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どうしたらいいのかわかりません。

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有り難し有り難し 25

私は現在妊娠37週で間もなく子供が生まれます。
主人とは3ヶ月の交際を経てスピード婚、子供もすぐにできました。
主人は必ず幸せにする、といいながらも仕事は続かず収入は一切なし。私も仕事を辞めて主人の実家へ嫁いだため、知り合いもいません。
見慣れない街や主人の母との同居生活でどうしても周りに気を使います。それにも関わらず家族の時間をぶち壊すな、お前の態度や言動が気に食わない、と暴力を受け、そこから心因性失声症となってしまいました。
私にも至らない点はたくさんあります。しかし、働きもせずに私の貯金をすべて食い潰し、挙げ句の果てにソーシャルゲームに約20万円課金する始末。何か言えば態度が悪い、言い方を考えろ、一言多い...と怒鳴り散らされます。さらに飼っているペットにまで手をあげます。いうことを聞かなかったら俺はこいつらを殺すよ。問題ないよな?と。
主人は過去に暴力やシンナーなどで警察のお世話になることもあり、主人の友人の奥さんが私のことを気にかけてお話を聞いてくれたり家から連れ出してくれるようになりました。
主人はそれが気に食わないようで、俺のことや家族のこと、余計なことはなにも話すな、変な付き合い方をしたら二度と関係を持たないようにする、俺や家族を貶めるようなことを絶対にいうな、と念を押されて言われました。
主人には秘密で行政や病院の方に色々と相談しているのですが、友人の奥さんや病院の看護師さんの主人に対する態度から私が周りにあることないこと吹聴して回っている、と疑い始めているようです。
現在出産に向けて入院中なのですが、連絡が来るたびに余計なことを言わないと約束しろ、家族のためを考えて行動しろ、裏切ったら警察が来ようが何しようが暴れるぞ、と脅迫めいたことばかり言われます。
こうして主人が私にいっていることも逐一周りに話していることが少しでも主人の耳に入ると...と考えるとゾッとします。
先ほども申し上げましたが、喧嘩や暴力があるのは私にも非があるから、ということは重々承知の上です。自分のことを棚にあげてよくそんなでかい態度でいられるな!という主人に対する不信感から主人のことを信用できない、反論すると怒鳴られるから何も言わずに黙っている、こういう気持ちや態度が相手を怒らせていることもわかるのですが...
私はこれからどうすればいいのか、もうわかりません...


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人生は明るい方向へ選択できる

その悪党とは別れて島根県へ引っ越しましょう。目指せ、明るいシングルマザーへの道。
課金ゲームをやる人間はパートナーとしてアウトです。
ねちっこい暗い性格のようですから身の安全を保ちつつ。
しばらくはいい子ちゃんのフリして安静に過ごしましょう。
http://mama.ma2kul.com/archives/149
他者の世話になるということは個人の希望・願いが認められなくなる面があるものです。
人生はほぼすべて自分の自己責任な面があります。
大丈夫ではない人を大丈夫だと思ってしまったのも自己責任であると私はわたしの人生に感じています。
だからと言って他人のせいにしてばかりでは自分の向上はありません。
這い上がるのは自分の力で。
私があなたと同じ状況であれば、別れて女性だけの楽園、女性だけの自治体、女性だけの市町村「尼ゾネス」を建立します。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

これが望んでいた結婚生活だったのでしょうか?

私的な感情で書かせていただきますが・・・
無茶苦茶な方ですね。
本来ならこの方は、社会生活など出来る訳がなく、社会から孤立することにより、自分の無力を知ることになるのでしょう。

暴力や恫喝・・・
何かと勘違いしたような思考で、人をコントロールできるほど、世の中甘くありません。
しかし、それがまかり通るのも、もふもふさんのような方がおられるからです。

周囲の人に、ご主人の事を愚痴られるのも、大きな不満をお持ちだからでしょう。
ですが、あなたがご主人の暴力に対し、自分にも非があると認めておられる限り、暴力を正当化していることになります。

今、あなたは暴力に対し理解を示そうとしておられます。
そうじゃないと、今の自分自身を否定してしまうことになりかねますので。
詐欺にあいながらも、騙されていないと自分を正当化し、どんどん深みにはまっていく方の心境と同じではないでしょうか。

暴力で支配されると、なかなか「そこ」から抜け出せません。
地の果てまで追いかけられる感覚におちいるからです。
ただ「そこ」から離れると、瞬時にマインドコントロールが解けます。

あなたの居場所は「そこ」なのでしょうか?
子供の頃、頭に描いた結婚はどうでしたか?
思い出してみて下さい。
叩かれ怯える生活を望んでおられたのでしょうか?

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有り難し
おきもち

時宗の寺院で住職をしています。 今の時代、お寺の在り方とは、僧侶とはいったい何か?と、考えています。 僧侶としての根本は、朝のお勤めだと考えております。 週に2回、お寺で空手教室を開いております。 近隣の子供たちに、礼儀作法を伝える。 これも寺院の持つ役割である、地域貢献に繋がると、少なくとも私はそう思い、精進しております。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ