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仏像は心を写す鏡でしょうか?

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有り難し有り難し 14

明けましておめでとうございます。

初夢にハスノハのお坊様が出てきました!
子供が調子を崩し、病院に行ったら医者の先生が
ハスノハの、あるお坊様でした。
名札も無いのに、その人だとひと目でわかり(夢では良くある事です)、
ああ、この先生なら大丈夫、と安心した所で目が覚めました。
夢の中でまで、お世話になりました。

さて質問ですが、私の家内が昔、人生に行き詰まり
精神的にも深刻な状況になった時、ある人に
「仏像って悲しい顔をしてる、今にも涙を流しそう」
と言った所、
「それは、あなたの心がそうだからだよ」
と言われハッとした事があったそうです。

私個人的には、仏像って微かに微笑んでるように見えますが
たまに、しょうゆ顔で吊り目の仏様が、
「やあやあ、この俺が仏様だー、どうだ、参ったかね?」
と、えばってふんぞり返ってるように見える事があります。
これも私の心を写してるんでしょうかね?

そう言われればお地蔵さまなど、微笑んでるようにも
泣いてるようにも見える気がします。
また、憤怒相の仏様で個人的に好きな降三世明王さまも、
怒り狂ってるようにも見えるし、豪快に笑っているようにも、
また必死に涙をこらえてるようにも見えます。

お坊様方は日常的に仏像に接しておられますが、
やはり日によって表情に違いがあったりしますか?
また、その表情は見る人の心を反映してるものだと思いますか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心が写ったとて、そこからどうすべきなのでしょうか?

明けましておめでとうございます。

私は初夢で仕事してました。
除夜の鐘で鳴らすあの大きな鐘(梵鐘)の音が聞こえてくる…何故か私は読経中とかに鳴らす本堂の鐘(ケイス)を鳴らしている。梵鐘とケイスで交互に打ち、だんだん間隔を短く責めあげていかないといけないのですが、誰だか知らんが梵鐘役の人がいつまでもいつまでもノンビリ打って、なかなか責めあげてくれない。。。
だんだんイライラしてきてハッと起きたら本当にお寺の鐘が鳴っていました。参拝の方が鳴らしていらっしゃったのですね。いや、ウルサイから鳴らしてくれるなという苦情ではありませんよ。ただそんな夢を見たというだけの話です。
お正月にお寺にお参りし、鐘の音を聞いて晴れやかな心になっていただくことは有り難しなことです。

さて、仏像が拝む人の心を写す鏡か?

仏師さん、つまり仏像を作る方々はそれを目指していらっしゃいます。仏師さんにそのお話をしてあげると喜ぶでしょう。私もそれは1つの拝み方のスタイルだと思います。仏様の御前だからこそ、謙虚に、素直に自分と向き合えるものです。

ただ、私自身がどんな風にお参りしているかと問われれば、「意味付けをしない」です。
見えたら見えたまんまの仏様。それを頭で加工しない。見えた瞬間が仏様。
初夢だって解釈しない。初夢でこの一年を占いもしない。見た瞬間が初夢。
ホントは起きてから聞こえたリアルの鐘の音も「有り難しです!」とかって言いたくないんですけど、なんか文脈的に昨今話題のモンスタークレーマーちっくで感じ悪いから一応フォローしときました。

でも、そうやって配慮に配慮を重ねてウンタラ言うから苦が生じ、膨れていくんです。鐘の音で目が覚めたからって、それ自体は苦ではありません。「明日、仕事なのに!」とか、「私だけ惨め!」と頭で意味付けをして嫌った瞬間、苦が生じるんです。
だからお拝して意味付けの心を寂める。そんな感じです。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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質問者からのお礼

大慈様、ご回答ありがとうございます。

私のような凡夫は、仏像の表情が日によって
違ったように見えるのが珍しくて、
何かしら有り難い気持ちになっていましたが
さらにその上の境地で見られていたとは驚きです。

質問してから今までの数日間、生後1ヵ月の息子に
鼠径ヘルニアと言う症状がある事がわかり、
悪化させない限り日常生活に支障は無いが、
いずれ手術が必要な事を医者に言われました。

また、そんな状況なのに私の方は
「この機械が壊れたら会社が終わる!」
と言うヤバい設備の修理で夜中の3時まで
残業したり、散々な目に会いまして、息子や不安な気持ちを
抱えてる家内と充分に向き合えないでいました。

踏んだり蹴ったりです(泣)
悲観的に考えてしまえば、
「正夢だ!縁起が悪い!」
「こんな連続で悪い事が起こるなんて、俺は不幸だ!
家族は不幸だ!」
と、なってしまうのでしょうが、大慈様のおっしゃられるよう、
事実に意味付けなどせず、淡々と目前の状況に対応して
ゆきたいものだと思います。

仏教のお話はいつも新鮮で、心がスッと軽くなります。
貴重な示唆、有難うございました。

ハスノハ質問者様方の苦悩軽減と、
回答僧の方々のご健勝をお祈りします。
-合掌-

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

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