自分が情けなくてたまりません。
自分が嫌いです。
仕事での人間関係がうまくいかないことが多く、おどおどして自信を無くしてばかりです。スキルも特にあるわけでもなく、たいした事も出来ないのに大きな事を言って人をガッカリさせたり相手にされなくなり見下されたりしてしまいます。
何も出来ない自分をどうにかしたいと思うものの勉強は集中できず関心事も継続できません。
いつも責任から逃げてばかりです。
子供の頃、先生を含むクラス全員からひどいいじめを受けたことがあります。クラスには一人も友達がおらず、皆私を無視するか馬鹿にするか。先生は見て見ぬふり、時にはクラスメイトと一緒になって私を笑っていたこともあります。
終業式の日、先生が私が転校するということをクラスに伝えた時、クラス中が大歓声をあげ先生も一緒になって喜んでいたのを忘れることが出来ません。その頃の事を思い出すと今でも涙が出てきます。
その頃から人付き合いをうまく出来なくなったような気がします。
常に人の目を気にしておどおどし、責任のあることから逃げ、愛されたいのに人も自分も愛せない。
一時期、そんなことを忘れられ、思い出してもそんなことがあったなぁと思えるくらい前向きになれていた時期もありました。これで私は大丈夫、胸を張って歩いていける、これからの自分は明るいと。自分の世界が変わったと。
でもそれも自分の大きな事を言う悪い癖のため、最近になってまた自分の情けなさがありありと見えてきました。
やりたいことはあります。でもいつもどこか他人事です。
因みに家族にも愛されている感覚はありません。
いじめを受けていたときに一番助けてほしかったのは家族なのに、私は大丈夫だと言ってもらいたかったのに、誰も助けてくれませんでした。それどころか兄から嫌なこともされていました。家族ってなんなんでしょう。
人に愛されたい、自信をつけたい→そのためには愛される自分にならなくちゃ→自分を磨く努力が続かない→自信が無くなり気力も無くなる→見た目も心もみすぼらしい自分になる→これじゃ愛されない→でも愛されたい→……と不毛な考えが無限に繰り返されます。
誰にも愛されずこのまま過ぎてしまうのか、常に胸を張って生きていけるのか、不安です。
不毛な考え、生活から抜け出したいのです。
明るい自分に戻りたいんです。
私はいったいどうしたらいいんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたを支える仏様のおはたらきを頂いて下さい。
自分を好きになりたいですよね…皆の持つ正直な気持ちだと思います。
でも、好きになりたい自分は、どうにも集中出来ず、継続出来ず、責任から逃げてばかりで、とても好きになれそうにない…。
そんな私が、今の私を好きになる道は「あなたが自分をどう思っていようとも、私はあなたが大切で大好きだよ」と言い切って下さる方と出遇うことです…そんなお方を御仏と申します。
…もちろん「そんな仏なんか関係無い、興味ない」とおっしゃることも自由です。
でも、そうならば、御自身でご自分を好きになるしか道はありません。
あなたは、ご質問内容から拝察致しますと、どうにもお辛い人生を歩んでいらっしゃったようです。ご心中お察し申します。どうして自分だけこんな辛い思いをするのかとお嘆きかも知れません。
そんなあなたのことを、お辛い心情を分かって下さるお方がお近くにいらっしゃいますか…そうだと良いのですが。
仏様はあなたを見抜き、知り抜き、分かって下さるお方です。逆にあなたのことを真に分かって下さるのは仏様だけかも知れません。
そして、その事実を受け入れられたとき、自分で自分の人生を生き抜いていく力を恵まれます。「両親が分かってくれる」「彼が分かってくれる」…「仏様が分かってくれる」は、実は自分にとってどれも同じはたらきなのです。
結局、人生を生きるのは自分、他は全て支えてくれる存在、逆を申せば「支えでしかない」のです。
「大丈夫、私がずっとそばにいるから、あなたはちゃんと生きていけるよ」とおっしゃる仏様のお声を頂いて下さい。
あなたが、あなたの人生を、あなた色で生きていける力を与えてくださる存在を御仏と申します。
そのこと頂く、頂かないはあなた次第です…頂かなくても御仏はあなたを見捨てることはありませんよ。いつもご一緒です。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
こんなに早くお返事をいただけるとは思っておらず驚いたのと同時にありがたいお言葉をいただき涙がとまりませんでした。
御仏をいただくとはどういうことだろうと思いながらも、これではいけないと想いたち、まずは仏壇に手を合わせて、それからお寺にも足を運ぼうと外出したところ、お寺に行く前に立ち寄ったショッピングモールで偶然にも次々と友人に出会いました。
私の方が連絡を返しておらず罪悪感を感じていた友人もいて、楽しく話せたことに気持ちは軽くなっていきました。
休憩しようと入ったお店で昨日買った小説を読んでいたら、私の質問にあるようなクラスでのいじめを経験した主人公が出てくる話があり、私と同じ気持ちもつづられていました。
他にも不思議なことがあり結局お寺には行けなかったのですが、その時にはすでに気持ちは軽くなっていました。
ただの偶然と言われればそれまでですが、今日はご先祖様が帰る日でもありましたので、もしかしたら、帰る前に私が前向きな気持ちになれるよう後押しをしてくれたのかなあとも思えるのです。
小林様のお言葉をひしひしと実感しております。本当にありがとうございます。