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仏様を頂くということ

回答数回答 1
有り難し有り難し 4

前回の質問より弘教寺 小林覚城 様 より御回答いただき、浄土真宗の『信心をいただく』ということにつきましてネットで調べて読みました。
真の仏様をいただくとは、自分自身では自分を救うことが出来ないため、仏様というお鏡を通じて己の愚かさを知り、煩悩を煩悩と理解することでそこから解放される
と言った理解で正しかったでしょうか。

罪を犯して尚生きることは苦しいですね。
南無阿弥陀仏 合掌


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それで十分です・・・。

前回のご質問で、お子さんを亡くされたようですね・・・。お辛い事でしたね。
しかし、お子さんは極楽浄土に生れ、あなたとお父さんを見守って下さっていますよ。それが仏様になられた、難しい言葉で言えば「成仏した」という事です。
❝日にち薬❞・・・言い古された言葉ですが、悲しさを癒すのは「時が経つ」しかないでしょう。
お子さんが亡くなられたのは、決して彼のせいではありません。ましてや、あなたのせいなんかでもありません。この世に生まれ、生きていく、というご縁が無かったのです。
確かに〈罪を犯して尚生きる〉ことは苦しいかもしれません。しかし、人生は苦しいものなのです。〈罪を犯してない〉と思っていても、実は皆罪を犯しているのです。例えば、お刺身を食べたとすると、お魚を殺して「いのち」を奪って生きていることになるのです。「私は殺していない」といっても、仏様から見れば「殺生」していることになるのです。同罪です。
つまり、「私が生きている」という事は、他の動物や植物の「いのち」を奪って生きていることになるのです。そのことを自覚して、お食事の前に「頂きます」「すみません。許して下さい」と合掌して下さい。キット、自分の「いのち」、彼の「いのち」そして子供さんの「いのち」が全部つながっていることがわかるはずです。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

常福寺 大塚芳明 様
御回答ありがとうございます。
前回の質問もお読みくださりありがとうございます。
辛かったねなどと言われたことがなく思わず涙してしまいました。
先ほど食事をした際、お教えいただきましたことを行ってみました。
生命って助け合って生かされているんですね。
いのちはつながっているんですね。
なんだか生きていることが責任重大のように感じられました。
自分を生かすための死を受け入れて生きるという、人間としての度量が無いから辛いのかな、と思いました。
正直、腑抜けのような状態で、どうしたら良いのかわかりません。
日にち薬を信じて、生かされていることに感謝して過ごしてみようと思います。^^*
御教授いただきありがとうございます。
またお話できれば幸いです。

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