地獄も天国も生きている今に全て在る?回答受付中
素朴な疑問です。
①お坊さんとはどんな存在ですか。
今まで、実体験を通じ、お坊さんはいろんな見解を悟り、迷う人々に生きる道をさとしてくれる、導いてくれる、ありがたい存在だと思ってきました。SNSで『お坊さんだから、精神病のひとの気持ちはわからない、逆に教えてほしい』のような投稿をしてるお坊さんと一般の方『お坊さんは病まないのか』というやりとりを目にしました。そのお坊さんからの返答は見当たらなかったので、こちらに質問させていただきました。
②上記のやりとりをしてる一般の方の質問が興味深かったので、おききしたいです。うろ覚えですが、
『感じていることこそ生きていると言うことだと思っている。地獄も苦しさ痛さ熱さを感じる、なら生き続けているということですか?生きることが地獄と言うことですか?』
という内容だったと思います。『地獄も天国も生きている今に全て在る』ということですか?
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お坊さんも、さまざまな形や色がある。
ご質問いただきありがとうございます。
初めに言っておきます。
僧侶は、皆一緒の考えではなく、人がそれぞれ違うように、僧侶もまた一人ひとり違うことをお伝えしておきます。
それでは私が思う
① お坊さんとはどんな存在か ですが
私自身は、お坊さんを
「悟りきった人」「迷わない人」だとは考えていません。
むしろ、
考え続け、体験し続ける人だと思っています。
私の宗派(臨済宗)では、専門道場での修行を通して、
厳しい規律の中で生活し、思うように食べられず、眠れず、
精神的にも追い詰められる体験を重ねます。
そこで身につくのは「正解」ではなく、
ものの見方・考え方の基礎です。
生きるとは何か、苦しみとはどこから生まれるのかを、
頭ではなく、身体を通して学びます。
ただし、修行をしたからといって
誰かの人生そのものになることはできません。
精神的な病を抱える方の苦しみを
「分かる」と言い切ることはできないと思っています。
だからこそ私は、
「分からないから教えてほしい」
という立場で寄り添うことが大切だと思います。
同時に、
苦しみを最終的に取り除けるのは、その人自身しかいないだろうと思っています。
僧侶が気休めの言葉で一時的に楽にすることはできても、
思考や向き合い方が変わらなければ苦しみは形を変えて何度でも戻ってきます。
だから私にできるのは、答えをお渡しすることではなく、
一緒に考え、方法を探し続けることだと思っています。
② 地獄・生きることについて
「感じていることこそ生きていることなのか」
「地獄でも苦しさや痛みを感じるなら、生き続けているのか」
という問いについては、地獄も天国も、特別な場所としてどこかにあるものではなく、生きている“今ここ”に現れるものです。
同じ出来事でも、
どう受け取り、どう考え続けるかによって、
人は地獄にも天国にもなります。
苦しさを感じているということは、
確かに「生きている証」でもあります。
ただし、
生きること=地獄
という意味ではありません。
苦しみは、
終わらせる可能性も含んでいるからです。
感じ、悩み、考え続ける中で、ものの見方が少し変わったとき
同じ現実でも、地獄ではなくなる瞬間があります。
僧侶として私ができるのは、その可能性があることを信じ
一緒に立ち止まり、考え続けることだと思っています。
あくまで私個人としては、
①お墓の掃除したり、法事で皆さんと一緒にお経を読んだりお念仏を唱えたりしているくらいの存在で、何も悟ってないし世の中知らないことばかりでこれといって特別な存在では無いです。お檀家さんの助けになりたいと思っていますがなかなかできないです。相談があっても聞くだけで精一杯です。
②お釈迦様は悪いことをしたらこの世もあの世も苦しむと言っていたので、地獄や天国はこの世にもあの世にもあるのだと思っています。


