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母に頑張って欲しい

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有り難し有り難し 8

私の母は、いまは専業主婦をしています。
昔は働いていましたが、ここ5年以上は主婦です。我が家の家計は余裕がありません。
もう学生はいないのですが、妹は食費など家庭に入れる余裕のない状態です。
弟は、発達が遅れていて支援センターで就労活動をしていてその報酬は、家庭で使われています。
私が平日に休みだと母はけっこうな時間昼寝をしています。私も母も肥満体で母は脂肪肝だから疲れやすいと言って休んでいます。
家事など全く何もしないわけではないのですが、家計に余裕が無くカードでキャッシングはけっこうな額をしていて、私名義のカードでもキャッシングさせています。
私は少ししか家庭に入れていません。自分の出費だけで給料はほぼ消えます。今は妹にちょっと貸しているので更にカツカツです。
働く働くと言って面接を二回位はしているのですが自分から辞退しています。
母も私と似ていて人間関係を上手に出来ない事から職場で馴染めず辞めたりしています。
だから強く働いてとは言いにくいと思ってしまいます。
働かなくても節約などしてくれたら良いのに、私が呼び掛けたり提案しても何も行動してくれません。父は駄目な状態だと思ってはいても行動はほぼしません。提案も机上の空論ばかり。バイトしなくてはなんて言いながら「お前がしてたバイトを紹介してくれ」と自分では探さず人任せでそれを断ったあとは、自分で探しもしていません。
妹は自分の事で低一杯で何もしていません。私が全部は出来ないし、平日は働いてるし、前回した相談事に書いたのですが、職場の人間関係とかに疲れてあまり行動できていません。
カードのローン、一戸建てのローン、等と色々出費はありますが、父と私の収入は増えません。もう私がバイト増やしかないと考えています。
父母は、家計の事でけっこうイライラしています。家族が円満に暮らしていくためにはどうしたらいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが頑張る

母ちゃんは母ちゃんで限界があります。
あなたは母親がどうであれあなたが頑張らんといけない。
「二者択一 による ベター」の話を乗せておきます。
自分の向上のために活用してみてください。

昔むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは山へ柴刈りへ。
おばあさんは川へ洗濯へ。
すると、川上から大きなモモが、ドンブラコ、ドンブラコ。
おばあさんは「めんどくさいことに巻き込まれるのはごめんだー」と、モモをスルーしました。🍑
これによって、物語、ストーリーが展開することなく、鬼とかやっつけるとか無くなって静かな生活を送りました。
めでたし めでたし 🍑
ーーーーーーーーーー
人間は自分でチャンスも逃がしています。
やらんでいいこと、拾う必要ないモモをガツ食いしていたりします。
よって【脱・マイ縛り】のススメ。
自分の❝脳内ルール❞ ❝脳内ストーリー❞などの思い込みによる
❝縛り❞こそが自分の力を最大限に発揮させなくさせていることを知ってください。
自分の思いが縛っていることを知ることで縛りは解ける。
「こうしなければならない。」
「こうするべきだ。」
「こうするしかない。」
 …というものは、
安全地帯に留まろうとする自身の❝選択❞。
惰性・安全地帯・ぬるま湯に浸かり続けることはカンタン。
それは一種の❝陶酔❞に似ている。
陶酔しつづけることは陶酔の方を選択している姿でもあるのです。
その❝選択❞は自分で「やめる」「そっちを選択しない」という❝選択❞で瞬時に断ち切ることができるものです。
マイルール、マイストーリー、自分の都合、私はこうしたい…
一所にとどまること、陶酔
それは、やめられる。
「私らしさ」「らしさ」が自分を縛っている。
そういう心の習慣性を断捨離して、どんどん生活を改めることです。
今から申し上げることをよく意味を考えて聞いてください。
「歯を磨きましょう。歯石まで取り除いてしまいましょう。」
一度、歯石まで取ればキレイな状態が取り戻される。
それを維持しようとする。
そこまで、片付けにしても、仕事にしても、生活にしても、食にしても一度【歯石取り】レベルまで徹底してみてください。
その後の習慣が変わります。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

返信どうも有り難うございました。すぐにお礼をしなくてすみませんでした。

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