愚痴を吐き捨てるゴミ箱にされる人生
私はなぜか愚痴を聞かされることが多いです。
自分の意見を持っているので「じゃあこうすれば?」「それは違うよ」などハッキリ言うのですが、デモダッテ反撃。相槌も適当にして、その子の味方をするような事はありません。(なのに懲りずに言ってくる)
学校、職場、趣味などを通して仲良くなっても、次第に愚痴ばかりこぼすようになる人ばかりで・・・。親身に聞き続けるのもしんどいので適当にあしらっているのに何故かみんな私に愚痴を言い続けます。
最近知り合った子(県外の趣味友達,年下女性)は初対面なのに愚痴をこぼしてきて、「またかよ」状態でした。向こうはまた私に会いたいそうですが、私はもう会いたくありません。何時間もかけて会いにいって愚痴を聞かされるのは時間の無駄だし、メンタルやられるのでしんどいです。
そして、私が距離を置くと「離れないで」「これから気をつけるから」と泣いて縋ってきます。でも結局また愚痴をこぼします。
揃いも揃ってみんなそうだと、私の方にそうさせる原因があるのかと悩んできました。受け止め方、あしらい方が悪いのか・・・。同じことを繰り返している自分にもうんざりです。
愚痴を聞かされるしんどさがわかるので私は人に愚痴を言わなくなりました。でも家に帰ってからモンモンと悩んだり嫌な気持ちがぶり返して、趣味も楽しめない精神状態になります。
どうしたら愚痴を言われなくなるのでしょうか。言われたときにどんな心構えでいたらいいのでしょうか。教えてください。
追伸:ここまで書いて気づきましたが、これも受け取られ方によっては愚痴ですね。。hasunohaのお坊様方は日々たくさんの相談と愚痴を聞かれてるわけですよね・・・私も友人たちと一緒か・・・。申し訳ないです、すみません。
ハッキリ言う割にクヨクヨずるずる悩む。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ゴミ箱の人生?いやいや、立派な仏道修行です。
それだけ人徳があるということでは?
どうやら、あなたはよほどの聞き上手で安心感のあるお人柄なようですね。
仏道において、お布施という大変重要な修行があります。その中に【牀座施】(しょうざせ)・【房舎施】(ぼうじゃせ)というものがあります。これらは、相手に席を譲る、家に泊めてあげると一般的に解釈されますが、要は<居場所を提供する>ということなんです。人々の苦しみ、悲しみの声に自分の時間を割いて耳を傾けるのは、相談者の心に居場所を提供するということに繋がります。
たとえ、こちら側にとっては取るに足らない愚痴でも、もしかすると相手にとっては重要な事かもしれませんし、もしかすると聞いてもらえるだけで半分は解決してしまえるような事もたくさんあるかもしれません。
ここはひとつ、神、仏から受けたミッションだと思って、逆にできるだけ引き受けてみてはいかがでしょうか?
ワンポイントアドバイスとして、①傾聴 ②共感的共有 ③肯定的配慮、これをまとめて【カウンセリングマインド】といいます。とりあえず、助言や指導は後回しでいいです。そうか、そうかとひたすら耳を傾けてやってください。あなたがそばにいてくれるだけで、癒される人が何人もいるのなら、それもまた良いではありませんか。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
神様仏様から受けたミッション・・・そう考えたことはありませんでした。
今はまだ、度重なる愚痴を聞かされ心がガサガサしているので
「逆にできるだけ引き受ける」という事は出来なさそうですが、
落ち着いたらこれも修行と思ってトライしてみようと思います。
貴重なアドバイスありがとうございました!