hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自分の生き方がわかりません。

回答数回答 1
有り難し有り難し 8

私は親からよく、心に軸がないと言われます。たしかにその通り、私は生まれて20年間なにか夢があるわけでもなく、貫き通して来たものもなく、何事も中途半端に済まして生きてきました。

先日、人生で初めて舞台を観に行ったのですが、その時本気で演技に向かっている人々の姿を目の当たりにして、何か特化したものや夢もなく大して努力もせず今まで中途半端に生きてきた自分はなんてつまらない惨めな人生を過ごしてきたのだろう、と絶望しました。

自分の生き方について疑問やどうにかしなきゃと考え始めたのは中学3年生の頃からです。あの頃から私はなにも変わっていない。変わろうと努力できない、そんな自分が心底嫌で嫌で苦しいです。絶望を感じた日から、誰に会っても何をしててもつまらなくなりました。生きている心地も無くなりました。何故自分が生きているのかもわからず、本当につまらない日々です。前の自分だったら、それでも生きたいと苦しみ泣くところが、今の私は死ぬのも怖くないと感じるようになりました。
また、私は人に言われても納得できなければ耳にも入れたくない傾向にあり、誰に相談しても解決するわけがありません。治そうと思っても治せません。そんな自分が嫌いです。夢も見つけられない、努力もできない、人の話も受け入れられない、自分が嫌で嫌でたまりません。苦しいです。辛いです。今まで辛いことがあると妄想に耽って逃げてきました。人と話してても仕事をしていても頭のどこかでは自分に都合の良い妄想をして落ち着かない心を満たしていました。でも、もう妄想に逃げるのも辞めたい。妄想でほとんどの気持ちが落ち着くため、友達はかなり少なく恋人は一度もいたことがありません。そんなのも辞めたいんです。私は生き方を変えたいです。今までも何度も何度もそう考えては、結局何も変えられず、親にも呆れられています。

甘えたことばかり話してしまい申し訳ありません。どうか助言くださると幸いです。よろしくお願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一歩踏み出しましょう。出来ます。大丈夫です。

 「愛憎にまみれたみにくい一生であっても、私にとっては唯一度っきりのかけがえのない人生です」…愛読書の一節を引用させて頂きました。
 『今の私は死ぬのも怖くないと感じるようになりました』…本音でいらっしゃるかも知れません。でも2度目の人生はないんですよ。それでも死んでもいいですか…このまま死んでいけますか。
 自分を責めないで下さい。それより、今のあなたと向き合って下さい。今、あなた自身があなたから逃げていますよね…傍観者になっていますよね。だから御自身を嫌い、蔑視出来るんですよね。妄想に走るんですよね。
 仏教はその正反対を説く教えです。仏様とは今の私の事実を教えて下さるお方であり、今の自分に向き合わせるおはたらきです。だからある意味、優しさと厳しさが同居している教えなのです。
 大切なことは、まず行動を起こすことです。何から?…何でも良いです。出来ること、少しでも楽しいと思えることを行って下さい。ただ、「出来るだけお金を遣わず、しかし頭や身体を使うこと」がポイントです。
 心の軸とか、生きがいとかは後から付いてくるものです。
 まず、外に出てみましょう。探しましょう。考えましょう。感動を味わいましょう。
 行動が結果を生みます。いえ行動することによってしか、効果は期待できません。
 あなたにはまだ充分な時間があります。かといって何もしなければ10年20年なんてあっという間に過ぎ去ってしまうでしょう。
 怖がらないで一歩踏み出しましょう。そんなあなたを後押しし、支えて下さるのが仏様という存在です。
 ハスノハ僧侶方も何時でもお力になりますよ…。

{{count}}
有り難し
おきもち

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
はっ、とさせられました。私はずっと自分に向き合おうとせず生きていました。本当にそうです。自分に向き合わず行動しようともしていなかったです。
ただ、回答を読んで自分のことを自覚したら自然と生きようと思いました。
自分にしっかり向き合って自分の足でしっかり立ってこれから先、歩もうと思います。
気づかさせてくださりありがとうございます。
本当に本当に感謝でいっぱいです。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ