今までの人生
私は子供の頃思った事をすぐ口に出していました。
しかしそれが災いしていじめの対象になり今でも思い出したくないほどの学生生活を送りました。
それから社会人になった私は相手を嫌な気持ちにさせないようにと、意見を何も言わない人間になりました。そうしたら今度は大人しい、つまらないと言われまた嫌われてしまいました。
どこに行ってもみんな同じように私を嫌うので私は嫌われて当然の人間なんだと分かりました。
いじめられている時代の私は親に心配をかけたくないと毎日味方が誰一人いない学校に通い続け皆勤賞をとりました。
しかし今では無理して学校に行ってそこで受けたいじめを思い出しては一人で泣いている状況です。
頑張っても頑張っても何も報われない。
平気で人の悪口を言っている人が楽しそうに毎日を過ごしている世界。
最近私の存在は必要ないと気づきました。
こんな状態になった私を見て親は呆れています。
でも死ぬ勇気もない。ただただ傷つくために生きているようなものです。
こんな人生を送っている自分が大嫌いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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必要ないと気付くことが大切
>私は子供の頃思った事をすぐ口に出していました。
→自分の思った事
>相手を嫌な気持ちにさせないようにと、意見を何も言わない人間になりました。
→自分がそう考えた
>いじめられている時代の私は親に心配をかけたくないと
→自分がそう考えた
>受けたいじめを思い出しては一人で泣いている状況です。
→自分が思い出している
>最近私の存在は必要ないと気づきました。
→自分がそう考えた
自己責任ですと言いたいのではありません。惜しいとこまで行ってるんですよ。仏教では「私の存在は必要ない」というより、「私の考えは余計なもの」です。
世の人なんてモンは身勝手なモンで、ある人は「出しゃばるな、黙って言われた通りにやれ」と考えますし、ある人は「アイデンティティの無い人ってツマラナイよねー」と考えます。十人十色で面倒臭いことこの上ないモンです。付き合いきれません。付き合いきれないほど色んな人がいるのに、意見を言わなければ嫌な気持ちにさせないハズというのは、マイワールドなんです。
いじめだって過去のことです。過去のいじめを思い出すことで現在の問題にしているのはマイワールドです。
私の存在は必要ないなんてのも、アナタが勝手に事実ということにしたマイワールドです。
頭の中で展開するマイワールドは現実ではありません。そういうトコに気付くのじゃ!というのが仏教です。自分の頭がウジャウジャうごめくから、自分が自分を苦しめている…「あっ、私また頭の中でマイワールドを展開してる。いけねいけね。」って気付くようにしていけばグッと楽になりますよ。
質問者からのお礼
何も分かってくれない親と同じ事を仰っていますね。ありがとうございました。