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本当は苦しいのに余裕なふりをするのが苦しい

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こんばんは

40代アルバイト男性です。

40代でアルバイト生活をしている人はまわりにいなく話もかみ合わなくなってきて本当はお金もないのに話を合わせている自分が苦しいです。

余裕があるふりをすることに疲れました。

どんな考え方で過ごしていけば少しでも気が楽になるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

等身大の自分を楽しむ

俺ってアホだなぁ(笑)って笑ってみることをお勧めします。
私もよく自分に「俺ってアホだなぁ、使えねぇなぁ(笑)」と思うことがあります。
背伸びや脚色は人生にはいりません。
世の中嘘ばっかりです。
Facebookはフェイクブック。
ラインも偽名で登録。会話よりもスタンプ。
インスタもあえてきれいな写真ばかり。
そうでないところはフタをする。
ツイッターで本音を言えばつるし上げ。
本当のことを言う場がない。
結果的にうそつきが当たり前になる。
この現代が嘘ばっかりなのです。
だから、嘘が当たり前になる。
自分をそれ以上のものに見せようとする。
ああ、現代人はそういうことをやってばっかりだから苦しいんだなぁって思うとよいでしょう。
そして、それに逆行するべく、うそをなくすことです。
本当は苦しいのに嘘をつくのが苦しいというのはうそでしょうか。
嘘ではない。
それが真実の心の声でしょう。
これがあなたが本来の自分を取り戻すためのきっかけです。
仏道を求めることです。
今日はお寺に結構なおっさんが境内でポケモンをやっていました。
一瞬、こんなおっさんが…、とドン引きしましたが、百歩譲って肯定的に見れば、そのおっさんは自分に嘘がないのでしょう。家に言えればカミさんに毒づかれるのかもしれません。家に居場所がないのかもしれません。お寺で静かに一人でポケモンGETが唯一の幸せなのかもしれません。いい大人がポケモンだなんて、恥ずかしい。でも、それも建前かもしれない。いや、俺は周りが何と言おうが、ワイフが何と言おうが家族からノケモンにされようが俺はポケモンに生きる!って感じで本当にポケモンの楽しさに目覚めてしまって、ガチでポケモン好きになっているのかもしれません。人目があろうが、寺の住職の私が通りかかろうがひたすらタップしていました。一時間以上。
ポケモン、GETだぜ!
そして、やっぱりポケモン、大好きだ。好きならば好きだと言おう。ごまかさず、さらけだそう。ウソ偽りのない本当の自分、GETだぜ!(うん、おっさん、キテるけどな。)
そんなオジサンを参考に、お寺にお越しいただき、嘘偽りのない、飾りや脚色、建前、裏表のない自分をGETすることです。
自分の本心には人間は嘘はつけてもウソがつけないようになっているのです。
自分の本心、GETだぜ!

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

こんばんは。

 仏教の戒律に「不妄語戒」があります。うそはいけない、という事です。なぜか?今のあなたのように、ウソによって身動きが取れなくなるからです。
 と、書きましたが、やはり見栄をはりたい事もあるし、仲間と話を合わせないと場が冷めてしまう時もありますよね。

 でも勇気を出して本当の事を言った方がスッキリすると思います。
 「実は、今までウソをついていました」などと急に切り出すと「なんだよウソつきか?」と信用を失うかもしれませんので、「いやぁ、最近仕事が減って収入が減ってきちゃってさぁ」のように、最近になって生活が大変になってきた風で話をするようにしたらいかがでしょう?

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

あほになっているみる、確かにそういう場面は必要だし楽になるんでしょうね。

最近ある記事で「凡人であることを認める」とありましたが、これも気が楽になる言葉だと思います。
自分でも気づかないうちにプライドが高くなっていたかもしれません。
もう少し正直に生きてみようと思います。

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