ノーと言われるのが怖い。ノーと言うのも怖い。顔色を伺う
お世話になっております。
以前の質問より、誰に対してもいい顔をする性格で結局は人間関係でトラブルを招き、困っています。一連の行動は自分が嫌われたくないが故の行動で、周りからは「八方美人」とか「自分のことしか考えてない」とか言われるのですが、最近になって、これらの行動の原因は「他人から嫌われることを異常に怖れる」ことに起因するものだと気付きました。
他人からノーを突きつけられるのが異常に怖くて、良い顔をしてしまいます。また他人にノーを言うのも怖く、どんなに嫌なことでも、自分の主張を捻じ曲げてでも引き受けてしまいます。その結果、辻褄が合わなくなってトラブルになったり、自分のキャパ以上のタスクを抱えパンクしてしまいます。自分さえ我慢すれば、と思ってしまいます。
もう時効ですが、職場で法律違反を犯したこともあります。周りの人が嫌な顔をするのを見るくらいなら、自分がクビになって済むのなら、その方が良いと思い、やってしまいました。
アダルトチルドレンだと思っています。親が「毒親」でした。親が多忙な時、仕事から帰って来てお風呂の準備ができてなかった時、「誰のお陰でメシが食えると思ってるんだ!」としばしば怒鳴られてました。そのことがトラウマになっているのか、いつの間にか他人の顔色を伺う人間になってしまったのかもしれません。
本当に辛いです。こんな性格好きでなったわけじゃないのに、「自己犠牲」さえも「自分勝手」と言われると生きている意味さえ失いそうです。どうすれば気持ちが楽になるでしょうか?もうこれ以上苦しみたくないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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諸行無常とは救いの言葉
『嫌い』
怖い言葉ですよね。
私も苦手です。
”これを言ってあげたほうがタメになるかな”なんて思っても、厳しいことを言って嫌われると嫌なので言わないことも多々あります。
これは本当ならお坊さん失格ですね。
非常に自己中心的な感情で相手の成長の機会を奪っているのですから。
真実を知ったら
悪い所を指摘されたら
難題を頼まれたら
相手が受け入れないのではないか。
自分を嫌うのではないか。
考えるのは自由ですが、それは相手の器を自分で決めつける行為にほかなりません。
多くの人間には嫌う前に考えることが出来るのです。
それにね、好きでこんな性格になったわけじゃない。
自分のことが嫌いなら、変わりましょう。
仏様は諸行無常と言う言葉を残されました。
なにか、この世の虚しさを象徴するような言葉に捉えられがちですが、実は逆です。
昔のあなたと今のあなた違うように、今のあなたと未来のあなたは別人です。
今の貴方の決断次第で様々なあなたが未来にいるのです。
しっかりと、どうなりたいか
どのような自分でありたいかを思い浮かべてください。
人間は”変われる”のではありません。人間は勝手に”変わっていく”のです。
大河の流れに乗るように、時間の流れに勝手に流されていくのです。
だからこそ、どこに行きたいのか、どう生きたいのかをしっかりと持ってください。
時間は掛かるでしょう。
でも、時間をかければあなたは勝手に変わっています。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
相手が受け入れるかどうか、嫌うかどうかは相手の気持ち次第なので、深く考えすぎないほうがいいのかもしれないですね。
しっかりと自分のなりたい姿を、思い浮かべべて行動したいと思います。