他人を気にしない
私は他人に言われたイライラする発言を忘れることができません。私は日々、自分の目標に向かって努力をしているつもりなのですが、それを知ったかのような発言や、たまたま一回程度自分に勝っただけで、すべてにおいて勝ったかのような発言、またすべて上から見下すような発言を聞くと、ひどくイライラがたまり、忘れるのに時間がかかります。
そのような人が見直にいる場合、どのような対応をしたらよいのでしょうか。やはりまだまだ自分の器が小さいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
競争したいたいんだなぁ。
こんにちは。プロフィールも併せて読ませて頂きました。
いま貴方のいる環境は、人生の中でも珍しいほど、「周りと競争しなくてもよい」、自分の興味に従って好きなことができる時期だと思います。そりゃ細かいことはあるでしょうけれど、「何かを追求する」ことに自由に時間を使える、ある意味最初で最後の数年です。
つまり、「本質的に競争は無意味」を地でいける貴重な期間。なのに「勝った負けた」「上だ下だ」を言い出すのは…そのほかの時期と混同しているのです。今だけに与えられた自由さを使っていない、分かっていない。残念な人なのです。
もちろん彼が、いま置かれている自由さを行使しないのも、また彼の選択です。だから。
「そうか、競争したいんだな」と、「勝った負けた」以前の「競争したい彼」を見てあげてください。そういった視点が持てるようになると、恐らく貴方の「うつわ」も変化していくと思いますよ。
質問者からのお礼
丁寧な回答をいただきありがとうございます。佐藤様の回答をみて、今の自分がいかに余裕がなく、切迫しており、周りが見えてなかったのかが、少しわかったような気がします。自分の中では目標に向かって絶えず努力しているつもりでしたが、結局のところ競争の中に私自身が無意識のうちに入って翻弄されているというのを気づかせていただきました。
最近4か月ほど、一日も休むことがなかったので、近いうち一度休んで、違う視点から他人を見る努力もしようと思います。本当にありがとうございます。