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幸せを受け入れても良いのでしょうか。回答受付中

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はじめまして。
私は今十代です。
ずっと悩んでしまっているので相談させていただきます。
数年前、私は過ちを犯しました。何も考えず、無責任な行動を行い迷惑をかけてしまったんです。家庭環境のこともありましたが、結局行動したのは自分でした。今は数年経ち、過去の過ちから学んで反省し、もう同じようなことはやらないと心に決めています。
そして私は今、ありがたいことに幸せな人生を送れていると思っています。大切な人もできました。でも同時に私のような人間が幸せを感じても良いのだろうか、幸せを思いきり受け入れて良いのかと常々考えています。
自分の過ちについて苦しむ。これは私が過ちを犯した代償として受け入れています。全て自業自得なのですが後悔してもしきれず、苦しんでばかりです。
ですから少しでも人の役に立てるよう、人を幸せにできるよう少しづつですが努力しています。私は死んだ後、地獄に行くでしょう。でもせめて生きている間は人のため世のために自分の能力を使おうと思っています。
過去に過ちを犯して、まだ善行も積み上げられていない私は、今、そして今後の幸せを受け入れても良いのでしょうか。

2026年2月25日 21:10
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「幸せ」を、そのまま両手でしっかりと受け止めてよいのです。

ご相談ありがとうございます。過去の過ちを深く悔い、ご自身を「地獄に行く人間」とまで責め立てるその痛切な思い、文章から痛いほど伝わってきました。

仏教に照らせば、人間は誰しも縁さえあればどのような過ちも犯しうる「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)」です。あなたがご自身の罪深さに気づき、悩み苦しんでいるそのお姿こそが、実は仏様の慈悲の光に深く照らされている証なのです。

「善行を積んでいないから幸せを受け入れてはいけない」ということは決してありません。仏様は、自らの愚かさに苦しむ者にこそ、最も温かく寄り添ってくださいます。ですから、今あなたに与えられている幸せは、罪の代償として拒絶すべきものではなく、そのまま両手でしっかりと受け止めてよいのです。

幸せを受け入れることは、過去を忘れることではありません。むしろ「こんな自分にも与えられた恵み」に対する、深い感謝へと変わっていくはずです。どうか罪悪感でご自身を罰し続けるのではなく、「ありがとう」という感謝の心で今の幸せを十分に味わってください。そしてその温かい心を、あなたが願う「人のための行動」の原動力にしていってください。


縁起寺 釋聴法

2026年2月26日 7:54
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有り難し
おきもち

真宗木辺派 縁起寺 衆徒 (僧侶/教師) 高等学校教師歴38年,理系,専門は電気工学・情報工学, 現在は真宗木辺派僧侶
お悩みの相談は全般的に対応します。(下記を参照して下さい) 相談時間は、月・木・金・土・日曜日は、8:00~20:00です。 火曜日と水曜日は18:00~20:00での対応となります。 翌日以降で、他の法務等がなければ、できるだけ迅速に対応させていただきます。 元高等学校教員ですので、将来の進路や転職に関する相談などにも対応いたします。 現在も非常勤講師を行っているため、少々対応にお時間をいただく場合もありますが、できるだけ早く対応できるように調整いたします。 ◆職場や学校での人間関係がうまくいかない ◆ストレスや不安で日々の生活に支障がある ◆無気力で、人生の目標を見出せない ◆卒業後の進路を決める事ができない ◆別れた交際相手の事を忘れる事ができない ◆家庭不和で毎日の生活が辛い ◆家族や大切な人を亡くして心の整理がつかない ◆何事も悪い方向に捉えてしまい、自己嫌悪に陥っている ◆ついつい他人に辛くあたってしまい、後悔を繰り返す ◆毎日充実した日々を送れるように、仏教の勉強がしたい など、上記はこれまでの相談の例(ハスノハ以外を含む)です。

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