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叶わない恋なのでしょうか そもそも恋なのでしょうか。

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有り難し有り難し 15

塾に週1、来る先生がいます。(以後A先生)
A先生と出逢ったのは中3の夏、去年のことです。担当でないのにもかかわらず、質問したりと親しくなり、家が近いのもあって一緒に帰るようになりました。
A先生はバイトで塾の先生をやっていて、今年大学を卒業する23歳です。大学は1浪とはいえ東大京大に続く超難関国立大学なので、とても頭がよく、説明がわかりやすいので先生として一番尊敬しています。
初めはそうでした。 しかし、ある日授業が遅くなりA先生が先に帰ってしまい、1人で帰っているとA先生が待っていました。「待っててくれたの?」と聞くと「あと2分してこなかったら帰ろうと思ってた。」と言われ、それ以来、塾内から一緒に帰るとまずいからと私がその場所でA先生を待つようになりました。次第に私の家まで送ってくれるようになり、私の1週間の話やたわいもない話をしていました。いつしか私にとって週1の帰り道は、一番の楽しみになりました。
A先生はだんだん「お前はドMだな」とか言ってくるようになりました。「扱い雑じゃね?」と聞くと「もう少し生徒として扱ったほうがいい?友達としか認識してない。」と言うほど私たちは親密になっていきました。
先日、私がわからない問題が多すぎると騒いでいたらA先生が「明日図書館行くなら行こうか?」と言い、私たちは土曜日に図書館で会うことになりました。塾以外の場所で会うことに一瞬戸惑いましたが、嬉しくてたまりませんでした。
A先生の私服を見るのも初めてでドキドキしながら数学を教えてもらっているとのどが渇き、ジュースをおごってとねだっているとバッグからA先生はお茶を出し、見たところ未開封ぽかったので「飲んでいい?」と聞くと「手作りのお茶だけどいいの?」と言うので遠慮なく飲み、さすがにと思ったらA先生がそれを飲み始めました。衝撃で一瞬よくわからなくなりましたが、A先生を見ると何もなかったかのようにしていたので気にしない人なんだなと思いました。
入試前日、A先生はまた会ってくれました。帰り道、頑張れなどと言ってくれずに信号が変わった瞬間、「頑張ってこいよ」と言って私の頭をポンポンとしてくれました。嬉しくて私はその時、 好きだな と感じました。

卒業したら気持ちを伝えてみたいのですが、断られ友達としていられなくなるのが怖いです。脈ありとも思えません。8歳差。この恋は本物でしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

恋でしょう

あまーーーーーーーい!!

すいません、取り乱しました。甘く切ない恋のお話しをお聞かせいただきました。それは恋でしょう。
そして恋に本物も偽物もありません。結ばれるか、結ばれても続くかは別ですが、その時の「好き」という気持ちは事実でしょう。

しかし、これまでの相談を拝読すると、たけち様には「恋多き女性」という印象を持ちますがいかがでしょうか?

「恋は盲目」というように人を好きになると周りが見えなくもなるものです。もしこれまでの恋愛が長続きしないとか、本当に好きだったのか?と自信がなくなるようなものであったならば、一度振り返ってみるのもよいかもしれませんね。様々な人との出会いから学んだことも多いでしょう。恋愛以外に大事なことはないかあらためて考えてみることも大切でしょう。

その上で、やはり思いを伝えたいというのであれば勇気を出して臨んでください。

私たちは生きている中でたくさんの人に出会いますが、その中で「好き」になるご縁というものは稀です。
「好き」という感情は起こそうと思って起こせる感情ではありません。(「好き」に限らず感情すべてがそうですが)

せっかくのご縁ですから後悔のないように。恋心を本物にするのも偽物にしてしまうのも私たちの思いはからいです。
偽物と切り捨てていくも、本物だけど今はそうすべきじゃないとあきらめていくも…選択は様々あります。

「好き」という感情にどう応えていくか私たちは問われているのです。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

そうなんです。まさに・・・。
恋多きです。でも私としてはどの恋も 恋 だと思ってしまう・・・
まずはこの性格を変えねばなりませんね。 もう少し考えてみます。

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