神さまのお嫁さんって
あの、何をこの子は言っているのだろうと思われると思うのですが。
神さまのお嫁さんになる人がいるといいます。
私もそうらしいのですけど、どうにも様子がおかしいです。
そういう風に助言しそうなるよう取り計らってくれている人と元から知り合いでとても良く見える友人がいて。友人の方が違う、気を付けろと警告してくるのです。
私自身はそういう事はあまり分からなくてたまに言葉が聞こえたり障りがでて気持ち悪くなることがたまたまあることくらいです。
何があっているのか私にはよく分からないのです。どちらも嘘ではないのだと思うのですけれど、どうしたらいいのだろうと思います。
男性や家族で怖い思いや嫌な思いをして人と結婚することが私には無理だろうと思っていて。目の見えない神さまがずっとそばにいて愛してくださるのならそれもいいなって思ってしまう自分がいます。その神さま(未満で神将らしいです)が来てくれたのは私が望んだから、だそうです。
困りました。伝わるかどうかも分からないのですけどあたまがぐちゃぐちゃなんです。助けてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
優れた感受性を持っているようですが、慎重に取扱って
一般な人間の感覚は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感に分類されます。しかし、そういう枠組みを超えた感覚の持ち主の方は少なからず居られるようです。あなたは一般人には無い、「優れた受信装置」を持って居られるのだと思います。「優れた受信装置」の取扱いに方がわからず、戸惑っておられるのだと思います。
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神さまのお嫁さんになる人がいる
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神様があなたに憑依(ひょうい)する、ということだと思います。宗教学という分野では、このような状況を、巫病(ふびょう)と言われています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E7%97%85
あなたの能力をある程度理解してくれる人が居る訳ですね。そして、相反するようなことを言われて、戸惑っている訳ですね。
1、そういう風に助言し、そうなるよう取り計らってくれている人
2、違う、気を付けろと注意してくれる人
テストの回答なら、1も2も正解です。でも、現時点でのあなたへの回答としては、2の方が無難かもしれません。
1の方も、神様と交信する能力がある方なのでしょう。1の方は、あなたを自分の弟子もしくは助手にしようという考えているように感じます。あなたを正しく導いてくれる可能性もありますが、あなたを利用しようとしている危惧も感じます。2の方が「気をつけろ」と注意してくれるのも、そういう理由からだと思います。
世の中には、巫病(ふびょう)という精神状態に居る方々は相当数居るようです。この状態に悩みながらも、普通の生活を送っている方もいると思います。ある種の修行や指導を受けながら、自分の感受性をコントロールできるように努める方々も居られます。修行等を経て、占い師や祈祷師を職業としている人もいるようです。沖縄にはユタというカミサマが居られますが、沖縄のような宗教文化のある地域なら職業として成り立ちやすいでしょうけど。
この感受性の関しては、決まった取扱説明書がある訳ではありません。それだけに、慎重に
自分自身の「受信装置」を取り扱っていくしか無いと思います。前に似たような質問があり、下記のURLのような回答をしました。ご参照下さい。
https://hasunoha.jp/questions/4854
神秘的なことは詳しくないので分かりませんが、あなたが昔のトラウマによって男性恐怖症なのが影響している可能性はあると思います。
もうすでに試したかもしれないですが、精神科や心理カウンセラーに、男性恐怖症について相談してみてはどうでしょうか。
生涯独身であることは悪いことではありません。そのようなお坊さんは昔はたくさんいました。
ですが、仏教とはお釈迦様の教えとは、苦しみの原因を追求していくこと。その結果、その原因を取り除き、苦しみを無くしてしまうことです。それが仏道修行のひとつでもあります。
無理なくできる範囲で少しずつでも克服して欲しいと思います。
また、お釈迦様は言いました。
他人の言うことを鵜呑みにしてはいけない。他の人の意見も聞いて、自分でもよく考えて、検証して、他人の言うことが正しいのかどうか判断しなさい。
神様の嫁ですか。悪い解釈ではありませんが、私としては、神様に見守られていると受け取った方がいいかな、と思いますね。
そうしないと、好きな人がもしもできたら、浮気になっちゃいますからね。
阿修羅と帝釈天のお話
とうん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「神さまのお嫁さん」で仏教でのお話を思い出しました。
阿修羅と帝釈天のお話です。
帝釈天のお嫁さんは、実は、阿修羅の娘さんで、元々、阿修羅は、帝釈天に自分の娘を嫁がせるつもりでいたものの、帝釈天が力づくで奪ってしまったために、阿修羅が激怒して、帝釈天に戦いを挑むことになりました。
最終的には阿修羅が負けてしまうのですが、その帝釈天に奪われた娘さんは、娘さんで、正式なお嫁さんとなって結婚を納得していたものの、阿修羅はそれにも拘わらず、帝釈天を許せずに執拗に戦いを挑み続け、いずれ負けてしまい、天界を追われてしまうことになり、修羅界へと落ちてしまうのであります・・
経緯は経緯としても、自分の娘は納得した結婚となっていたため、どこかで折れれば良かったのでしょうが、結局、自分が正しい、相手が間違っているといつまでも囚われてしまったために、下の世界へと落ちることになってしまったのであります。
まあ、何事も、縁起にして空なるもの。
全てのモノ・コトは、他に縁って起こっている、簡単には、因縁(原因と条件)に縁りて成り立っているものであるとして、その捉えているモノ・コトが、あたかも何かそのもの自体で独立自存にて変わらない実体として成り立っているように現れてくるけれども、そんな実体は無いというものとなります。
事実的なことであっても、あるいは、空想的なことであっても、いずれにしても実体としては成り立ってはいないため、そこにあまり囚われ過ぎない方が良いこともございます。
できれば、そのお話のことも含めて、現実、事実としてのご自身の幸せへと向けて、どうありたいか、今一度お考えを賜りましたらと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
どちらも間違えではないとおっしゃっていただけた上で、優しいお言葉をありがとうございました。信じてもらえないのかもしれない。回答をもらえないかもしれない。そんな気持ちで文章を書いておりました。
弟子にっていう話もあったのも言い当てられていてどきりとしました。
受信装置、慎重に取り扱います。
また迷ったときにはお言葉を思い出して見ようと思います。ありがとうございました
心理カウンセラーへというお言葉が一番にくると思っていましたが、添えてあるお言葉はどれも優しいものでありがたい気持ちでいっぱいです。
自分がどうしたいのか、何が自分の幸せなのか。きっと考える時なのかもしれません。阿修羅の娘のお話は初めて聞くもので、とても興味深かったです。あまり囚われすぎずに、自分と向き合って見ます。ありがとうございました。