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幸せを受け入れても良いのでしょうか。

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有り難し有り難し 12

はじめまして。
私は今十代です。
ずっと悩んでしまっているので相談させていただきます。
数年前、私は過ちを犯しました。何も考えず、無責任な行動を行い迷惑をかけてしまったんです。家庭環境のこともありましたが、結局行動したのは自分でした。今は数年経ち、過去の過ちから学んで反省し、もう同じようなことはやらないと心に決めています。
そして私は今、ありがたいことに幸せな人生を送れていると思っています。大切な人もできました。でも同時に私のような人間が幸せを感じても良いのだろうか、幸せを思いきり受け入れて良いのかと常々考えています。
自分の過ちについて苦しむ。これは私が過ちを犯した代償として受け入れています。全て自業自得なのですが後悔してもしきれず、苦しんでばかりです。
ですから少しでも人の役に立てるよう、人を幸せにできるよう少しづつですが努力しています。私は死んだ後、地獄に行くでしょう。でもせめて生きている間は人のため世のために自分の能力を使おうと思っています。
過去に過ちを犯して、まだ善行も積み上げられていない私は、今、そして今後の幸せを受け入れても良いのでしょうか。

2026年2月25日 21:10
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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「幸せ」を、そのまま両手でしっかりと受け止めてよいのです。

ご相談ありがとうございます。過去の過ちを深く悔い、ご自身を「地獄に行く人間」とまで責め立てるその痛切な思い、文章から痛いほど伝わってきました。

仏教に照らせば、人間は誰しも縁さえあればどのような過ちも犯しうる「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)」です。あなたがご自身の罪深さに気づき、悩み苦しんでいるそのお姿こそが、実は仏様の慈悲の光に深く照らされている証なのです。

「善行を積んでいないから幸せを受け入れてはいけない」ということは決してありません。仏様は、自らの愚かさに苦しむ者にこそ、最も温かく寄り添ってくださいます。ですから、今あなたに与えられている幸せは、罪の代償として拒絶すべきものではなく、そのまま両手でしっかりと受け止めてよいのです。

幸せを受け入れることは、過去を忘れることではありません。むしろ「こんな自分にも与えられた恵み」に対する、深い感謝へと変わっていくはずです。どうか罪悪感でご自身を罰し続けるのではなく、「ありがとう」という感謝の心で今の幸せを十分に味わってください。そしてその温かい心を、あなたが願う「人のための行動」の原動力にしていってください。


縁起寺 釋聴法

2026年2月26日 7:54
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有り難し
おきもち

真宗木辺派 縁起寺 衆徒 (僧侶/教師) 高等学校教師歴38年,理系,専門は電気工学・情報工学, 現在は真宗木辺派僧侶
お悩みの相談は全般的に対応します。(下記を参照して下さい) 相談時間は、月・火・木・金・土・日曜日は、8:00~17:00です。 日によっては、18:00~20:00の夜間の対応も可能です。 (水曜日以外での対応となります) 翌日以降で、他の法務等がなければ、できるだけ迅速に対応させていただきます。 元高等学校教員ですので、将来の進路や転職に関する相談などにも対応いたします。 現在も非常勤講師を行っているため、少々対応にお時間をいただく場合もありますが、できるだけ早く対応できるように調整いたします。 ◆職場や学校での人間関係がうまくいかない ◆ストレスや不安で日々の生活に支障がある ◆無気力で、人生の目標を見出せない ◆卒業後の進路を決める事ができない ◆別れた交際相手の事を忘れる事ができない ◆家庭不和で毎日の生活が辛い ◆家族や大切な人を亡くして心の整理がつかない ◆何事も悪い方向に捉えてしまい、自己嫌悪に陥っている ◆ついつい他人に辛くあたってしまい、後悔を繰り返す ◆毎日充実した日々を送れるように、仏教の勉強がしたい など、上記はこれまでの相談の例(ハスノハ以外を含む)です。

人は、過ちがきっかけでも成長できる!!

10代という若さで、ご自身の過去とこれほどまでに深く向き合い、誠実に内省されているお姿に、私は尊さを感じました。まずは、そのお気持ちを大切に、ゆっくりと深呼吸をしてみてください。

「幸せを受け入れて良いのだろうか」という葛藤。それは、飛道さんが他者の痛みを自分のこととして受け止め、自分を律して生きようとしている証だと受けとめました。その葛藤こそが、飛道さんが「優しい人」であることの裏返しなのだと思います。

浄土真宗のご本尊は、阿弥陀如来という仏さまです。この仏さまは、「どのような過ちを犯した者であっても、決して見捨てない(摂取不捨)」と、願ってくださっています。それは、私も含めた誰もが「完璧な善人」になれないことを、仏さまが一番よくご存じだからです。

あなたは「自分は地獄に行く」とおっしゃいました。しかし、仏さまの光は、暗闇の中で「私はダメだ」と自分を責めている人のところにこそ、真っ先に届きます。

あなたが今、幸せを感じ、大切な人がいること。それは飛道さんの行い以上に、目に見えない数々の「ご縁」に導かれている「恵み(お陰さま)」ではないでしょうか。今回こうして、ハスノハに出遇ったのも「恵み」の一つですよ。もし、その幸せを拒絶してしまえば、あなたを支えてくれているご縁や、大切な人の想いまでも否定することになってしまいます。

過去の過ちを消し去ることはできません。しかし、その痛みや苦しみ・葛藤を知っているからこそ、あなたは「人のために」と願える人になれた。それは、過去が「ただの過ち」から「学びの種」へと変わった瞬間です。

どうか、今の幸せを「有り難い(有り難し)」と、そのまま受け取ってください。あなたが笑顔でいること、そして「お陰さまで、今の私があります」と感謝して生きること。そして、大切な人のために、自分が力になれること。それこそが、飛道さんの成長の証であり、仏さまがあなたに願っておられる姿なのです。

さあ、今日も「恵み」の一つである太陽の光をいっぱい浴びて、青春の一ページを楽しんできて下さい。

あなたは決して独りではありません。仏さまも、私たちハスノハの僧侶も、飛道さんの成長をずっと見守り、応援していますよ。

2026年2月26日 10:06
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有り難し
おきもち

個別相談可能
1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん」 大阪府茨木市出身。実家の西福寺で中高生を主体とする「るんびに太鼓」に所属、演奏・指導経験を通して、「人は、支えられてこそたくましく生きてゆける」と体感。青少年よみがえりの場「短期るんびに苑」にも関わる。   平成8年三次市・源光寺へ入寺。《様々な経験を持った人々が集い、信頼できる温かなつながりを育む》そのような交流館を目指して、赤ちゃんからご年配の方まで世代を超えた活動を続けている。寺院や福祉施設はもちろん、各地の学校や保育所、コミュニティーセンター・いきいきサロンなどに招かれ、「いのち・こころ・真実を見つめる」ご法話や講演を重ねている。また、「子育て支援」「アドバンスケア・プランニング」「グリーフケア」を柱にした研修会も好評。子どもたちと富士山登山を3度完遂。ご法話や講演などをご希望の方は、遠慮無くお声かけください。  グリーフケアアドバイザー1級 発達障害コミュニ ケーション初級指導者 つどい・さんあい運営委員
ご相談時間はご希望をいくつかお知らせくださいね。 ◆「絵本のお坊さん」として、絵本を通じて人生を見つめ直す活動を行っています。◆死別、離婚、退職、不安など、様々な喪失を抱える方のお話に寄り添い、仏道の教えを分かち合いながら心を癒すお手伝いをしています。◆資格:グリーフケアアドバイザー1級、発達障害コミュニケーション初級指導者。

不幸な人は罪を犯しやすいので

私も過去に無数の罪を犯してきました。
日本の法律では違法行為ではないが、仏教的な観点から見れば罪や悪行為に該当するもの(虫を殺した等)や、
法律的にも違法行為だったもの(たまたま捕まらなかったスピード違反など)もあります。
人間だけが特別な生き物ではないと考えれば、多くの人は大量虐殺犯(蚊を殺したり)だと思います。
ですが、それでも有難いことに幸せな状況であるならば、どうぞその幸せに感謝して大切にしてください。
人は不幸になれば余計に罪を犯したくなります。
例えば、不幸な国は他国にミサイルを撃ちたくなりますが、幸せだったら争う必要はないのです。
ですから、あなたが幸せに暮らすことは、周囲の生き物の平和にもつながると思ってはどうでしょうか。

2026年2月26日 12:47
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

願誉浄史様
げんさん様
釋聴法様
ありがたいお言葉を頂き深く感謝しております。
自分に与えられた恵みに感謝するとともに、少しでも人や社会の役に立つことができるよう日々努力してまいります。
ありがとうございました。

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