性別を捨てたい
私は子宮を全摘したいのです。
女という証の生殖器を無くして無性別になりたいと強く望んでいます。
自分がバイであるらしいということはずいぶん前に自覚しましたが、しばらくは女の体でも不自由なく生活できたので体も格好も女のままでした。
業種的に男性が多く、私も理詰めで考える方なので大して気にしていませんでした。
しかし、いよいよ不便が出てきました。
子供を産むつもりはなくとも訪れる月の物から発生する精神の不安定・不快感・出費、婦人病のリスク…
どんなに理論的でも、性別を気にしない生き方をしていても体はどうしても女で多方面にその影響を受けてしまいます。
なんの理由がなくてもその都度鬱々としてしまうのも、背中も腰も痛くなってしまうのも本当に嫌です。
異性からてひどい裏切りを受けたので、今後異性とはお付き合いするつもりも結婚も、ましてや妊娠もするつもりはありません。
そろそろ若くもないので営業で使える武器にもなりません。
女の体でいるメリットも理由もなくなってしまいました。
私は自営なので体と精神が働ける状態でないと収入が即ゼロになります。
生きるために仕事をしていますが、それができなくなる可能性への危機感はとても強いものです。
女の体でいるのはリスクとデメリットにしかならないと考えるようになり、生き方や考え方以外に、性別のない体がほしいと思うようになりました。
自分の子宮が健康だと医学的に判断されれば、必要としてる人に提供するもよし、標本にするもよし、適当に有効活用できれば、と考えてはいるのですが、
数百万の費用と海外での手術を、と考えると二の足を踏む自分がいます。
どうすれば折り合いがつくでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あせらず、心を見つめなおしましょう。
仏さまは性別を超越した存在です。
まずそれを前提としてお話しします。
女として生まれ、バイセクシュアル。今まではなんとかしてたけど、性別を捨てたい。
お気持ちはわかります。今あせらずもう少し見つめてみましょう。
私は男として生まれ、心は女でした。若い時から苦しんできた。だから性別適合手術を受ける必要がありました。
けれどもあなたは男ですか?
女を捨てたいだけ。なら戸籍上の性別はそのままで、女性特有の月経等から解放されればいいのでは。とりあえず手術まで行かずにホルモン療法等でいいのでは。
日常生活は男でも女でもなくでいいじゃないですか。困ったときには仏さまに相談しましょう。お寺に参拝して心を晴らしましょう。
性別変更するには大変な手続きと周りに対する努力が必要です。それなしで行けるなら、戸籍上の性別はそのままに、性の区別が無い状態を保った方がいいと思います。
子宮全摘等の外科的療法は、後になってもできます。歳を取ればいずれ関係なくなってしまいますし。あせらずとりあえずは。
私は今、そういう方たちの安らぎにならる場所としての寺つくりを目指していますが、まだできていません。年内にはなんとか完成させるつもりですので、一緒に頑張っていきましょうね。
性別も、無性別も、どっちも捨てましょう!
初めまして。本多清寛と申します。
私は男の身体ですから、きのせさんの辛さは体験できませんが、性別を捨てたいという思いには共感できます。やっぱり、男でいることとか女でいることには辛さがありますから。
ただ、質問を読みながら、生殖器が無くなったら女でなくなるのかどうかを考えてしまいました。いったい、男女とはどこで選別されるものなんでしょうか。
禅宗的には、男と女に線を引く自分を問われます。どうして線を引いてしまうのか、線を引いているその瞬間に何が起こっているのか、線を引いたから「男と女」があるのではないか。区別された結果に注目するのではなく、男と女を分けている「何かしらの線」に注目するわけです。
今回のご質問では、手術をしていないきのせさんは、手術をした後のきのせさんにならなければ女を捨てられないという主旨かと思いますが、本当にそうなるかは分かりません。子宮がない方も、女として生きていらっしゃる方はたくさんおられます。私は、男性の身体の方で、自分が女であると確信を持ち、嫌だけど世間を騒がせたくないと思って男性の姿で生活をされている方の話を聞いたことがあります。
子宮があってもなくても、男と女に線を引くことは可能です。そうすると、子宮を摘出した後のきのせさんが、本当に無性別になれるかどうか私は心配になってしまいます。
身体の不調を取り除くために、子宮全摘というアプローチをするのは考えられることだと思います。しかし、無性別になりたいから子宮を摘出するという答えは、少し保留にした方がいいような気がするのです。
きのせさんには、子宮が女を主張していると感じられるわけですが、男の立場からすれば顔や身体の丸みから女を感じます。子宮は内部ですので、男からは分かりません。ということは、子宮がなくなった後のきのせさんは、周りの男から女であると認識され続けるでしょう。そうすると、無性別で居続けるために、子宮摘出以外の何かが必要になってしまい、問題が続いてしまいます。
まずは、性別を気にしない生き方を「する」ことを辞めてみませんか?本当に気にならなければ「性別を気にしない」とあえて言う必要もなくなります。性別があるから無性別があります。それすらなくした、無無性別を目指してはいかがでしょうか。
質問者からのお礼
お忙しい中、ご返答ありがとうございます。
男でも女でも、自身の心の性別に沿うように体も変えたいというのは不変なのですね。
ただ、いずれ閉経するからそのままで構わないのでは、というのは違います。
ずっとこの先も困るのです。
閉経したら今度は更年期障害が待ち構え、やはり体内にあっても女を主張し続けるのが生殖器です。
なるほど、たしかに今回のご返答のように理解を得るのは難しそうです。
私自身いろいろ調べました(摘出しない選択としてピルや市販薬、摘出する選択として生体移植なども含めて)。
ただ調べるだけでは結果が伴わないと思い、医療的にも話せる人を探すことにしました。
理解を得るのは難しい、人に何か言われても自分の意思は揺るがない、ということがはっきりしただけでも大変な収穫となりました。
お付き合いいただきありがとうございます。
柴谷宗叔さま 本多清寛さま
複数ご返答をいただけるとは少しびっくりしました。
ありがとうございます。
お礼のコメントをその都度追記していきたいので宛名を書いていこうと思います。
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たしかに心身の不調から解放されたいのと、男女どちらか・もしくは無性別として生きる、というのは別ですね。
これは大変な気付きでした。
ありがとうございます。
無性別で生きたいという意思も、バイや今までの仕事のスタンスや対人への考え方は嘘ではなく本当のことです。
が、たしかにそれとこれ(内臓がどうとか身体的特徴がどうとか)は別ですね。
子宮がなくても(調べていて先天的に無い方がいるのを知りました)女として生きる人もいれば、MtFやFtMでトランスジェンダーとして戸籍を変える人もいれば、いろいろそのままだけれど服装やメイクでなりたい自分に近づくためのプロセスとしてそれを取り入れる人もいますものね。
ひとまずは心身の不調を取り除く方法として薬事療法や摘出も視野に入れながら方法を検討していきたいと思います。
生き方については経験上どうしても男というものに嫌悪感を抱いてしまうのと、性的なものへの嫌悪感や汚物感が拭えないので別途対処を考えることにします。
問答のお付き合いありがとうございます。