頑張ったら良いのか、流されたら良いのか
先日は私の稚拙な質問にも関わらず、温かなお言葉の数々をありがとうございました。
結局、こちらでどんなお言葉を頂いたとしても、人生の漕ぎ手は自分なので、自分でどうにかするしか無いんだろうなと当たり前の事に気が付きました。
毎日、サバンナの草食動物みたいにドキドキしています、そして無気力です。
優しい家族に恵まれ、少ないながらも心配してくれる友人にも恵まれているというのに、自分の人生を逆算しては「もう〇〇歳かぁ」と嘆いて、夢を叶えている友達やそのために動いている友達を思い浮かべて恥ずかしくなってしまいます。
このまま流されて、結婚したりして、家庭を持ったりして・・・でも、「あの時頑張れなかった自分」とは別れられないままなのかなとか考えたりして、1日終わってしまいます。
それと同時に、また頑張らなくちゃならないのかと思うと、ゾッとする気もするのです。
お坊様方も、きっと今に落ち着くまでに様々な葛藤や努力があったと思います。
なんと言いますか、まとまりの無い質問で申し訳ないのですが、私のような人間が再び人生を生き生きと歩めるようなお知恵をお貸し下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どんな些細なことでも、1年続ければ立派な特技になる。
日本将棋界のトップと言えば、言うまでも無く羽生善治棋士。将棋に興味の無い方でも、一度は聞いたことありますよね。彼は天才と呼ばれ、実際に今までの実績をみると天才という言葉ですら足りないほどの凄い人です。
そして、僕が個人的にとても彼を魅力的に感じるのは、有り余る知性と才能を内に秘めながら、驚くほど穏やかで、謙虚で、そして哲学的なところなんです。
羽生善治棋士がNHKの「プロフェッショナル~仕事の流儀」という番組に出演した際、こんなことを語っていました。
「才能とは、情熱をもって続けられる力」と。
羽生さんの倍以上生きている先輩棋士が、毎日休むことなく盤面に向かっている姿を見て、そう確信したそうです。一瞬のひらめきや生まれながらのポテンシャルより、続けることの方が難しいと。
また、タレントの武井壮さんはこう言っていました。
「どんなことでもいい。例えば歴史上のなにかひとつの出来事でも、一日1時間、一ヶ月勉強すれば、一ヶ月後には周りのほとんどの人より詳しくなれる」と。
仏教にも似た教えがあります。シュリハンドクという、自分の名前も覚えられないほど勉強が苦手な仏弟子がいて、ブッダは彼に「修行をする仲間のために、、「塵を除く、垢を除く」とお唱えしながら毎日欠かさずお堂を綺麗に掃除しなさい」と言いました。
周りに馬鹿にされ、まともに修行もできなかったシュリハンドクは、ブッダの言うとおり毎日毎日お堂をぴかぴかにしました。
すると、掃除を続けたシュリハンドクは「本当に綺麗にしなければならないのは心の汚れだ」とさとったといいます。
なんでもいいんです。掃除でも、なにかの学問でも、瞑想でも、書道でも音楽でも本を読むことでもいいんです。周りは関係ありません。あなたの内面の問題です。
何かを毎日、十分でも三十分でも続けてみて下さい。1ヶ月後、半年後、あなたの心の変化を楽しんで下さい。
きっとそれはあなたの特技となり、そこから自信が生まれ、あなた自身が変わるきっかけとなるでしょう。
質問者からのお礼
恵成さま
お言葉ありがとうございます。
羽生棋士は凄い方ですよね。
将棋の神様に愛され、そして御自身も努力を怠らない方なんだと思います。
私もピーチクパーチク不満ばかり言っていないで、怖がらずに一つ一つ片付けなければと思いました。
心の汚れを綺麗にしたいなと思います。
ゆっくり歩みたいです。