両親との会話にたどり着けない難しさ
私が幼少期からですが、なぜか両親は一度も私と向き合うことも、寄り添うこともなく、聞く耳も持たず…
未だに背を向けたまま逃げ切ろうとした姿を哀しく感じます。
子供時代は両親に感情を抑えられ、心に蓋をされ、常に命令口調で従わずには過ごせない家庭で育ちました。
両親の代わりに沢山の痛みや苦しみも我慢してきたことを口止めされています。
恥をかくことを非常に嫌がり、人前では嘘で隠すことを平気でいます。
両親の度々変わる態度には、子供ながらに困惑していましたが…。
成人してからは、離れて暮らしていますが、久しぶりに両親が上京してきます。
この機会に、私は両親と話をしてみたい…私の気持ちを一度でいいから伝えてみたいと思っています。
過去の辛い話をする事はしませんし、もう諦めています。
ただ…一度でいいから親らしい言葉が聞きたいだけ。この当たり前がなかなか難しいのです。
今までも私との会話を嫌がる両親には気遣い、見て見ぬ振りもしてきましたが、このまま私の中で悶々とした思いを抱えることが苦しい状態です。
親の顔色を見ながら育ち、遠慮ばかりで自分の人生は後回ししてきた自分を変えたいです。
両親からの縛りから解放されたいのですが、罪悪感を持ってしまう自分自身が辛いです。
両親との在り方、距離の置き方にどうかアドバイスをいただけませんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「当たり前」を聞き出すことに罪悪感を感じておられませんか。
拝読いたしました。
子供の頃から、本来の自分を抑え込み、ご自身の事を否定してこられたのでしょう。
過去の出来事は、ある程度大人になってからであれば、捉え方を変える事で、プラスに変える事も可能です。
しかし、幼少期から繰り返し傷ついた心は、そう簡単に癒えません。
ご両親と向き合おうと考えておられる強いお気持ちは伝わりました。
ただ、どのように関わればいいのか、戸惑われているように感じます。
あなたが子供の頃、ご両親から「~しなさい」と言われ「イヤダ」といった経験はございますか?
ほぼなかったのではないか、と私は思います。
命令口調で一方的に従わされただけだったのでしょう。
子供の頃の「クセ」というものは体に染みついています。
だから普通なら「当たり前」の言葉を伝えるだけでも、大変な罪悪感を感じられるかも知れません。
また、今までお互い本心で話された経験がないのであれば当然、話の意図が伝わらない可能性は充分にあります。
だから、求めていたものが得られなかったとしても、それは想定内であると捉えて下さい。
ご両親に自分の意思を伝えられるだけでも、あなたの幼少期の経験を考えると、ものすごい事です。
この行為は、今までの関係を変えていく事へと繋がると私は思います。
子供時代の自分を癒すには、罪悪感を無くすには、自分の「分身」である、ご両親を許し認める在り方で生きて下さい。
質問者からのお礼
ご回答を有り難うございました。お坊さまからの丁寧で温かなお言葉を、ひとつひとつ心に留めながら何度も何度も読み返しました。
今まで誰にも言うことが出来なった(理解されなかった)気持ちを、お坊さまが受け止めて下さり、また今後についてのアドバイスに、私にとって限界の状態で居た重い心の扉が、こんなにも軽く動かせた感覚は初めてでした。
両親から幼少期からずっと私に植え付けられた言葉…仕方なく産まれてきたあなたのせいなんだから…何事にもこの言葉で支配され、私に罪悪感を持たせられ、親の言われるがままに従うしかありませんでした。
怒るという感情も認められず、常に作り笑顔。
心に蓋をされるだけの生きづらさから、何とか自力でここまで脱出するも、ここまでされても両親を置いていけない気持ちがどこかにありました。
お坊さまからの有り難いお言葉に、私にとって、しっかりと自分の人生を自分らしく歩む勇気を頂けました。見方・考え方の幅も広がり、自信を持ちながら少しずつ前へと進んでいきたいです。
本当に本当に深く感謝いたします。有り難うございました。