実感と尊敬
昨日の頑張りを今日、出勤した社員に鼻で笑われ+のけ者+仕事を与えてくれない。
だけど、勝手にやってれば〜大のおとなの男が情けない思考で自分の事を、今後の勉強など淡々とこなしました。だけど、どこか寂しくて。
淡々と仕事をしていたら紙で指を切って血がでました。少しだけ切ったのにジワ〜と。
私の体の中で力強く流れているんだな、と実感しました。自分の血液に尊敬しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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読んで思い出しました
高校生の時、寮の机で勉強してて、ふと視線を落としたら足元にバッタの小さいようなヤツがいた。今でもハッキリ覚えてる。私の左足よりちょっと左前にいて、バッタ(?)はゆっくり、ゆっくりと3歩歩いた。それからプルプルしながら右脚を挙げて、そのままプルプルして、やがて左に倒れた。
なんかまた起きあがって動き出しそうな気がして、そのまま3日間放置して様子を見た。
学校から帰って来ても、朝起きても、バッタ(?)は1ミリたりとも動いていなかった。私は思った。(コイツ、あの時死んだんだな。死ぬホントのホントの間際まで、歩こうとしてたんだな。最期の最期の一瞬まで、生きようとしてたんだな。スゲェな。生命を大事にするって、こういうことなんだな。)
生命って、ホントに力強い。ホントに。
もっとたくさんの人がそのことに気付けば、もっと自分の人生は変わって見えるだろうに。
世界だって違って見えるだろうに。
質問者からのお礼
大慈 様
おはようございます。
小さな体でも大きな体でも生きる力は、生きようとする力は力強くたくましいのですね。
そのバッタ?を実際に見てはいませんが、最期の一瞬まで生きようとする姿は美しいです。
大慈さんのご回答で、もう一つ感じたものがありましたので追記します。
バッタ?の最期の力や最期に立ちあった事は、それもまたご縁に感じます。
大慈さんの高校生の時の出来事が時を経て、私にも感じるもの、考えさせられることがあったのですから。