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どうしてこんな目に…

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有り難し有り難し 27

私は生まれてから一度も付き合った事がありません。年齢もあるし、恋人も欲しいので会社や友人の飲み会や、婚活パーティにも進んで参加していました。でもその中で暴力を振るわれるトラブルがあり、しばらく人が怖くなりました。でもそれだといけないと思いまた活動を続けていたのですが、良いと思った人に嘘を付かれていたり、嫌なことをされたりで散々でした。頑張ってきたつもりなのにどうしてこんな目に合わなければいけないかわかりません。もう人と会うことに疲れてしまって新しい出会いのために動くことを控えています。なにがいけなかったのか、これからどう一歩踏み出せばいいのかアドバイスをいただけたらと思います。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

確かに辛い経験ですが、それをどう捉えるかです。

たくさん辛い思いをされましたね。
出会いから遠ざかるのも無理ない事でしょう。

でも、これらの出来事は、よもぎださんのせいではなく、不運が重なってしまったとしか考えようがありません。

この経験をどのように捉え、今後に繋げていくかが、よもぎださんの今の課題であると、私は思います。

確かに散々な目に合いました。
しかし、言い換えれば、散々な男性を知ることができたという事です。

「男を見る目を養え」という言葉がありますが.......
このような経験を通して養われていくのではないでしょうか。

また、「いい男を捕まえるには数をこなせ」という言葉も聞いたことがあります。

その点においても、実際出会いの場に積極的に参加されたわけですから、今までのよもぎださんの行動、経験は必ず活かされると私は思います。

当初の目的を今一度思い起こして下さい。
あなたにヒドイ事をした男性のために、恋人探しをあきらめるなんて、もったいなくないですか?

また、落ち着いたら行動して欲しいなと、私は思います。

なにがいけなかったを考えるのではなく、この経験をどう活かすかを考えて下さい。

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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

相手がいけなかったのだと思います

拝読させていただきました。
暴力や嘘つき…それは辛かったでしょう、悲しかったでしょう、怖かったでしょう。男性不信、人間不信になってもおかしくないと感じます。

「なにがいけなかったのか」とのことですが、よもぎだ様がいけなかったわけではないのでは?
そういうことをする相手がいけないのです。自らを責めるのはやめましょう。

しかしこれからについては

・いろんな人間がいる
・人は性格や考え方が途中で変わることもある
・一度や二度あっただけでは分からないことが多い

ということも頭において、自分がいけないからではなく、色んな人がいるからそういう人に出会うこともあると割り切って取り組まれては?と思います。

信頼できるご友人からの紹介というのが一番安心できるかもしれませんが、中々そうご縁があるわけでもないですからねえ…。
出会いを目的とした場での出会いではなく、趣味を目的とした場での出会いもいいかもしれませんね。
相手も出会いを求めているのだから!とガッツク勘違い男もいますから…お気をつけください。
とはいえ相手を疑いながらの出会いもなんだか悲しいですからね、人って基本は信頼を前提にして出会っているものですからねえ。
もちろん恋愛においては相手があることですから、片方がどう思おうと好意に応えられない、応えてもらえないという意味で、どちらかにとって「信じていたのに裏切られた!」ということはあるかもしれませんが、そうではない暴力や嘘はごめん被りたいですね。

どうぞ気を持ち直して。あせらずゆっくり、じっくりと。
良縁に恵まれますことを念じております。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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