自因自果の話を知り、怖くてしかたありません。

なぜ自分がこんな目に会わないといけないのかと、ひどく悩んだ時期があり、自因自果の話を本で読んだ時にものすごく府に落ちました。

今まで自分の我欲を一番に生きてきた因に、それそうなりの縁が来て結果が出たのだと、自分の生き方を深く反省しました。

それでも私は、その時は「自分が正しい」とがむしゃらに頑張って生きてきたのだと、その当時の浅はか自分も許しました。

しかし、すべての過去の行い(自分が浅はかだったと思う行為)がこれからの私の人生に結果として何かを出すのであるならば、怖くてしかたありません。

たとえば、好きな人に嫌われたくない一心で、言われるがままに猥褻な画像や動画を撮らせてしまったこと。

恋人との別れが辛すぎて、好きでもない人に色目を使い何人かと情事をしながら、何をしているのだろうと我にかえり、良くしてくれたのに連絡を一切絶ってしまったこと。

など、主に自分の性へのふしだらだった時期に行ったことへの因果です。

今、私は非常に愛にたいして真面目に考え、将来はちゃんと結婚して家庭を持ちたいと考えています。

しかし、もしか私の画像などが誰かがインターネット上に上げていて、それを大切な旦那さんに見られてしまったら、とか、家族で幸せに歩いているときに過去に情事を交わし連絡を絶った相手にいいよられたら、など考えると、怖くて、なぜあんなことをしてしまったのかと後悔の日々です。

因果とは、どのような結果として現れるのでしょうか。

教えお叱りいただけたらありがたいです。

心構え・生きる智慧
有り難し 8
回答 1
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

未だ来ぬ将来に怯える必要なんか無いのです。

 自因自果…「善因楽果 悪因苦果」ということですね。自分の為したことの結果は自分が受ける、良いことをすれば楽しく良いことが、悪事を働けば自らに苦しみとなって返ってくる」の意味ですね。これは確かに仏教の因果の道理です。
 そのまま読めば、「あなたは過去に行った行為の報いを受けるのです…仕方ありません」で終わります。そしたら、仏教も仏さまも必要ありませんね。反省も更正も無意味になります。
 あなたにこれからどのようなことが起こるかわかりません。恐れているようなことがあなたの身に降りかかるかも知れません。そのことを教えて下さるのが仏様です。
 そして、そのことで生じるあなたの身の苦悩を「私が一緒に背負うよ。私があなたの傍に居るよ。私と一緒に人生を生きていこう」とおっしゃり、支えて下さるおはたらきを仏様と申します。
 その仏様を頂いて生きるのが仏教徒(仏様のみ教えを喜ぶ仲間)です。教えを頂かないならなら、当然あなたは自分で生きていくのです。苦悩を自らで背負うのです。
 そして、あなたを支えるという仏の様の教えをしっかり頂けたとき、この先私に何が起ころうとも、私はいのちある限り精一杯生きていこう、生きさせて頂こうと思えます…それは「仏様に支えられ導かれ続ける私だからこそ、その事実を頂き、喜び、恵まれたいのちをしっかり生きねば申し訳無い」という思いからです。
 あなたが心配するような将来のネット上でのリベンジなど起こらないですよ…と申し上げたいのですが、確証も無いことを申すのはかえって無責任だと思い直しました。
 それよりは、何が起きても仏様が御一緒下さるから、その支えを得て、一人抱え込むこと無く周囲の人や警察等の公的機関にちゃんと相談出来るようになりましょう。、そしてその問題から逃げずに解決への道筋をトコトン探っていけるようになることです。それこそが、リベンジに負けずしっかり生き抜く姿勢です。そして、そういう人に対しては、リベンジを企む輩は怯(ひる)み、去って行くでしょう。
 どうか、まだ起きていないことにむやみに怯えること無く、今をしっかり生きて下さい。
 それこそが仏様の願いです。あなたをハスノハ僧侶方も応援しています。 

18日前

質問者からの有り難し - お礼

ありがとうございます。

今、現実に起きている出来事こそが、仏様からの教えであり、私は学び生きていくのだなと感じました。

そう思えば、起こるかどうかわからないあてのない未来を不安に思って生きることより、今が大切だと思いました。

過去にしても同じで、過去をどんなに悔やみ生きるよりも今を生きることこそが全てなのだなと思いました。

そうなれば、どんな出来事も仏様の教えなのだなと、感じれば毎日がありがたい日々だと思えます。

ありがとうございました。

関連する問答
このページの先頭へ