苦しいです
前回ご質問させていただき、いただいたお言葉をこころにとめじっと耐える日々ですが、もう本当にくるしく、くるしく、くるしいです。
お寺をまわったり、あそびにいったり、やすんでみたり、できるかぎりのことをやってみたり休息をとってみたりするものの、何をやっても楽になれず。焦らなくていい、と周りにはいわれますが、焦っているという感じではなく、苦しくて苦しいのが嫌だからはやく抜け出したくてたまらないだけです。焦りたい、という感じでしょうか。義務感や無理やりやっているわけではないのに焦らなくていいといわれると、まだゆっくりじっくりじりじり苦しめと言われてるようで絶望してしまいます。本当に彼氏というより人生のパートナーだったので、彼氏がいなくなったというよりは、腕や頭がもがれたような気分です。周りの失恋へのアドバイスをきくと、ただの失恋とかじゃなく人生まるごと失くした気分なのにな、、、ただ好きな人がいなくなった程度の話じゃないのにな、、っとイライラしてしまい、イライラすること自体にも嫌気がさします。とにかくなにをしてめもマイナスの感情しかわかず、鏡をみると人相も変わり果てちっとも魅力的じゃない自分にも嫌気がさし、やさぐれたままではだめだと思ってダイエットや手入れを怠っているわけじゃないからこそ、どうしようもない気持ちでいっぱいになります。もう息をしているだけでも死にたくなります。ほとんどの時間を死ぬ方法やイメージや準備の方法などばかり考えてしまい、幸せになりたいというより、まず苦しみを取り除きたくて死にたくなります。死にたがりの自分がこんなにいることにも嫌だし、嫌なことがいっぱいで嫌です。人に見られてないときはずっと涙がでてきます。もう何が苦しくて何が嫌で何がつらいのかわけもわからなくなります。こんな自分が本当にいやです。相談にのってくれ、あそびにつれてってくれる友達がいるのに、楽しめないしどの言葉も心に納得できなくつらいです。春がくれば、時が過ぎれば、新しく出会えば、きっと楽になれる。そんなことはわかっているのですが、いま、現状、春を待てないほどつらいです。身動きのとれない馬乗りにされたまま包丁でざくざく突き刺されている気分なのです。そんな中ただじっと時間が過ぎるのをまつのが過酷すぎます。どうか助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あるけどない。ないけどある。
彼の本当の気持ちを確認しましたか?もしあなたが本当に彼なしの人生なんであり得ないと思うのならば、彼にその思いを伝えるべきです。それでもし彼に気持ちがないようでしたら、それできっぱりあきらめられないですか?今は少しでも望みが残されているから、その望みに手をつけず見て見ぬふりするのは辛いんじゃないですか?
それでダメなようなら諦めましょう。人は誰のものでもありません。人はひとりで既に完成しています。なぜ欠けていると思うのでしょうか?なぜ「あの人がいないと完成しない!」と思うのでしょう?
私たちは一人で死んでいかなければなりません。何も持っていけないですし、誰も連れてはいけません。この身心ひとつです。
ならば、安心して一人で死んでいけるように、身心を養っていくことが大事なのではないでしょうか。
決して、孤独に耐えられる強靭な身心を手に入れよう、とかでは全くありません!
私には「欠けている」とか「足りない」とか、誰が決め付けているのか?ということです。
私が「ある」と思い込んでいたものは、そもそも「ない」のではないでしょうか…?あるのは思いの中だけで、事実としてはないのではないでしょうか?
足りている人は、じっとしています。足りない人は、求め歩きます。
足りている人は、今にいます。足りない人は、過去や未来にいます。
足りている人は、体にいます。足りない人は、頭の中にいます。
気分を害しましたら読み流してください。合掌
納得するまでの対話を
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
かなり苦しまれておられるご様子・・誠におつらいことでございます。
ただ待っていて時間が解決するのではなく、やはり、良い因縁(原因と条件)によって、良い変化も生じることになって参ります。
そこまで大切な存在として、まだお相手の事をまだ思われていらっしゃるのでしたら、納得されるまで話し合いを持たれて、今一度、その真意や鬱病の状態などを確かめてみられるということはどうなのでしょうか・・
やはり、心の中で納得がいかれていないことで、気持ちの整理がなかなか追いつかないのが現状なのではないかとお察しいたします。
もう一度、話をしてみましょう。そして、貴女様の言いたいこと、思いもわだかまりを作らずに、しっかりと伝えてみられることも。
川口英俊 合掌