、初夢で集団にいじめられる夢を見たのですね。

私の一発回答は、「笑い飛ばしなさい」です。初笑いだと思ってください。
おみくじでも凶を引けば喜んでください。それ以上落ちることはありません。

下ばかり見ないで上を向いて歩きましょう。
ららさんが上を向いて楽しく歩いていくことができる一年でありますよう祈念しております。

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おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

質問者からのお礼

丹下覚元様

早々にお返事ありがとうございます。

過去も夢も現実ではない。現実の実感のなかで生きよ。ですね。

現実を見てないのではなく現実で疲れています。

そして色々考えてしまうのですよ。

しかしどうにかしないといけないのも確かな現実です。
ありがとうございます。

中村太釈様
ご回答ありがとうございます。

初笑い、いいですね。
笑う門には福来るですね。

実はおみくじは末吉でした。
大体の意味合いで停滞でした。
しっかり笑い飛ばします。

こうやってご回答下さる多くのお坊様に感謝します。

それこそがありがたくて不運も何のそのに思えます。
ありがとうございます。

大慈様
大変遅い時間に寝なければいけないでしょうに時間を削ってご回答ありがとうございます。

寝ておきて見れば大慈様の書き込みがありました。
お陰様でそれを見て目覚めがあたたかい気分でした。

みんなものすごく頑張っておられるから何かしらあったりもするんですね。

頑張った証ですね(^^)
そう思うと肩の力がちょっと抜けます。

何かあったときは「頑張ったからだ」って思い返すようにしますね(^^)

皆様にとって善き一年でありますように。
大慈様が起きられておりますように・・・。

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ぴょんこさん今どこでどうしているのかな。
保護してもらえてたらいいのですが。
質問と関係のない追記です。
すいません。

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新しい書き込みがあって少し安心しました。
質問と関係のない書き込みをすみません。
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ