理解を得たい
人に理解して貰いたいという欲が強いです。
そのためにネガティブなことを言ったり
気分が落ち込んでしまいます。
そのことで、周りの人達はネガティブになるのはよくない、ポジティブでいた方がいい、
とおっしゃいます。
それは最もなことだと思いますが
それは結局、「私のことを理解しようとする人はいない」という現実を突きつけられているような気がするのです。
もちろん、自分がそんなことを言っているということは周りの人々はおもってもみないのでしょうが、
皆に「私たちは幸せに生まれてきたから幸せになっていくけど、幸せに生まれてこなかった貴方は元々幸せになることも理解されることもありえないのだから幸せを求めるのはやめなさい。諦めなさい」
と言われているのと同義であるように思います。
それは、皆に悪気があるわけでもなく、私の心理や生い立ちを微塵も理解できない故に放たれた言葉なのだとは思いますが…
とても孤独感が強いです。
永遠に、誰にも理解されるようなことはないと思っています。
誰かがいる前では、笑顔だけを見せるようにしていますが、ストレスと孤独感は解消されず、行き場のないような気持ちになります。
私はどうすればよいのでしょう。
やはり、幸せになることはできないのでしょうか
それとも、このまま笑顔を続けていけば
とも思うのですが
あいにくわたしは先の努力や苦しみが後になっても報われないことを、
身をもって知らされ続けてきたのです。
苦しみや努力を投資しようと思える精神力は
残されていません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あいすさま、こんにちは。
うちの嫁さんも似たようなことをするので、気持ちはよくわかりますよ。ネガティブなことを言って、そこからポジティブな方向にもっていこうとすると、へそを曲げてしまったり…。
これは、厳しい言い方をすれば、ポジティブな方向へもっていこうとする側のエゴともいえるので、あいすさまは、あまり気にしないでもいいかもしれませんね。おっしゃるように、「私のことを理解しようとする人はいない」と感じるのも、当然だと思われます。
ネガティブといわれるあいすさまのそのすがたを、ありのままに見てくださる人も、きっといると思います。そういう人に出会えるといいですね。
>あいにくわたしは先の努力や苦しみが後になっても報われないことを、 身をもって知らされ続けてきたのです。
おお…大きく出ましたね…「報われない努力」というのを知り尽くすことが出来れば、それはひとつの智慧、集大成になりそうな気もしますが、いかがでしょう。「報われる努力」も、そこから得られるんじゃないでしょうか。つまり、報われない努力も、極めれば、報われるはずですね。「これは報われない」とひとつ知って、賢くなるわけですから。きっと、ヒントがあるのではないでしょうか。
せめて笑顔だけは・・・(追記)
あなた「~と思ってるんだけど・・・」
相談相手「ネガティブな事言わずに頑張れって!」
このように、自分をさらけ出すと、人から否定的な言葉が返ってくるという事でしょうか?
それを前提に回答いたします。
知っている言葉かもしれませんが、人には承認欲求というものが存在し、我々を苦しませ続けています。
自分が・・・
特にネガティブになっている時に、寄り添ってもらいたいのです。
だけど他人には、それぞれの人生があり、あなたを承認してくれるとは限りません。
だから、承認欲求をいかに打ち消していくかが課題なのですが。
そのような知識があったとしても、なかなかポイすることはできませんね。
私もその感情に悩まされ続けています。
本当は苦しいと訴えたいですね。
でも、それをガンバレと言われるので訴えれない。
孤独ですね。
みんなは、とても頑張るできた人間に感じてしまいます。
でも、実際はどうか分かりません。
強がっているだけかも知れませんし、ちょっと背伸びしたことを言って、その気になっているのかも知れません。
そう考えると、人の発言など、すべて真に受けても仕方ない事なのでしょう・・・。
今の努力が報われていないならば、今はその時かも知れません。
苦しみや努力の投資という言葉自体、もうそれは意識してしまっている事であり、その言葉にとりつかれています。
誰かにそう言われたのでしょうか。
でもその言葉はもうあなたには必要ありません。
苦しみって何?
努力って具体的にどうすればいい?
私には答えがありません。
笑顔を続けるかどうか。
それは、続けていただきたいと私は願います。
笑顔を作る事が、今あいすさんにできる素敵なこと。
そう私は感じたからです。
追記
言葉数が足りなかったようで申し訳ありませんでした。
私の考えは、”承認欲求を打ち消すことが出来れば楽になるかもしれないが、捨てることが出来ない” というものです。
回答ではそのように書いたつもりですが、意図が伝わりにくかったようで失礼いたしました。
今、あいすさんのお返事を受けて、追記を書いているところを見ても、私がいかに承認を求めていることがおわかりですね。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
承認欲求を打ち消すこと、私は違うように思います。
何故なら、誰からも承認されずに生きている人を今まで1度も見たこともきいたこともないからです。
「承認欲求を打ち消せばいい」
この言葉を言えるのは、承認されながら生きてきた人間だけです。
私は今まで「承認欲求を打ち消しなさい」と他人に言ってきた人達が、批判されるようになると、真っ先に挫けて
「私かわいそう」と言い出し、自分が承認される世界(仲間のいる場所や、親のいる場所)に逃げ込む、という光景を何百、とみています。
貴方は、そうならないことを証明できますか?
私は、結局のところ人間というのは、誰かの承認がなければ正常を保つことができない
そういうものだと思っています。
この仮説を覆せますか?